文鮮明先生御言葉選集 3-8 イエスの真の家族となろう 1957年10月18日
1957年10月18日(金)、前本部教会。
聖書拝読:マタイによる福音書10:16-42
<祈祷>
困難に直面しても、彼らを目覚めさせるために努力されたお父様! 険しいこの地上に、強烈なサタンの勢力が及んでいる中でも、彼らにお父様を求め、お父様の前で謙遜することを許してくださった恵みにまず感謝申し上げます。
今日、私たちが存在するのもお父様の努力の結果であり、私たちがお父様の子女であると誇れるのも、お父様の無限の愛の結果であることをこの時再び感じさせてください。
お父様、この夕べ、私たちは父の言葉を聞きたく集まりました。この時、愛する子供たちに父の勧めの言葉を示してください。切に願います。
今日の私たちの立場は、かつてイスラエルの60万の民が40年間の荒野の旅で暗闇の勢力と戦った時に、カナンの地の福を目の前にしても、新たな決意と覚悟を持って立ち向かったヨシュアとカレブに従わなかった時と同じです。父よ、このことを勧めてください。また、天がその時、ヨシュアとカレブに対して「強く勇んでいなさい」と強調されたその言葉が今日私たちの心に持つべき言葉であることを心に留めてください。愛する父よ、切に願います。
何百万ものサタンたちはかつて彼らを巻き込み、苦しめ、十字架を背負わせて彼らの前進を阻止しようとしていますが、彼らは一心不乱な忠臣の態度を持って、天の御心を成し遂げる誇らしい子女たちになれるように許してください。また、この時、彼らの父の前に一歩踏み入れ、「彼らが父に差し上げるべき供え物は彼らの身体であり、心だけであり、受け入れてください」と言える子女に導いてください。愛する父よ、切に願います。
お父様、この一時間も、私たちが心配していることを私たちは知っています。父よ、私たちの一生でも、暗闇の中に行かせないでください。また、今、父の喜びと栄光を歌わなければならない時が近づいていることを知っています。今日、私たちが自分の仕事を心配して進むべき道を進めないようにしてください。既に行かれた多くの聖賢たちの心情と天の心情を思いやるのに不足がないようにしてください。愛する父よ、切に願います。
お父様、今この一時間、足りないものが集まって、これまでの生活を悔い改め、再び新たな決意と覚悟で歩み出すことを望んでおります。父の無限の愛の腕の中にもっと進むことができる子女となるように許してください。愛する父よ、切に願い求めます。
残りの時間も、ただあなたが統率してくださるように願い、悪魔が乗り越えてしまわないように許してください。栄光の恵みとして私たちを保護してください。愛の手で私たちを抱きしめてください。その時、すべての言葉を主の名によって訴えます。アーメン。
<御言葉> このマタイによる福音書10章の言葉は、意味のための最後の覚悟を持ち、また、この地でサタンとの戦いを指導しなければならない重大な使命を持たれたイエス様が愛する弟子たちに最初に伝えられた言葉です。
この言葉を通じて、私たちはイエス様が非常に悲しい気持ちの中でも、弟子たちに対して無限の愛と愛情の心を持っておられたことが分かります。一方で、イエス様が選ばれたイスラエル民族に新しい福音の言葉を伝えるために弟子たちを送り出される際、去っていく弟子たちのその心情や状況も憐れまれるべきですが、送られるイエス様の心情や状況も誰にも語ることのできない難しい立場であったことを理解する必要があります。また、イエス様は何百万ものサタンと戦わなければならない弟子たちが勝利して父の栄光を歌えるように祈り、もし戦いの中でつまづいてしまい、天の心配を引き起こしてしまうかもしれないと憂慮されているときに語られた言葉であることを理解する必要があります。
この言葉はイエス様が、愛する弟子たちが最後の戦いに覚悟を持って立ち向かう歩みであったため、そこには必ず敵が現れるだろうとお分かりになり、その時に彼らと戦って勝ち、勝利の記念を呼び、彼らが父の子女であることを証明できる喜びの一時を迎えることを心から願いながら、愛する弟子たちを励まされた言葉であり、今日のあなた方はこの言葉を当時の使徒だけのための言葉として見ないでください。
すなわち、この言葉は今日のキリスト教徒が戦っていかなければならない前世の闘いを暗示する言葉であり、これまで長い歴史的過程を経て、キリストの意志を中心にこの地上に勝利の基盤を築きたいとする万民に対して語られた言葉です。
ここでイエス様の心情を推し量ると、去っていく使徒たちの信仰を懸念され、また、使徒たちが信じがたい環境に直面するだろうと感じられるときに語られた言葉であることが分かります。そのためイエス様は愛する弟子たちがサタンと戦って勝利し、父の前で栄光を返上することを願いながら、誰にも語ることのできない固い覚悟と心情で弟子たちに語られたと理解する必要があります。
また、ここで、イエス様が愛する弟子たちを送り出しつつ、「あなたたちが行くどころか、どこにも歓迎してくれる者がない」と述べられたことを思い出すべきです。これは天の子女となるために天の道を歩む者には常にサタンが狙っていることを知っていて、そのことを語られたことを理解する必要があります。さらに、イエス様が「あなたがたの行く道を遮る者は信じない異邦人でも、選ばれたイスラエル人でも、信仰を持っているユダヤ人でもなく、あなたの家族です。」と言われたことを思い起こすべきです。そして、今日のあなたがたにはたとえ持ち物がなく、天の前に差し出すものがないとしても、イエス様が述べられたその言葉の意味を理解できる人となったとすれば、そのような言葉を述べられたイエス様がどのような心情や覚悟、誓いの心を持って語られたかを考える人とならなければなりません。
この言葉をイエス様ご自身に照らしてみると、イエス様には当時この地上で互いの心情を共有できる一人の友がいなかったことが分かります。また、国があるけれども、それが自分の国ではなく、選ばれた民族があるけれども、それが自分の民族ではなく、立てられた教会があるけれども、それが自分の教会ではなかったことを示しています。
したがって、その言葉を述べられたその瞬間は、天を代わって歩まれたご自身の状況をただそのままこの地上の弟子たちに引き継ぐための瞬間であったことを理解するべきです。また、あなたがたが理解すべきことは、「キリストの真の家族とは誰か?」というのがイエス様が今日のあなたに問う内容であるということです。
この地上には多くの国があり、多くの民族があり、多くの家族があり、多くの人がいますが、その中でイエス様の真の家族はいません。ですから神様は今日までそのような人を探し出し続けておられることを理解しなければなりません。
それでは、イエス様が愛する弟子たちを敵の手に送り出された目的は何でしょうか?彼らを通じてどのような教団を築くためではなく、彼らを通じて選ばれたイスラエルの民を立て、国を築くためでもありませんでした。まず、愛する弟子たちを送り出し、天が喜ぶことのできる家族、天の御心に生きることのできる天の真の家族を見つけようとされたのです。そのため、「キリストの真の家族とは誰か?」ということが最も重要であることを心に留めておくべきです。
それでは、今あなたがたはどうすればよいでしょうか?持ち物がなく、知識がなく、誇るものがないとしても、神様があなた一人を通じて、あなたはイエス様の真の家族と言える必要があります。すなわち神様と共に永遠に住むことのできるあなたがなり、神の栄光を示す天の家族として神様が認め、イエス様が認め、あなた自身も認めることのできる姿となるべきです。それが、父が求める人、キリストが求める人、そしてあなたが望む人であることを理解しなければなりません。
では、これから私たちがイエス・キリストの前で真の家族となるためには、どのようにすればよいでしょうか?皆さんは神の前に現れた真の個人であり、唯一生まれ、すなわち天の家庭で初めて現れた天の子としてのイエス・キリストを、自分の生活領域内で迎え、共に生きることのできるイエス・キリストの家族となるべきです。
そして、神の前で、天が家庭領域で第一の者として立てられたイエス・キリストの生涯、つまり父の子として父の家で生きることのできる基準を示していたイエス・キリストの生活が、まさに私たちの生活となるべきであるということです。
イエス様は不信の地に住むイスラエル民族を再び天の腕に抱きしめるための使命を果たす神の子であることを自ら証言し、「私は天の家族です」と証言しました。
イエス様は誰が反対するかに関係なく、そのことを恐れずに父の御心を伝え、証言され、命を賭けて闘われたことを皆さんは知らなければなりません。
