今迄に何度も【箸墓】の向かいまで行っているのですよ〈三輪そうめん・山本〉のお店へ
その頃は〈三年近く前の事〉お店の前に卑弥呼の墓?があろうとは夢にも思いませんでした
それが昨年の4月の22日に我が京都の地元・右京区にある【長慶天皇陵】を知ってからでした
私の体に、天皇陵巡りの火がついたのです・・・それまで何の興味もなかった私が
それから間もなくの事でした寺町にある三密堂書店という古本屋さんである本に出合いました
その本 を読んで天皇陵にまつわる、今まで全く知らなかった世界を知ったのでした
まず驚いたのが、”卑弥呼の墓” が奈良に在ると言うことでした
真実は分かりませんが、男のロマンを感じました、
その上知らなかったのは私だけで、20年以上も前から知られていた事実だったんです
しかも卑弥呼の墓と言われている場所が何度もそーめんを食べに行っている【三輪そーめん山本】の前とは
の本には「魏志倭人伝にいう倭国女王卑弥呼の都は三輪山西麓に置かれた」と書かれています
この事を知って、11ヶ月してやっと卑弥呼の墓へ行ってきたのです
まずは 腹が減っては戦が出来ぬ、と言うことでそーめんを頂きました
ここが「三輪そーめん山本」のお食事処.「麺ゆう館」の入り口でして・・向かいの森が卑弥呼の墓【箸墓】です
森【古墳】の右側から田んぼのあぜ道を進んでいくと拝所が現れました この上あたりがの写真
右側に愛車の「タント」が止まっている処から入っていくと・・・左に拝所が見えてるでしょう
何の設備もありませんし、表示すらありません・・・この辺から西に向かって邪馬台国が・・・
第7代孝霊天皇の皇女【倭迹迹日百襲姫】〈やまとととびももそひめ〉の墓が卑弥呼の墓と言われている
天皇陵ではないので、形は同じでも!随分格式が違うものです・・・田圃の畦道にポツンとあるのですから
この古墳・・・卑弥呼の墓を一周しました
こんな表示板がありました、纏向古墳群が倭の国とされています女王卑弥呼が君臨したのでしょうか
箸墓・・・卑弥呼の墓、の全体を写すことが出来ました
こんなネーミングの看板が・・・卑弥呼の庭!ですって
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