泉州堺の石工の里(旧跡)「中之町公園」に
仙臺すずめ踊り‟伊達の舞”がやって来た!
平成29年10月14日(土)午後4時~4時30分
主催:英彰校区自治連合会 共催:堺すずめ踊り協賛会
前田秀一 プロフィール
元禄二年(1689)「堺大絵図」には、それぞれの職人が寄り合う町にそれぞれの職種に応じた固有の町名がつけられました。
大町(おおうちょ)以南の大寺院区には寺院の石造物と関わりの深い石工衆の町があり、大永三年(1523)十二月吉日付念仏寺供料等寄進目録には、すでに石屋町(現中之町西二丁)の町名が見え、その界隈に関連職業集団として石工衆が北石切町(現中之町三丁)と南石切町(現寺地町西三丁)に分かれて住んでいたことが知られています。
元禄二年(1689)「堺大絵図」には、それぞれの職人が寄り合う町にそれぞれの職種に応じた固有の町名がつけられました。
大町(おおうちょ)以南の大寺院区には寺院の石造物と関わりの深い石工衆の町があり、大永三年(1523)十二月吉日付念仏寺供料等寄進目録には、すでに石屋町(現中之町西二丁)の町名が見え、その界隈に関連職業集団として石工衆が北石切町(現中之町三丁)と南石切町(現寺地町西三丁)に分かれて住んでいたことが知られています。
慶長五年(1600)、関ケ原の戦いの後、陸奥の武将・伊達政宗が自分の城を造る時に八年間の上方生活で身近に観察していた桃山文化を陸奥で再現したいと堺の商人で茶人であった今井宗薫に石工衆をはじめ職人衆の手配を頼みました。
慶長八年(1603)、仙台城新築移転の儀式の宴席で泉州堺から来ていた石工衆が城主・伊達政宗公の前で即興的に踊りを披露し、西国らしい小気味良いテンポ、躍動感あふれる身振りがえさをついばむ雀に似ているとして伊達家の家紋「竹に雀」にちなんで“すずめ踊り”と名付けられたそうです。
しかし、お城の構造的な秘密を知っていたため石工衆たちは仙台の地に引き留められ、与えられた城下の土地を北石切町と南石切町と名付けて住みつき、石尊神社・瀬田谷不動尊の祭礼などに“すずめ踊り”を奉納しながら今日まで子孫により踊り伝えられてきたそうです。
第7回ゆめづくりまちづくり賞「奨励賞」受賞記念植樹 こちらから
近世初頭、堺の茶人で商人・今井宗薫と陸奥の名だたる武将・伊達政宗の交流の史実に裏付けられた物語は、堺と仙台を取り持つ絆を強くするものであり、現代において‟すずめ踊り”に秘められた伝説のダイナミズムを「人が輝き、地域を元気に!」を合言葉として人づくり、まちづくりに活かすことを提案し、平成27年(2015)3月に国土交通省近畿地方整備局主宰「快適都市実行委員会」(委員長 安藤忠雄)より第7回ゆめづくりまちづくり賞「奨励賞」を受賞しました。
第44回堺まつりに参加のため来訪された「伊達の舞」のご一行が、愛好者4,000人といわれる「仙臺すずめ踊り」を代表して、かつて泉州堺の石工衆が住み慣れていた町跡「中之町公園」(堺区英彰校区)を訪ねられ、見事な演舞をご披露いただき地域の皆様に感動を与えられました。
事前準備 「中之町フラワーウェーブ」の皆さんと「堺すずめ踊り協賛会」スタッフ
第1部 仙臺すずめ踊り 伊達の舞 公演
写真提供:中之町フラワーウェーブ
第2部(午後4時40分~5時) 堺すずめ踊り 市扇雀〔堺区市(いち)小学校区〕公演
花のボランティアや堺大魚夜市など日常の地域活動で協働されている堺すずめ踊り「市扇雀」が地元地域の皆さんの要望に応えられました。
写真提供:中之町フラワーウェーブ
< ”堺すずめ踊り”普及活動情報 >
◆歴史と伝説 詳しくは こちらから
1. 泉州堺の石工活躍の背景 家康・宗薫・政宗 その出会いと連携 こちらから
2. 千利休切腹の背景 伊達政宗と徳川家康 こちらから
3.近世 五箇荘の領主・今井氏の活躍と伝説 こちらから
◆普及活動経緯(情報) 詳しくは こちらから
SDGs魅力情報 「堺から日本へ、世界へ!」 はこちらから