ですから、今日の皆さんも神の子であったイエス様がこの地上において全ての生涯を神の御心を証言するために捧げられたことと同じように、そのイエス様の心情を証明する者とならなければなりません。また、サタンと戦う者となり、神の御心をこの地上で成し遂げるために死ぬ覚悟のある者とならなければなりません。
それでは、私たちが証言する目的はどこにあり、戦う目的はどこにあり、なぜ死を覚悟しなければならないのでしょうか?それはこの地上に暗いサタンの力があり、皆さんがイエス・キリストの真の家族となれないようにしているからです。ですから、皆さんが証言しなければなりませんし、皆さんが戦わなければなりませんし、また、皆さんが御心のために死を覚悟しなければなりません。
しかし、敵は神の心を万民の前に宣言するイエス様を迫害し、イエス様の進む道を阻んだのです。つまり、イエス様一人を殺すためにサタンたちが行ったのです。ですから、イエス様はそのようなすべてのものをこの地上から追放し、滅ぼすために、夜も十分に眠ることもできず、十分に食べることもできず、サタンを従わせるために苦労されました。つまり、イエス様はサタンのすべての攻撃を阻止するために、自らの一切を犠牲にし、戦いの旗を掲げて進まれました。
ですから、今日の皆さんは、イエス様がこのように神の御心を証言するために死を厭わずに戦いの道に進まれ、十字架の道まで進まれたことを思い起こしながら、これがまさに神の子とされたイエス様の道であったことを知らなければなりません。
では、今後、私たちがイエス・キリストを信じ、希望することは何でしょうか?それは、私たちが真の神の子女となり、イエス・キリストを迎え入れ、共に生きることのできるイエス・キリストの家族となることを願うことです。ですから、今日の皆さんは、まず最初に、天の心情を代表するイエス・キリストの前で堂々と立つ人とならなければなりません。つまり、皆さん一人ひとりが、父の前で頭を垂れ、一つの領域を形成し、イエス・キリストが安らかに休むことのできる一つの塀を築き上げる、イエス・キリストの真の家族とならなければなりません。
なぜなら、当時のイエス・キリストはこの地上においても安らかに休む環境を持つ真の家族を持っていなかったため、今日の皆さんはそのようなイエス・キリストの心情を慰め、解放できる、イエス・キリストの真の家族とならなければならないからです。イエス・キリストを私の兄弟として、イエス・キリストを私の兄として、私の家庭に迎え入れ、その方の悲しみが私の悲しみであり、その方の優しさが私の優しさであり、その方の心配が私の心配であると感じ、その心配を共にすることができる心情を持たなければなりません。もし皆さんがそのような心情を持たないならば、皆さんはイエス・キリストの真の家族となることはできません。これを皆さんは覚えておいてください。
イエス・キリストはヨセフの家族で30年間、愛する兄弟たちと一緒に暮らしていましたが、その家族が天の心情を持つイエス・キリストの真の家族ではありませんでした。家庭はあったが、イエス様が望む家庭ではなかったし、イエス様が望む家族でもなかったため、イエス様はその村から追放され、別の村からも追放されざるを得なかったのです。さらにはユダヤ人から迫害を受け、イスラエルの民からも迫害を受け、今までの歴史の中でも迫害を受けてきたのです。
そのような迫害の中で、イエス様が悲しい心情を抱き、希望したのは何でしょうか?イエス様はこの地上に来て、父の心情を持ち、父の子として生き、父を迎え、父の家族として生きることを願いました。また、イエス様は愛する家族を抱き、父を慰めるだけでなく、その家族までもが父を慰められることを願ったのです。しかし、イエス様はそのような家族を持てなかったため、ユダヤ教徒やイスラエルの民全体が不信する立場に置かれることになりました。
ですから、イエス様は「狐には巣穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には頭を懸ける所がない」と述べることで、どこに頼るべきない自分の無念な心情を表現しました。そのため、今日の皆さんは、イエス様のそのような状況に同情し、彼が頭を懸ける場所がなかったという休息所を作り上げる必要があります。
しかし、もしもあなたがイエス様を迎え入れる家庭がない場合でも、少なくとも自分の心の中にでも、イエス様を迎える心を持たなければなりません。そして、イエス様を迎えて休ませる場所がない場合でも、少なくとも自分のひざの上にでもイエス様を休ませる心情を持たなければなりません。また、あなたはこれまでにこの地上で救いの意志を達成するイエス様の真の家族になることを望んでいたでしょう。ですから、今日のあなたは、イエス様が望みを持って現れる場合に、それに反対する他の要因をすべて取り除くことができなければなりません。
イエス様は天の心情を通じて、「自分の家族が敵だ」と言われました。イエス様はすべての人を家族と同じように扱い、家族と同じように育てようとしましたが、そのようなイエス様の意志を誰も知らず、信じ、頼りにしていた最も身近な人々がむしろイエス様と対立することになりました。
したがって、サタンはそれを条件にしてイエス様を十字架にかける楽しみを持つことができるようになりました。ここで、あなたは人類の生命の木としておいでになったイエス様が、そのような自分の状況を代わってくれる真の家族をどれほど望んでいたかを感じることができる人でなければなりません。
それでは、今日ここに集まったあなたがイエス様の状況と心情を理解し、イエス様と永遠に共に生きることができる家族の立場に立つためには、どうすればよいでしょうか?それをするためには、イエス様の心情を代わって持つことができなければなりません。
どんな環境、どんな状況でも、天に対して変わらず忠実であったイエス様の心情と人格を見習う人にならなければなりません。また、新しい道を開拓しなければならない使命を背負ったあなたが探し出すべきものは何でしょうか?イエス様が安らかに休まれ、楽しまれる環境を作り上げる真の家族の立場をあなたが築かなければなりません。
したがって、イエス様が「自分の家族が敵だ」と言われたのは、誰でしたか?イエス様が悲しむときに悲しむことを知らない者が敵であり、天の心情を証言するために傍に共に喜び、悲しむことができなかった者たちが敵であったことを理解しなければなりません。また、あなたはイエス様の道に向かう途中で、イエス様の母や兄弟がイエス様の真の家族となれず、敵となった事実をしっかりと理解しなければなりません。
さらに、一生懸命に心を尽くし、命を捧げて教え導いてくれた弟子、つまり3年間共に歩んだ使徒たちさえもがイエス様の真の家族となれなかったことを理解しなければなりません。イエス様が死の山、十字架の山に向かおうとしたとき、愛する弟子たちがイエス様の状況と一体化し、真の家族となれずにイエス様の敵となったことです。
したがって、今日のあなたたちは、私たちの先祖が神の心情を理解せず、神が要求する時機を見計らって神の真の家族にならなかった歴史的な事実を知らなければなりません。
ですから、今日のあなたたちは、家族という言葉を使っていますが、それは実際には恐ろしい言葉です。もしもあなたが信仰の道で間違った方向に進んでしまえば、イエス様が神の意志を証言していた立場を妨げる敵になるのです。イエス様がサタンと戦っている時に、苦労し、悩み、ため息をつかれたそのすべての心情を共感できる人物であるでしょう。
ですから、イエス様が十字架の道を歩まれる時、単に従うだけの人はイエス様の家族ではなく、十字架の道に進むまでのその心情を理解できる人こそがイエス様の家族であることをはっきりと理解しなければなりません。
そして、あなたはイエス様がこの地上においでになり、30年以上もの間、真の証人としての使命を持って現れられた時、あなたのために証言する真の家族を持てず、サタンと戦う中で一緒に戦ってくれる家族、ゴルゴダの十字架を背負って進む道に一緒に行ってくれる真の家族、さらには天に誇ることのできる真の家族を持てなかったことが、最も大きなイエス様の悲しみであったことを知らなければなりません。
では、今日のあなたたちは何をすべきでしょうか?2000年前にイエス様が神の意志を証言するために労し、今日のあなたも同じように神の意志を証言しなければなりません。また、当時のユダヤ教の宗教指導者やイスラエルの民の反対にもかかわらず、決然とした心情と覚悟を持って、サタンと対決し、天の意志の成就のために心配したイエス様の心情を持ち、代わりに意志を成就させる人とならなければなりません。
さらに進んで、天の意志を達成するために進む道を阻むすべてのものを取り除くために、生命さえも捧げる覚悟をしていたイエス様のその決然とした心情を理解できる人でなければなりません。また、自ら民族のために十字架を負うという犠牲の精神も持つべきでしょう。
