昨年の5月15日に自転車で我が家を出発、一路仁和寺を目指しました
目的は宇多天皇【大内山陵】でした、詳しくは今年の5月29日のブログ100回記念で
では宇多天皇陵への参拝の後から平野神社への行程と今回のトリプル陵をご覧ください
宇多天皇陵に向かう手前で下の表示を見つけましたひょっとして山伝いに行けるかも
表示だけが頼りで、更に山道に入り込みました、すると中年カップルに〈地獄に仏〉、教えて頂いた通りに
なるほど云われた様に、一條・堀河天皇陵の文字が、でもいきなり前方に崖崩れで迂回に
教えて頂いた通りに進んで行くと立ち入る禁止の表示が・・気にせずに入って行くように教えられたので
所々に参陵道の表示があります、益々山奥へと入って行きます、比叡山が・・・そして右側が大文字山
向こうから来たんです、振り返ると立入禁止の表示が更に進むと、ここから入ると宇多天皇陵とありました
少し行くと又、参陵道の表示と・・・石垣が、 前方には制札?が現れました、エエ~天皇陵?
構えは天皇陵なんですが?後ろが拝所らしくない・・・と思ったら、円融天皇の火葬塚やったんです
石畳をドンドン下って行くと・・・前方に視界が開けているではありませんか〈初めてなので?〉
これは、天皇陵でしょう、ナント素晴らしい場所、右が一条天皇【円融寺北陵】左が堀河天皇【後円教寺陵】
さて、いよいよ今回のブログの目的のトリプル天皇陵へと、更に下って行きます
この時は全く予備知識もなく来ていましたので・・・こちらを天皇陵だと勘違いしていました
誰でも、初めてだったら天皇陵だと思いませんか、帰ってこの写真を見て後朱雀天皇の皇后【園乗寺東陵】だと
そしていよいよなんですが、先程から申している様に何処に何があるか知らずに来ているので??
皇后さまの御陵の後ろに登りの石段があるのです、それを上がると更に石段がありました、上るとそこに「トリプル陵」
知らずに来ているので、エエッ、と云う感じでした、小高い丘の上に三人の天皇陵が並んでいました
一枚では撮れなかったので、二枚をひっ付けました、右から後朱雀・後冷泉・後天皇ですアップで三枚を
第69代後朱雀天皇【圓乗寺陵】〈えんじょうじのみささぎ〉の御陵が向かって右側に
そして真ん中の石段を上がった処に、第70代後冷泉天皇【圓教寺陵】〈えんきょうじのみささぎ〉が
一番奥に、第71代後三条天皇【圓宗寺陵】〈えんそうじのみささぎ〉が並んでいました
竜安寺の裏山には、五人の天皇様が眠って居られます
一条天皇・堀河天皇のダブル陵・・・そして今回の後朱雀・後冷泉・後三条天皇のトリプル陵です
円融寺が衰退して、後に室町時代の細川勝元が龍安寺として再建した事は以前に申しましたが
陵名の謂れも時代も直接には関係がなさそうですが、仁和寺の周辺に朝廷の祈願所として四円寺が建てられ
その「円」の字が付く寺院、円融寺・円教寺・円宗寺・円乗寺に因んでいるそうです
さて、この日、この後自転車に戻って、等持院、二条天皇陵・花山天皇陵・最後に平野神社と回りました
午前中に我が家を出発して、宇多天皇陵から平野神社まで、まさに山あり谷ありでした
続きの・・・二條天皇陵は第78代の時に・・・等持院の平野神社は次回にでも・・・
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