後二条天皇の時代が最も波乱万丈の時代と云って過言ではありません
2.3代前から天皇が大覚寺統と持明院統とで争いながら即位していて
後二条天皇の時代でやっと両統が10年をメドに交互に即位するように
しかしながら、ここで一大事が起こります、鎌倉幕府の崩壊です
大覚寺統の後二条天皇が崩御されると持明院統の花園天皇が即位します
そして本来なら交代制なので大覚寺統の後二条天皇の皇子が次期天皇に
ところが花園天皇の譲位の時に、まだ成年に達してなかったので・・・
後醍醐天皇が即位して、いよいよ南北朝の争乱へと繋がって行くのです
余談ですが、不運に見放されると最後まで良い芽が出ない事になります
後二条天皇の皇子で邦良親王は、順位に不満を持ち後醍醐天皇に譲位を迫ります
しかし、拒否されてしまい結局、天皇に成れないまま二十七歳で急死します
不運はまだ引きずります・・急死した邦良親王の第一皇子の康仁親王は
後醍醐天皇が隠岐の島へ流罪になった元弘の変の後、光厳天皇の皇太子に
しかし、翌年に幕府が滅亡して後醍醐天皇が復帰し、康仁親王は廃太子に
良いことは中々続きませんが、悪いことは昔から続くもんなんですね
さて、後二条天皇【北白河陵】に入るのが遅れました・・・
この【北白河陵】ですが、気が付かないと通り過ぎてしまいそうな処にあります
前が今出川通りに面していて、制札もちょっと奥にあるので気が付かないです
拝所の前が今出川通りの北側に面した歩道と同じ高さなので 目立たないのです
幅もこれだけしかありませんので、毎回言っていますが表示がないからです
制札には、後二条天皇【北白河陵】と悲運の皇子〖邦良親王〗がご一緒に葬られていました
左横には京大のキャンパスが見えるでしょう
本当に毎回言ってますが・・・天皇陵の表示ぐらい建てられないのかな~と思います
石碑には「後二条天皇北白河陵」と刻まれているのですから・・・
通り過ぎないように、誰もが参拝出来るように・・宮内庁に??お願いを
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