また、あなたはイスラエルの民の代わりに生け贄となるだけでなく、2000年前のイエスの心情を理解し、イエスの人格を持つ人にならなければなりません。あなたはサタンの前に屈する死んだ生け贄になってはなりません。イエスの心情に共感し、神の意志を証言している間に絶望してはならず、サタンと闘って敗北する人にもなってはなりません。
したがって、終わりの日に立つあなたは、死の谷を踏み越え、敵を神の愛のふところに導く覚悟と心情を持った人にならなければなりません。
それでは、イエス様が神の大きな御心を代行し、進まれる際に、誰がイエス様の心情を悲しませたのでしょうか?イエス様と最も親しい人々がイエス様の心情を悲しませました。当時の予備されたイスラエルの人々が反対したことが悲しいことではなく、ユダヤ教の信者たちが反対したことが悲しいことでした。
3年間も一緒にいた弟子たち、愛する弟子たちが信じるべき時に信じず、証言するべき時に証言せず、戦うべき時に戦わず、死ぬべき時に死ななかったという事実がイエス様にとって最も大きな悲しみでした。これをきちんとお考えください。
それでは、あなたが天の真の家族として語るにはどうすればよいでしょうか?まず第一に、あなた一人ひとりが一つの心となって動いていかなければなりません。そして、一つの目標に向かって戦うことを知り、また、その一つの目標、すなわち神の意志を達成するために死を覚悟し、進んでいく覚悟を持つ人でなければなりません。また、イエス様が2000年前にこの地上においでになり、天の意志を全うできずに去られたことから生じたその悲しみを解消し、慰める人でなければなりません。これらすべてを成し遂げた時、あなたが天の真の家族として語ることができるということを心に留めておいてください。
それでは、今日のあなたは自らの信仰の立場で何を持つべきでしょうか?あなたは真の家族を持つ人にならなければなりません。あなたは家に戻ればその家で真の家族を持たなければならず、教会に行けばその教会で真の家族を持たなければなりませんし、社会に出ればその社会で真の家族を持たなければなりません。
また、あなたはイエス様が神を代表して証言し、神を代表してサタンと戦い、神を代表して帰られたことと同じように、そのようなイエス様のために証言し、イエス様のために戦い、イエス様のために死ぬ覚悟が必要です。
さらに、そのような立場に立った後に、自分自身を証言するもう一つの仲間を持つ人にならなければなりません。そうすれば、イエス様を証言していた使徒たちがいたように、あなたも自分自身を証言する人になることができます。
つまり、あなたが神の子娘と呼べる立場に立つためには、あなたを変わらない神の子娘として証言できる一人の仲間を持つ必要があり、あなたのために戦ってくれる仲間を持つ必要があり、あなた自身のために死んでくれる仲間を持つ必要があるということです。
そのような人になるためには、あなたはどうすればよいでしょうか?誰よりも多くの人のために犠牲の道を進む指導者にならなければなりません。つまり、多くの人のために犠牲の戦いをしなければならないということです。言い換えれば、あなたが多くの人のために犠牲の十字架を負う真の聖者になる前には、あなたを代わりに証言し、あなたを代わりに戦ってくれ、あなたのために死んでくれる人を持つことはできないということです。
イエス様が神を代表して自分を捨てる道を歩んだため、彼が証言したのは自分自身を証言したのではなく、神を証言したのであり、彼が戦ったのもまた、自分自身のために戦ったのではなく、神のために戦ったからです。また、十字架を負うことも、自分自身のためではなく、神の全体的な計画を実現するためでした。
そのため、今日まで多くの聖人たちはイエス様のために証言し、イエス様のために戦い、イエス様のために死んでいきました。したがって、今日のあなたも帰還の意志を完成させる過程で、あなたを証言し、あなたのために戦ってくれ、あなたのために死んでくれる仲間を持たなければなりません。もしもそのような仲間を持たない場合、天国の前やイエス様の前で敵対する立場になることを覚えておく必要があります。
イエス様がこの地上に来られた理由は何か?それは、自分のために死んでくれる人がいなかったからです。イエス様がこの地上で戦った理由は何か?それは、自分のために戦ってくれる人がいなかったからです。また、イエス様が自分自身を証言した理由は何か?それは、自分のために証言してくれる人がいなかったからです。
したがって、あなたはイエス様の心情を代わり、イエス様の仲間とならなければならず、自分を証言し、戦い、死ぬ覚悟のある一人の仲間を持たなければなりません。もしもそのようなあなたになれない場合、キリストの30年の生涯の中であなたが代償として、父の前に差し出せなかった恨みが残ることを覚えておく必要があります。これを心に留めておいてください。
では、今日のあなたたちにはどうすべきか?真の仲間を探し出すこの一歩において、あなたたちはイエス様が心配されていたその心配の気持ちを持ち、また神が心配されていたその心配の気持ちを持たなければなりません。さらに、仲間たちのために祈る心を持つ必要があります。また、イエス様が愛した弟子、愛した民族のために祈ったが、イエス様の愛を受け入れずに疎遠になってしまった全ての恨みを解き放ち、慰めていくあなたたちにならなければなりません。
そのため、今日のあなたがイエス様を中心とした教会や民族を建てるためには、他の人が遊んでいる時に神をサタンの前に証言することが必要ですし、他の人が知らない間にサタンと戦っていく覚悟が必要です。
では、イエス様は誰のために十字架の死を受け入れられましたか?それはもちろん愛する家族のためでした。さらに、多くの民族や人々のためでもありました。イエス様は祈る時も、自分自身のために祈るのではなく、全ての人のために祈ったのです。そして、彼が証言したことも、戦ったことも、死んだこともそうでした。
そのため、今日のあなたはそのようなイエス様の仲間になるために、全力を尽くさなければなりません。つまり、あなたは証言の道を通じて、戦いの道を通じて、死の道を通じてイエス様の真の仲間になるために、すべての努力を払って進む必要があります。
あなたは、自分の価値を決定するために、そのような仲間を持っているかどうかを知る必要があります。したがって、あなたはこれまで信じ、希望し、留まっている立場がどのようなものかを見極める必要があります。
今日、天国の意志を実現する人はその過程で敵に直面するでしょう。最初に、家庭で自分の行く手を遮る敵が現れるでしょう。つまり、あなたの家庭では、妻が教会に出ると夫が敵になり、夫が出ると妻が敵になるということです。子供が出ると親が敵になり、親が出ると子供が敵になるという状況に直面するでしょう。
では、今あなたはどのような立場にいますか?今まで持っていた家庭を失い、夫や妻を失う立場にいます。さらには、親を失わなければならない立場にもいます。そのため、今日のあなたは家族の親と一緒に真の親を見つけなければならず、あなたが真の夫または真の妻になり、さらには天国の真の家族にならなければなりません。
では、今日のあなたがそうなるためにはどうすればよいでしょうか?あなたの家庭で親が悲しんでいるなら、子供も悲しむべきであり、子供が悲しんでいるなら親も悲しむべきです。夫が悲しんでいるなら妻も悲しむべきであり、妻が悲しんでいるなら夫も悲しむべきです。
もしもあなたの家庭で、家族全員が一心同体になって天国の意志を受け入れ、その意志を実現できる環境を築けないなら、あなたたちのような不幸な人はいないでしょう。そのようになった場合、あなたは家庭から追い出され、社会からも追い出され、国からも追い出されるでしょう。そのような時に、あなたは天国の意志を中心にした家族が必要になります。
世俗の親に従っている代わりに、真の親を持つ必要があり、夫婦が互いを信じない立場から真の夫婦を形成できる家族の一員を見つけなければなりません。世俗のもので引き裂こうとしても引き裂けない、死の縁まで共に行けるような仲間関係を築く必要があります。
世俗の親でも子供が死ぬ立場なら、代わりに死ぬ愛の情を持っています。なおかつ、天国の愛で繋がったあなたたちが、世俗の家庭以上の愛を持ち、お互いに与え合う環境を築くことができないなら、あなたが滞在する場所にはイエス様が来られることも、神様が安息されることもありません。そのような時、終わりの最後の瞬間を迫られるとき、あなたはどうすればよいでしょうか?あなたは同じ教会の中でも互いの心を理解し合えず、互いの事情や気持ちを理解できないでいるといけません。それと同様に、互いの事情や気持ちを知らずに生きることが敵です。
