北朝第二代光明天皇 北朝第三代崇光天皇
南北朝時代のナント激しく、悲しい争いが続くのであろう
同じ皇族で有りながら、これ程までに争わなくては成らなかったのか?
今迄は後醍醐天皇を英雄と崇めてきたけれど、この時の争いは後醍醐にあり??
それだけでは無いにしても、後醍醐と足利尊氏の身勝手さに尽きるのでは
解釈の違いは否めないが、我儘な二人に翻弄されているようで
後醍醐天皇は沖に流されるが、京に舞い戻り、ついには芳野へと移る
このわずかな期間に北朝の天皇が翻弄されている〈光厳・光明・崇光の三代天皇〉
足利尊氏によって、天皇に即位したり、その尊氏が南朝に方向転換
後醍醐は京を捨てて、芳野へと移ってしまう、
第97代後村上天皇はこの機を逃さず、北朝三代崇光天皇を廃してしまい
北朝初代から三代までの上皇を拉致して、一旦河内東条へ・・・
更に、その後芳野へと幽閉してしまうのだ
この時期!京の北朝方には天皇が全く居ない状態だったのだ
さて、第二代光明天皇と第三代崇光天皇の御陵が伏見にあるとの事
恥ずかしいことですが、北朝の天皇には全く興味がなかったので・・・
大光明寺陵と云う御陵があることすら知りませんでした
近々に参拝に行きたいと思っていますので‥今回はネットから写真を借ります
参拝に行きましたら、写真と共に報告いたします
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