今日は今から1115年前の延喜3年〈903〉2月25日に道真公が亡くなった日
西暦845年に奈良に誕生した道真公は、幼少の頃から神童と呼ばれ
5歳で和歌を詠み、 11歳の時には漢詩を作っている
月の夜梅花を見る
月の輝きは晴れたる雪の如く
梅花は照れる星に似たり
憐れむべし金鏡転じ
庭上に玉房の馨れるを
五言絶句の詩である・・・そう云えばあの頼山陽も11歳で『述懐』を作っている
さて菅原道真公に関しては、大宰府に左遷されてからの漢詩が残されていて・・・
藤原時平の讒言による??無実の左遷その悔しき心情を詠った詩が残っている
最初に紹介するのは、左遷されてから3・4か月と本人が言っている「自詠」です
自 詠
家を離れて 三 四月 京の都を離れて三・四ヵ月が過ぎた
涙を落す 百千行 毎日泣いてばかりで、涙の痕も百千行にも
萬事皆 夢の如し 万事すべて〈京での右大臣の時代〉が夢のようだ
時時 彼蒼を仰ぐ 時々このように庭に出て空の彼方を仰ぐのである
道真公の悔しさが犇々と伝わってくる漢詩ですね
次は道真公が左遷されたその理由を重陽の節句の翌日に読んでいる【九月十日】です
九月十日
去年の今夜 清涼に侍す 去年の今頃は宮中の清涼殿での菊花の宴に侍し
秋思の詩編 独り断腸 即興で「秋思の詩」詠じた事を思うと腸が断たれる
恩賜の御衣 今此に在り その時褒美に天皇から頂いた衣は此処にあります
奉持して毎日 余香を拝す 肌身離さずに毎日、天皇さまを拝しております
大宰府に左遷されて初めての「重陽の節句」思い出すのは忘れもしない
去年の今夜「清涼殿」において重陽の節句の行事【菊花の宴】での事
周りからは藤原時平に気を付けてと云われていたのに「秋思の詩」を即興で吟じた
その内容に時平がカチンときた、結局このことが原因であの讒言に及ぶとは
この詩は律詩〈八行詩〉で、内容は・・・
~丞相年を度って 幾たびか楽しめる
今宵物に触れて 自然に悲し
声は寒し絡緯 風吹くの処
葉は落つ梧桐 雨打つの時~
ここまで半分の四行を使って「菊花の宴」と云うのに寂しさを訴えて・・
後半にその侘しさの原因を見事に詠っています・・ここに時平がカチンと
~君は春秋に冨みたまい 臣は漸く老いたり
恩は涯岸なく 報ゆること猶遅し
知らず此の意 何に安意せん
酒を酌み琴を聴き 又詩を詠ず~
と後半で、天皇さま貴方は見る度に立派に御成りになるけど、私は老いて行くばかり
天皇さまから頂いた御恩は果てしないものがありますが、もうこの歳では報えません
この心をどのようにしたら天皇さまに分かって頂けるのか、虚しい気持ちで
先ほどから、酒を頂き、お琴を聴き、今詩を詠んでいる私です・・・と
学問の神様と云われ、神童とうたわれ11歳で漢詩を詠んだほどの道真公
醍醐天皇の心を掴んでしまうのは、当りまえの事
だから藤原時平の讒言に遭うことになったのは当然と云えば・・当然か
この「九月十日」の前後に律詩で「九月十五夜」を作っています・・が
今夜はここまでにします・・・おやすみなさい
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