そのため、今日のあなたは隣人に対する関心を持ち、彼の事情が自分の事情であり、彼の悲しみが自分の悲しみであると認識し、永遠で真の家族の関係を築いていく必要があります。つまり、あなたが神の愛の心を持ち、互いに一つの家族として、親子、夫婦、兄弟姉妹の立場から互いに支え合い、生きることのできる真の家族の関係を築いていくことです。
しかし、あなたが神を礼拝し、神を安息させようとする際、必ずそれを妨げる敵が現れるでしょう。これまであなたが結んできたつながりが敵に変わるということです。そして、その敵はあなたの家庭や社会、国、そしてこの世界で存在していることです。
ですから、今日のあなたは家庭や社会、国、そして世界に存在する敵を排除しながら、天国へと進んでいく重大な責任を負っています。つまり、あなたは神の計画とイエス・キリストの心を通して、一つの親を持ち家庭を築き、社会や国、世界に連なっていく重大な使命を担っているのです。
そのため、今後は家族の立場から互いに証しを与え、戦い、死に至る関係を築いていく必要があります。本当にそうしたあなたが、イエス・キリストの真の家族になることを心に留めてください。
<祈祷>
愛する父よ。今日ここに集まった子どもたち、あなたの真の家族の立場に立たせてください。
今日の私たちは自分を中心にして父の心と調和しなかったことが、その条件であなたの前で敵の立場に立つこととなったことを、この時知らせてください。
愛の父よ、今日の私たちは天国の心を理解し、その心を愛する家族に伝えるための証しの戦いをしなければならず、またそれを妨げているサタンと戦わなければなりません。また、そのようなことが実現しない場合でも、生命を捧げてでもその使命を遂行しなければならない責任が私たちにはあることを、この時知らせてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
イエス様も宇宙的な歴史を行う前に、愛する3人の弟子が問題であったように、今日の私たちの教会が一致して発展するためには、自分が隣にいる3人の家族と一体になれるかが問題であり、父よ、彼らと一体になれるように許してください。また、それがイエス様の前で真の家族になれる道であるということを、この時知らせてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
まず、私たちの心と体が一つになり、イエス様の心の代理人として、自らサタンに対して証しを立てられ、サタンと戦って死ぬ姿として、父の意志を遂行する使命を完遂しなければなりませんので、その過程で敵の策略を避けることができるように導いてください。また、私たちの教会全体が一致して、今後の民族的な敵の群れを阻止できるように助けてください。そして、さらには神の意志を中心にして三つの民族が団結し、世界的な敵を阻止できるように助けてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
もし私たち一人一人が民族のために戦い、人類のために祈り、人類のために死ぬ覚悟を持って進むならば、イエス・キリストを私たちの家庭の中心、社会・民族・世界の中心に安心して迎え入れることができます。そして、そうした私たちでなければイエス・キリストの真の家族になることはできないことを知っておりますので、愛する父よ、そうした立場に至るように導いてください。
切に願い求め、すべての言葉を主の名によってお祈り致します。アーメン。
1957年10月18日(金)、前本部教会。
聖書拝読:マタイによる福音書10:16-42
<祈祷>
困難に直面しても、彼らを目覚めさせるために努力されたお父様! 険しいこの地上に、強烈なサタンの勢力が及んでいる中でも、彼らにお父様を求め、お父様の前で謙遜することを許してくださった恵みにまず感謝申し上げます。
今日、私たちが存在するのもお父様の努力の結果であり、私たちがお父様の子女であると誇れるのも、お父様の無限の愛の結果であることをこの時再び感じさせてください。
お父様、この夕べ、私たちは父の言葉を聞きたく集まりました。この時、愛する子供たちに父の勧めの言葉を示してください。切に願います。
今日の私たちの立場は、かつてイスラエルの60万の民が40年間の荒野の旅で暗闇の勢力と戦った時に、カナンの地の福を目の前にしても、新たな決意と覚悟を持って立ち向かったヨシュアとカレブに従わなかった時と同じです。父よ、このことを勧めてください。また、天がその時、ヨシュアとカレブに対して「強く勇んでいなさい」と強調されたその言葉が今日私たちの心に持つべき言葉であることを心に留めてください。愛する父よ、切に願います。
何百万ものサタンたちはかつて彼らを巻き込み、苦しめ、十字架を背負わせて彼らの前進を阻止しようとしていますが、彼らは一心不乱な忠臣の態度を持って、天の御心を成し遂げる誇らしい子女たちになれるように許してください。また、この時、彼らの父の前に一歩踏み入れ、「彼らが父に差し上げるべき供え物は彼らの身体であり、心だけであり、受け入れてください」と言える子女に導いてください。愛する父よ、切に願います。
お父様、この一時間も、私たちが心配していることを私たちは知っています。父よ、私たちの一生でも、暗闇の中に行かせないでください。また、今、父の喜びと栄光を歌わなければならない時が近づいていることを知っています。今日、私たちが自分の仕事を心配して進むべき道を進めないようにしてください。既に行かれた多くの聖賢たちの心情と天の心情を思いやるのに不足がないようにしてください。愛する父よ、切に願います。
お父様、今この一時間、足りないものが集まって、これまでの生活を悔い改め、再び新たな決意と覚悟で歩み出すことを望んでおります。父の無限の愛の腕の中にもっと進むことができる子女となるように許してください。愛する父よ、切に願い求めます。
残りの時間も、ただあなたが統率してくださるように願い、悪魔が乗り越えてしまわないように許してください。栄光の恵みとして私たちを保護してください。愛の手で私たちを抱きしめてください。その時、すべての言葉を主の名によって訴えます。アーメン。
<御言葉> このマタイによる福音書10章の言葉は、意味のための最後の覚悟を持ち、また、この地でサタンとの戦いを指導しなければならない重大な使命を持たれたイエス様が愛する弟子たちに最初に伝えられた言葉です。
この言葉を通じて、私たちはイエス様が非常に悲しい気持ちの中でも、弟子たちに対して無限の愛と愛情の心を持っておられたことが分かります。一方で、イエス様が選ばれたイスラエル民族に新しい福音の言葉を伝えるために弟子たちを送り出される際、去っていく弟子たちのその心情や状況も憐れまれるべきですが、送られるイエス様の心情や状況も誰にも語ることのできない難しい立場であったことを理解する必要があります。また、イエス様は何百万ものサタンと戦わなければならない弟子たちが勝利して父の栄光を歌えるように祈り、もし戦いの中でつまづいてしまい、天の心配を引き起こしてしまうかもしれないと憂慮されているときに語られた言葉であることを理解する必要があります。
この言葉はイエス様が、愛する弟子たちが最後の戦いに覚悟を持って立ち向かう歩みであったため、そこには必ず敵が現れるだろうとお分かりになり、その時に彼らと戦って勝ち、勝利の記念を呼び、彼らが父の子女であることを証明できる喜びの一時を迎えることを心から願いながら、愛する弟子たちを励まされた言葉であり、今日のあなた方はこの言葉を当時の使徒だけのための言葉として見ないでください。
すなわち、この言葉は今日のキリスト教徒が戦っていかなければならない前世の闘いを暗示する言葉であり、これまで長い歴史的過程を経て、キリストの意志を中心にこの地上に勝利の基盤を築きたいとする万民に対して語られた言葉です。
ここでイエス様の心情を推し量ると、去っていく使徒たちの信仰を懸念され、また、使徒たちが信じがたい環境に直面するだろうと感じられるときに語られた言葉であることが分かります。そのためイエス様は愛する弟子たちがサタンと戦って勝利し、父の前で栄光を返上することを願いながら、誰にも語ることのできない固い覚悟と心情で弟子たちに語られたと理解する必要があります。
また、ここで、イエス様が愛する弟子たちを送り出しつつ、「あなたたちが行くどころか、どこにも歓迎してくれる者がない」と述べられたことを思い出すべきです。これは天の子女となるために天の道を歩む者には常にサタンが狙っていることを知っていて、そのことを語られたことを理解する必要があります。さらに、イエス様が「あなたがたの行く道を遮る者は信じない異邦人でも、選ばれたイスラエル人でも、信仰を持っているユダヤ人でもなく、あなたの家族です。」と言われたことを思い起こすべきです。そして、今日のあなたがたにはたとえ持ち物がなく、天の前に差し出すものがないとしても、イエス様が述べられたその言葉の意味を理解できる人となったとすれば、そのような言葉を述べられたイエス様がどのような心情や覚悟、誓いの心を持って語られたかを考える人とならなければなりません。
