第四代【懿徳天皇】は「綏靖天皇」29年に生誕されたと伝わる
「安寧天皇」11年に16歳で立太子し、同38年に「安寧天皇」が崩御
その翌年、懿徳天皇元年に即位、同2年都を軽曲峡宮〈かるのまがりおのみや〉に移す。
陵墓は現在、橿原市西池尻町にある【畝傍山南繊沙渓上陵】
〈うねびやまのみなみのまなごのたにのうえのみささぎ〉です
通称「マナゴ山」と呼ばれる小山に治定されています
治定されたのは、幕末になってからの事だったようです
「古今和歌集」には懿徳天皇が出雲に行幸して・・
【素戔嗚尊】〈スサノオノミコト〉に出会ったと云う逸話が残っている
これは、まだ出雲が大和朝廷の支配下でなかった時代、
それなりの交渉が朝廷と行われていたことを示すものと考えられている
1~2世紀、次第に出雲が大和朝廷の支配下になるエピソードとも云える。
それでは、大変にお待たせしました・・懿徳天皇陵へご案内します
「安寧天皇陵」から徒歩で15分ぐらい??の処にありました
参道を真っすぐ進むと拝所がありました 制札が拝所の少し手前にあります
少し、字が滲んでいるので読みにくいかも
この前まで進んできました、まずは懿徳天皇陵に参拝です
この日は・・・息子の運転で京都から奈良まで来て・・・
12の御陵を巡ることが出来ました、有難いです、息子に感謝です
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます