光孝天皇は中継ぎのピンチヒッター的な感じですが、文武両道に長けた素晴らしい天皇だったそうです
百人一首の中でも、有名な第15番の歌です、古今集に収められています
何か、親しみを感じませんか
この歌は・・・光孝天皇が即位前の時康親王だった頃に、大切な人の長寿を願って春の野草を贈った時に
添えたお歌らしいのです、「あなたの為に、まだ寒さの残る春の野原に出かけて、食べると長生きできる
という、春の野草を摘みました、摘んでいると服の袖にしんしんと雪が降りかかって来ましたよ」との歌
即位してからは、藤原基経が政治を牛耳っていたし、腹黒い政治の世界でなく、この歌の世界こそが
光孝天皇の人間としての、世界だったのでしょうね・・・
光孝天皇陵印
前の天皇・・第57代陽成天皇が殺人事件などが絡み・・・17歳の若さで、突然解任
この譲位を受けられたのが、第58代光孝天皇であった、ナント陽成天皇の大叔父に当たる
中継ぎとしての譲位だったが、文武両道に秀でた天皇であった、しかしわずか3年で第59代宇多天皇に譲位となる
この日、自転車で我が家を出発して、文徳天皇から始まり4番目の光孝天皇陵に着いたのは五時前になっていた
福王寺を仁和寺の方向に進んで・・・右折して少し迷って・・出て来たのがここ
路地の奥に・・・光孝天皇陵がありました
制札には・・光孝天皇【後田邑陵】こうこうてんのう・〈のちのたむらのみささぎ〉とあります
民家の路地の奥にあるには・・・中々立派な御陵でした
右の石碑には・・・ 少し読みずらいですが【光孝天皇後田邑陵】と刻んであります
帰りは御陵を元の道に戻らないで、左の方に回ってみました・・まだ何か工事中のようでした
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