この言葉をイエス様ご自身に照らしてみると、イエス様には当時この地上で互いの心情を共有できる一人の友がいなかったことが分かります。また、国があるけれども、それが自分の国ではなく、選ばれた民族があるけれども、それが自分の民族ではなく、立てられた教会があるけれども、それが自分の教会ではなかったことを示しています。
したがって、その言葉を述べられたその瞬間は、天を代わって歩まれたご自身の状況をただそのままこの地上の弟子たちに引き継ぐための瞬間であったことを理解するべきです。また、あなたがたが理解すべきことは、「キリストの真の家族とは誰か?」というのがイエス様が今日のあなたに問う内容であるということです。
この地上には多くの国があり、多くの民族があり、多くの家族があり、多くの人がいますが、その中でイエス様の真の家族はいません。ですから神様は今日までそのような人を探し出し続けておられることを理解しなければなりません。
それでは、イエス様が愛する弟子たちを敵の手に送り出された目的は何でしょうか?彼らを通じてどのような教団を築くためではなく、彼らを通じて選ばれたイスラエルの民を立て、国を築くためでもありませんでした。まず、愛する弟子たちを送り出し、天が喜ぶことのできる家族、天の御心に生きることのできる天の真の家族を見つけようとされたのです。そのため、「キリストの真の家族とは誰か?」ということが最も重要であることを心に留めておくべきです。
それでは、今あなたがたはどうすればよいでしょうか?持ち物がなく、知識がなく、誇るものがないとしても、神様があなた一人を通じて、あなたはイエス様の真の家族と言える必要があります。すなわち神様と共に永遠に住むことのできるあなたがなり、神の栄光を示す天の家族として神様が認め、イエス様が認め、あなた自身も認めることのできる姿となるべきです。それが、父が求める人、キリストが求める人、そしてあなたが望む人であることを理解しなければなりません。
では、これから私たちがイエス・キリストの前で真の家族となるためには、どのようにすればよいでしょうか?皆さんは神の前に現れた真の個人であり、唯一生まれ、すなわち天の家庭で初めて現れた天の子としてのイエス・キリストを、自分の生活領域内で迎え、共に生きることのできるイエス・キリストの家族となるべきです。
そして、神の前で、天が家庭領域で第一の者として立てられたイエス・キリストの生涯、つまり父の子として父の家で生きることのできる基準を示していたイエス・キリストの生活が、まさに私たちの生活となるべきであるということです。
イエス様は不信の地に住むイスラエル民族を再び天の腕に抱きしめるための使命を果たす神の子であることを自ら証言し、「私は天の家族です」と証言しました。
イエス様は誰が反対するかに関係なく、そのことを恐れずに父の御心を伝え、証言され、命を賭けて闘われたことを皆さんは知らなければなりません。
ですから、今日の皆さんも神の子であったイエス様がこの地上において全ての生涯を神の御心を証言するために捧げられたことと同じように、そのイエス様の心情を証明する者とならなければなりません。また、サタンと戦う者となり、神の御心をこの地上で成し遂げるために死ぬ覚悟のある者とならなければなりません。
それでは、私たちが証言する目的はどこにあり、戦う目的はどこにあり、なぜ死を覚悟しなければならないのでしょうか?それはこの地上に暗いサタンの力があり、皆さんがイエス・キリストの真の家族となれないようにしているからです。ですから、皆さんが証言しなければなりませんし、皆さんが戦わなければなりませんし、また、皆さんが御心のために死を覚悟しなければなりません。
しかし、敵は神の心を万民の前に宣言するイエス様を迫害し、イエス様の進む道を阻んだのです。つまり、イエス様一人を殺すためにサタンたちが行ったのです。ですから、イエス様はそのようなすべてのものをこの地上から追放し、滅ぼすために、夜も十分に眠ることもできず、十分に食べることもできず、サタンを従わせるために苦労されました。つまり、イエス様はサタンのすべての攻撃を阻止するために、自らの一切を犠牲にし、戦いの旗を掲げて進まれました。
ですから、今日の皆さんは、イエス様がこのように神の御心を証言するために死を厭わずに戦いの道に進まれ、十字架の道まで進まれたことを思い起こしながら、これがまさに神の子とされたイエス様の道であったことを知らなければなりません。
では、今後、私たちがイエス・キリストを信じ、希望することは何でしょうか?それは、私たちが真の神の子女となり、イエス・キリストを迎え入れ、共に生きることのできるイエス・キリストの家族となることを願うことです。ですから、今日の皆さんは、まず最初に、天の心情を代表するイエス・キリストの前で堂々と立つ人とならなければなりません。つまり、皆さん一人ひとりが、父の前で頭を垂れ、一つの領域を形成し、イエス・キリストが安らかに休むことのできる一つの塀を築き上げる、イエス・キリストの真の家族とならなければなりません。
なぜなら、当時のイエス・キリストはこの地上においても安らかに休む環境を持つ真の家族を持っていなかったため、今日の皆さんはそのようなイエス・キリストの心情を慰め、解放できる、イエス・キリストの真の家族とならなければならないからです。イエス・キリストを私の兄弟として、イエス・キリストを私の兄として、私の家庭に迎え入れ、その方の悲しみが私の悲しみであり、その方の優しさが私の優しさであり、その方の心配が私の心配であると感じ、その心配を共にすることができる心情を持たなければなりません。もし皆さんがそのような心情を持たないならば、皆さんはイエス・キリストの真の家族となることはできません。これを皆さんは覚えておいてください。
イエス・キリストはヨセフの家族で30年間、愛する兄弟たちと一緒に暮らしていましたが、その家族が天の心情を持つイエス・キリストの真の家族ではありませんでした。家庭はあったが、イエス様が望む家庭ではなかったし、イエス様が望む家族でもなかったため、イエス様はその村から追放され、別の村からも追放されざるを得なかったのです。さらにはユダヤ人から迫害を受け、イスラエルの民からも迫害を受け、今までの歴史の中でも迫害を受けてきたのです。
そのような迫害の中で、イエス様が悲しい心情を抱き、希望したのは何でしょうか?イエス様はこの地上に来て、父の心情を持ち、父の子として生き、父を迎え、父の家族として生きることを願いました。また、イエス様は愛する家族を抱き、父を慰めるだけでなく、その家族までもが父を慰められることを願ったのです。しかし、イエス様はそのような家族を持てなかったため、ユダヤ教徒やイスラエルの民全体が不信する立場に置かれることになりました。
ですから、イエス様は「狐には巣穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には頭を懸ける所がない」と述べることで、どこに頼るべきない自分の無念な心情を表現しました。そのため、今日の皆さんは、イエス様のそのような状況に同情し、彼が頭を懸ける場所がなかったという休息所を作り上げる必要があります。
しかし、もしもあなたがイエス様を迎え入れる家庭がない場合でも、少なくとも自分の心の中にでも、イエス様を迎える心を持たなければなりません。そして、イエス様を迎えて休ませる場所がない場合でも、少なくとも自分のひざの上にでもイエス様を休ませる心情を持たなければなりません。また、あなたはこれまでにこの地上で救いの意志を達成するイエス様の真の家族になることを望んでいたでしょう。ですから、今日のあなたは、イエス様が望みを持って現れる場合に、それに反対する他の要因をすべて取り除くことができなければなりません。
イエス様は天の心情を通じて、「自分の家族が敵だ」と言われました。イエス様はすべての人を家族と同じように扱い、家族と同じように育てようとしましたが、そのようなイエス様の意志を誰も知らず、信じ、頼りにしていた最も身近な人々がむしろイエス様と対立することになりました。
したがって、サタンはそれを条件にしてイエス様を十字架にかける楽しみを持つことができるようになりました。ここで、あなたは人類の生命の木としておいでになったイエス様が、そのような自分の状況を代わってくれる真の家族をどれほど望んでいたかを感じることができる人でなければなりません。
それでは、今日ここに集まったあなたがイエス様の状況と心情を理解し、イエス様と永遠に共に生きることができる家族の立場に立つためには、どうすればよいでしょうか?それをするためには、イエス様の心情を代わって持つことができなければなりません。
どんな環境、どんな状況でも、天に対して変わらず忠実であったイエス様の心情と人格を見習う人にならなければなりません。また、新しい道を開拓しなければならない使命を背負ったあなたが探し出すべきものは何でしょうか?イエス様が安らかに休まれ、楽しまれる環境を作り上げる真の家族の立場をあなたが築かなければなりません。
したがって、イエス様が「自分の家族が敵だ」と言われたのは、誰でしたか?イエス様が悲しむときに悲しむことを知らない者が敵であり、天の心情を証言するために傍に共に喜び、悲しむことができなかった者たちが敵であったことを理解しなければなりません。また、あなたはイエス様の道に向かう途中で、イエス様の母や兄弟がイエス様の真の家族となれず、敵となった事実をしっかりと理解しなければなりません。
さらに、一生懸命に心を尽くし、命を捧げて教え導いてくれた弟子、つまり3年間共に歩んだ使徒たちさえもがイエス様の真の家族となれなかったことを理解しなければなりません。イエス様が死の山、十字架の山に向かおうとしたとき、愛する弟子たちがイエス様の状況と一体化し、真の家族となれずにイエス様の敵となったことです。
したがって、今日のあなたたちは、私たちの先祖が神の心情を理解せず、神が要求する時機を見計らって神の真の家族にならなかった歴史的な事実を知らなければなりません。
ですから、今日のあなたたちは、家族という言葉を使っていますが、それは実際には恐ろしい言葉です。もしもあなたが信仰の道で間違った方向に進んでしまえば、イエス様が神の意志を証言していた立場を妨げる敵になるのです。イエス様がサタンと戦っている時に、苦労し、悩み、ため息をつかれたそのすべての心情を共感できる人物であるでしょう。
ですから、イエス様が十字架の道を歩まれる時、単に従うだけの人はイエス様の家族ではなく、十字架の道に進むまでのその心情を理解できる人こそがイエス様の家族であることをはっきりと理解しなければなりません。
そして、あなたはイエス様がこの地上においでになり、30年以上もの間、真の証人としての使命を持って現れられた時、あなたのために証言する真の家族を持てず、サタンと戦う中で一緒に戦ってくれる家族、ゴルゴダの十字架を背負って進む道に一緒に行ってくれる真の家族、さらには天に誇ることのできる真の家族を持てなかったことが、最も大きなイエス様の悲しみであったことを知らなければなりません。
では、今日のあなたたちは何をすべきでしょうか?2000年前にイエス様が神の意志を証言するために労し、今日のあなたも同じように神の意志を証言しなければなりません。また、当時のユダヤ教の宗教指導者やイスラエルの民の反対にもかかわらず、決然とした心情と覚悟を持って、サタンと対決し、天の意志の成就のために心配したイエス様の心情を持ち、代わりに意志を成就させる人とならなければなりません。
さらに進んで、天の意志を達成するために進む道を阻むすべてのものを取り除くために、生命さえも捧げる覚悟をしていたイエス様のその決然とした心情を理解できる人でなければなりません。また、自ら民族のために十字架を負うという犠牲の精神も持つべきでしょう。
また、あなたはイスラエルの民の代わりに生け贄となるだけでなく、2000年前のイエスの心情を理解し、イエスの人格を持つ人にならなければなりません。あなたはサタンの前に屈する死んだ生け贄になってはなりません。イエスの心情に共感し、神の意志を証言している間に絶望してはならず、サタンと闘って敗北する人にもなってはなりません。
したがって、終わりの日に立つあなたは、死の谷を踏み越え、敵を神の愛のふところに導く覚悟と心情を持った人にならなければなりません。
それでは、イエス様が神の大きな御心を代行し、進まれる際に、誰がイエス様の心情を悲しませたのでしょうか?イエス様と最も親しい人々がイエス様の心情を悲しませました。当時の予備されたイスラエルの人々が反対したことが悲しいことではなく、ユダヤ教の信者たちが反対したことが悲しいことでした。
3年間も一緒にいた弟子たち、愛する弟子たちが信じるべき時に信じず、証言するべき時に証言せず、戦うべき時に戦わず、死ぬべき時に死ななかったという事実がイエス様にとって最も大きな悲しみでした。これをきちんとお考えください。
それでは、あなたが天の真の家族として語るにはどうすればよいでしょうか?まず第一に、あなた一人ひとりが一つの心となって動いていかなければなりません。そして、一つの目標に向かって戦うことを知り、また、その一つの目標、すなわち神の意志を達成するために死を覚悟し、進んでいく覚悟を持つ人でなければなりません。また、イエス様が2000年前にこの地上においでになり、天の意志を全うできずに去られたことから生じたその悲しみを解消し、慰める人でなければなりません。これらすべてを成し遂げた時、あなたが天の真の家族として語ることができるということを心に留めておいてください。
それでは、今日のあなたは自らの信仰の立場で何を持つべきでしょうか?あなたは真の家族を持つ人にならなければなりません。あなたは家に戻ればその家で真の家族を持たなければならず、教会に行けばその教会で真の家族を持たなければなりませんし、社会に出ればその社会で真の家族を持たなければなりません。
また、あなたはイエス様が神を代表して証言し、神を代表してサタンと戦い、神を代表して帰られたことと同じように、そのようなイエス様のために証言し、イエス様のために戦い、イエス様のために死ぬ覚悟が必要です。
さらに、そのような立場に立った後に、自分自身を証言するもう一つの仲間を持つ人にならなければなりません。そうすれば、イエス様を証言していた使徒たちがいたように、あなたも自分自身を証言する人になることができます。
つまり、あなたが神の子娘と呼べる立場に立つためには、あなたを変わらない神の子娘として証言できる一人の仲間を持つ必要があり、あなたのために戦ってくれる仲間を持つ必要があり、あなた自身のために死んでくれる仲間を持つ必要があるということです。
そのような人になるためには、あなたはどうすればよいでしょうか?誰よりも多くの人のために犠牲の道を進む指導者にならなければなりません。つまり、多くの人のために犠牲の戦いをしなければならないということです。言い換えれば、あなたが多くの人のために犠牲の十字架を負う真の聖者になる前には、あなたを代わりに証言し、あなたを代わりに戦ってくれ、あなたのために死んでくれる人を持つことはできないということです。
イエス様が神を代表して自分を捨てる道を歩んだため、彼が証言したのは自分自身を証言したのではなく、神を証言したのであり、彼が戦ったのもまた、自分自身のために戦ったのではなく、神のために戦ったからです。また、十字架を負うことも、自分自身のためではなく、神の全体的な計画を実現するためでした。
そのため、今日まで多くの聖人たちはイエス様のために証言し、イエス様のために戦い、イエス様のために死んでいきました。したがって、今日のあなたも帰還の意志を完成させる過程で、あなたを証言し、あなたのために戦ってくれ、あなたのために死んでくれる仲間を持たなければなりません。もしもそのような仲間を持たない場合、天国の前やイエス様の前で敵対する立場になることを覚えておく必要があります。
イエス様がこの地上に来られた理由は何か?それは、自分のために死んでくれる人がいなかったからです。イエス様がこの地上で戦った理由は何か?それは、自分のために戦ってくれる人がいなかったからです。また、イエス様が自分自身を証言した理由は何か?それは、自分のために証言してくれる人がいなかったからです。
したがって、あなたはイエス様の心情を代わり、イエス様の仲間とならなければならず、自分を証言し、戦い、死ぬ覚悟のある一人の仲間を持たなければなりません。もしもそのようなあなたになれない場合、キリストの30年の生涯の中であなたが代償として、父の前に差し出せなかった恨みが残ることを覚えておく必要があります。これを心に留めておいてください。
では、今日のあなたたちにはどうすべきか?真の仲間を探し出すこの一歩において、あなたたちはイエス様が心配されていたその心配の気持ちを持ち、また神が心配されていたその心配の気持ちを持たなければなりません。さらに、仲間たちのために祈る心を持つ必要があります。また、イエス様が愛した弟子、愛した民族のために祈ったが、イエス様の愛を受け入れずに疎遠になってしまった全ての恨みを解き放ち、慰めていくあなたたちにならなければなりません。
そのため、今日のあなたがイエス様を中心とした教会や民族を建てるためには、他の人が遊んでいる時に神をサタンの前に証言することが必要ですし、他の人が知らない間にサタンと戦っていく覚悟が必要です。
では、イエス様は誰のために十字架の死を受け入れられましたか?それはもちろん愛する家族のためでした。さらに、多くの民族や人々のためでもありました。イエス様は祈る時も、自分自身のために祈るのではなく、全ての人のために祈ったのです。そして、彼が証言したことも、戦ったことも、死んだこともそうでした。
そのため、今日のあなたはそのようなイエス様の仲間になるために、全力を尽くさなければなりません。つまり、あなたは証言の道を通じて、戦いの道を通じて、死の道を通じてイエス様の真の仲間になるために、すべての努力を払って進む必要があります。
あなたは、自分の価値を決定するために、そのような仲間を持っているかどうかを知る必要があります。したがって、あなたはこれまで信じ、希望し、留まっている立場がどのようなものかを見極める必要があります。
今日、天国の意志を実現する人はその過程で敵に直面するでしょう。最初に、家庭で自分の行く手を遮る敵が現れるでしょう。つまり、あなたの家庭では、妻が教会に出ると夫が敵になり、夫が出ると妻が敵になるということです。子供が出ると親が敵になり、親が出ると子供が敵になるという状況に直面するでしょう。
では、今あなたはどのような立場にいますか?今まで持っていた家庭を失い、夫や妻を失う立場にいます。さらには、親を失わなければならない立場にもいます。そのため、今日のあなたは家族の親と一緒に真の親を見つけなければならず、あなたが真の夫または真の妻になり、さらには天国の真の家族にならなければなりません。
では、今日のあなたがそうなるためにはどうすればよいでしょうか?あなたの家庭で親が悲しんでいるなら、子供も悲しむべきであり、子供が悲しんでいるなら親も悲しむべきです。夫が悲しんでいるなら妻も悲しむべきであり、妻が悲しんでいるなら夫も悲しむべきです。
もしもあなたの家庭で、家族全員が一心同体になって天国の意志を受け入れ、その意志を実現できる環境を築けないなら、あなたたちのような不幸な人はいないでしょう。そのようになった場合、あなたは家庭から追い出され、社会からも追い出され、国からも追い出されるでしょう。そのような時に、あなたは天国の意志を中心にした家族が必要になります。
世俗の親に従っている代わりに、真の親を持つ必要があり、夫婦が互いを信じない立場から真の夫婦を形成できる家族の一員を見つけなければなりません。世俗のもので引き裂こうとしても引き裂けない、死の縁まで共に行けるような仲間関係を築く必要があります。
世俗の親でも子供が死ぬ立場なら、代わりに死ぬ愛の情を持っています。なおかつ、天国の愛で繋がったあなたたちが、世俗の家庭以上の愛を持ち、お互いに与え合う環境を築くことができないなら、あなたが滞在する場所にはイエス様が来られることも、神様が安息されることもありません。そのような時、終わりの最後の瞬間を迫られるとき、あなたはどうすればよいでしょうか?あなたは同じ教会の中でも互いの心を理解し合えず、互いの事情や気持ちを理解できないでいるといけません。それと同様に、互いの事情や気持ちを知らずに生きることが敵です。
そのため、今日のあなたは隣人に対する関心を持ち、彼の事情が自分の事情であり、彼の悲しみが自分の悲しみであると認識し、永遠で真の家族の関係を築いていく必要があります。つまり、あなたが神の愛の心を持ち、互いに一つの家族として、親子、夫婦、兄弟姉妹の立場から互いに支え合い、生きることのできる真の家族の関係を築いていくことです。
しかし、あなたが神を礼拝し、神を安息させようとする際、必ずそれを妨げる敵が現れるでしょう。これまであなたが結んできたつながりが敵に変わるということです。そして、その敵はあなたの家庭や社会、国、そしてこの世界で存在していることです。
ですから、今日のあなたは家庭や社会、国、そして世界に存在する敵を排除しながら、天国へと進んでいく重大な責任を負っています。つまり、あなたは神の計画とイエス・キリストの心を通して、一つの親を持ち家庭を築き、社会や国、世界に連なっていく重大な使命を担っているのです。
そのため、今後は家族の立場から互いに証しを与え、戦い、死に至る関係を築いていく必要があります。本当にそうしたあなたが、イエス・キリストの真の家族になることを心に留めてください。
<祈祷>
愛する父よ。今日ここに集まった子どもたち、あなたの真の家族の立場に立たせてください。
今日の私たちは自分を中心にして父の心と調和しなかったことが、その条件であなたの前で敵の立場に立つこととなったことを、この時知らせてください。
愛の父よ、今日の私たちは天国の心を理解し、その心を愛する家族に伝えるための証しの戦いをしなければならず、またそれを妨げているサタンと戦わなければなりません。また、そのようなことが実現しない場合でも、生命を捧げてでもその使命を遂行しなければならない責任が私たちにはあることを、この時知らせてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
イエス様も宇宙的な歴史を行う前に、愛する3人の弟子が問題であったように、今日の私たちの教会が一致して発展するためには、自分が隣にいる3人の家族と一体になれるかが問題であり、父よ、彼らと一体になれるように許してください。また、それがイエス様の前で真の家族になれる道であるということを、この時知らせてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
まず、私たちの心と体が一つになり、イエス様の心の代理人として、自らサタンに対して証しを立てられ、サタンと戦って死ぬ姿として、父の意志を遂行する使命を完遂しなければなりませんので、その過程で敵の策略を避けることができるように導いてください。また、私たちの教会全体が一致して、今後の民族的な敵の群れを阻止できるように助けてください。そして、さらには神の意志を中心にして三つの民族が団結し、世界的な敵を阻止できるように助けてください。愛する父よ、熱心に願い求めます。
もし私たち一人一人が民族のために戦い、人類のために祈り、人類のために死ぬ覚悟を持って進むならば、イエス・キリストを私たちの家庭の中心、社会・民族・世界の中心に安心して迎え入れることができます。そして、そうした私たちでなければイエス・キリストの真の家族になることはできないことを知っておりますので、愛する父よ、そうした立場に至るように導いてください。
切に願い求め、すべての言葉を主の名によってお祈り致します。アーメン。
文鮮明先生の言葉選集 3 - 9. 裏切る者にならないように (1957年10月20日)
1957年10月20日(日)、全本部教会。
英所拝読:マタイによる福音書23:29-39
お父様、この時、ここに集まった子どもたち、自らが父の尊い子であることを知らず、ただ日々を過ごすことでこれまで生きてきた様子をお許しください。
お父様でなければ彼らを慰めることもできないし、あなたの栄光を彼らに許すこともできないことを知っている私たち、もしかすると私たちの心が罪悪に染まって自分を主張することはありませんか?自分を中心に動いたことが天倫を背叛した行動となった歴史的な事実を私たちは知っていますので、この時のすべてを父の前に差し出し、聖霊の賜物を受けることができるように許してください、愛するお父様、切に願います。
それによってまず私たちの心がお父様の心に、私たちの身体がお父様の身体に表現されるように許してください。お父様の動く心が私たちの心を代わり、お父様が要求する望みが私たちの望みを代わり、願われる意志のために戦うその心の中にも今日私たちの戦いの心が共にすることを許してください、不屈の精神でただお父様の意志だけを受け入れて奉仕できるように祝福してください、愛する父よ、切に願います。
1957年10月20日(日)、全本部教会。
英所拝読:マタイによる福音書23:29-39
お父様、この時、ここに集まった子どもたち、自らが父の尊い子であることを知らず、ただ日々を過ごすことでこれまで生きてきた様子をお許しください。
お父様でなければ彼らを慰めることもできないし、あなたの栄光を彼らに許すこともできないことを知っている私たち、もしかすると私たちの心が罪悪に染まって自分を主張することはありませんか?自分を中心に動いたことが天倫を背叛した行動となった歴史的な事実を私たちは知っていますので、この時のすべてを父の前に差し出し、聖霊の賜物を受けることができるように許してください、愛するお父様、切に願います。
それによってまず私たちの心がお父様の心に、私たちの身体がお父様の身体に表現されるように許してください。お父様の動く心が私たちの心を代わり、お父様が要求する望みが私たちの望みを代わり、願われる意志のために戦うその心の中にも今日私たちの戦いの心が共にすることを許してください、不屈の精神でただお父様の意志だけを受け入れて奉仕できるように祝福してください、愛する父よ、切に願います。
これまで生きてきた私たちの生活は邪悪なものであり、不正な罪悪の中で脱出できなかったことを知っているので、今や私たちは、時間と空間を超えた絶対的な価値を求めさせ、一つの中心を通じてその価値を示そうとするその意志の前に自分のすべてを捧げることができるように許してください。
また、その意志の前に私たちの心が活動できる相対基準を形成し、天の栄光をそのままから歌う喜びを持つことができるように許してください、愛するお父様、切に願います。
今日まで人間のために努力してきた父の苦労の歴史を私たちが知り、また最初にこの地に来た数多くの先祖が父の意志のために流した血痕を私たちが守り、お父様の前で愛され、サタンの前で誇示できる子供になることを許してください、お父様、切に願います。
今でもお父様の御心に自ら感謝することを知らない者がいるでしょうか? お父様! そうした者がいるならば、慈悲の手で包み込んでください。復活の全能で彼らの心を屈服させ、お父様の前で悔い改める心を持たせてください。また、お父様の前で謙遜に感謝する心を持たせてください。お願いします、お父様、切に願います。
今、お話を拝聴したいと思いますので、お父様、この聴衆をお預かりください。長い間、お父様が悲しい心で彼らを訴えてきたことを知っていますので、その訴えに顔を背ける者にならせないでください。また、自分たちが不足してお父様の御心を阻むことがないように許してください。自分たちが未熟でお父様の御心に背く立場に立たないように導いてください。愛するお父様、切に願います。
この時、父子聖霊が主導してください、私たちが自ら立てたすべてをお父様の前に差し出し、お父様の望まれる御心に従って動くことを許してください。
そのようにして、感謝の美徳を父の前に捧げるその一身一心となることを許してください、愛するお父様、切に願います。この時、イエス様が30年以上も血の汗を流し、あらゆる労苦をもって弟子たちを愛されましたが、結局、彼らの裏切りのために十字架に戻られざるを得なかったその悲しい事実をこの時、再び感じることができますように、お願いします。
今まで天を信じて歩んできた私たちが、最後まで不変の忠誠を父の前に捧げる様子となれるように許してください。お父様の前に栄光の実として現れるように許してください、お父様、切に願います。
サタンが潜んでいるこの場所とならないように許してください。何百万ものサタンがこの場所を狙っているかもしれませんが、自分が父の前に捧げる生け贄としてこの時間を許してください。
サタンが潜んでいるこの場所とならないように許してください。何百万ものサタンがこの場所を狙っているかもしれませんが、自分が父の前に捧げる生け贄としてこの時間を許してください。
お父様、この時間も孤独な家族が各地に散ってお父様の前にひざまずいて祈っていることを知っていますので、集まる場所ごとにお父様の勝利の栄光が共にあるように許してください。驚異的な父の栄光が彼らの身心に満ち溢れ、お父様の子供となったことを感謝しながら、お父様の前に栄光を捧げることができる子供たちとなるように祝福してください、切に願います。すべての言葉は主の名によってお祈り致しました。アーメン。
<御言葉>
今日のこの時間に、皆さんと一緒に少し考えようとする説教の題目は「裏切る者にならないように」です。
現代の私たちが生活している環境は、神の律法を見つけて築くには非常に難しい環境です。また、一人の友人を見つけて永遠の友情の関係を築きながら、生涯を通じて永遠の命の喜びを共に楽しむことができるような友人を持つことは非常に困難です。
友人だけでなく、家庭でも永遠に共に生きることのできる夫婦や、永遠に共に生きることのできる両親、兄弟を持つことが難しい世の中にいることを、皆さんはよくご存知でしょう。
私たちの心を見つめると、私の心が変わらず、私が生活している環境のすべてが変わらない中で、驚くべき大きな理念の中で共に生きることを人間は今も切望しています。
本来、人間は互いに永遠に信頼し、永遠に頼ることができ、また永遠に愛する心を持ち、自分のすべてを他者に託し、自分のすべての良いことを他者に自慢することができる環境の中で生きるようにされています。
しかし、そのような環境を失ってしまったことで、それを再び見つけ出さなければならない運命を背負うことになりました。この事実は偶然の歴史によってもたらされたものではありません。ここには私たちが知らない折り返しがあるのです。
今まで歴史を経てきた私たちの先祖たちが、絶対的な神の原則を破った条件や、私たちが知らない、犯された暗闇の条件があるために、それが今日の皆さんの血肉を抑えつけ、同時に皆さんの生活環境まで抑えつけていることを、皆さんは知るべきです。
では、このような立場にある現代の私たちはどうすればよいのでしょうか?本来、人間が持っているべき本質的な理念を中心に据え、不変の神の姿を持ち、永遠の理念を私の理念とし、永遠の神を私の神として生活領域内で示さなければなりません。そして自分の生涯を超えて永遠に楽しむことができるその日を迎えることです。今日、多くの人々がまさにそのような日を切望して探しています。
では、私たちはどのような存在なのでしょうか?それはまだ堕落の系譜から抜け出せていない存在です。つまり、罪の縁から解放されていない私たちということです。ですから、今日の皆さんには罪の枷から解放されなければならない責任が残っています。
これまでの自分の誤った生活を反省しなければなりませんし、誤りの連続を阻止しなければなりません。私たちが楽しむことができる環境と、私たちが楽しむことができる生の理念を見つけない限り、私たちにはまだ残されている運命を知らなければなりません。
私たちがこのような立場にあるのは、皆が堕落しているからです。その堕落とは何を意味するのでしょうか?人間が永遠に変わり得ない中心体として、信仰の目的を完遂した理念の中心体として、または万物に対して永遠の中心存在として現れなかったことです。
つまり、互いに変わり得ず、分かれることのない人間と神との関係が分かれ、変化することが堕落なのです。それが今日まで私たちに残されている悲しみです。人間が悲しみを持つのは、天が立てた原則を自ら捨てたからです。すなわち、人間が神が立ててくださった創造の原則を中心に据え、この地上に神を代わりの中心存在として現れなければならないその意志を信じずに破壊したために、悲しみを持つようになったのです。
では、今日の私自身、つまり私の身体と心を通じて現れる私の生活全般が、神と共に絶対的な善と絶対的な正義を代わりにしなかったことを感じるとき、自分が悲しむべきは何でしょうか?私の身体と心が神を裏切った裏切りの痕跡が残っていることに悲しみを持つべきです。
人間が天道を裏切らなければ、裏切りという名詞、不信という名詞は存在しなかったでしょう。神と切り離せない父子関係を築くべきアダムとイブが天の意志を裏切ったこの一事実が、今日の宇宙の悲しみであり、歴史上のすべての人生の悲しみとなって残っています。そして、それが今日も私の心と身体の悲しみとして残っていることを、皆さんは明確に知るべきです。
今、皆さんはこのような歴史的な条件を持っている自分を父の前に差し出して、敵に立ち向かわなければなりません。さらに、自分の生活環境と戦わなければならず、この地上のすべての闇の権力に立ち向かわなければなりません。皆さんはまさにこのような生の運命を背負っていることを知るべきです。
では、今日の自分の姿を立てて神の絶対的な律法を探して進もうとするとき、自分も知らず知らずのうちに裏切りの立場を取るのをどうすれば防ぐことができるでしょうか?血縁的に結びついており、心と生活と社会環境全体がこのような背景を持っていることをどうすれば突破して進めるでしょうか。これが問題です。
神が人間を創造された後、6000年の歴史の中で神の摂理に従ってこられたことを、皆さんはご存知でしょう。その過程で、多くの先賢たちを遣わして彼らを信じさせ、永遠に変わらない絆を結ぼうと努められたことも、また、皆さんはよくご存知です。
では、その神の心情はどうでしょうか?神は無限に人間を愛しようとされました。そのため、神は今まで人間のために裏方で尽力されているのです。ですから、今日の皆さんは、何千年もの歴史の過程を耐え忍んで捨てられなかった神の内なる悲しみ、永遠に変わらない人間として神の永遠の意志を代表して立ち上がる人を探し出そうとしている神の内なる悲しみを理解し、考察することが必要です。
神とはどのような存在でしょうか?6000年もの間、辛抱強く人間に天を信じる信仰の条件を設けるよう努められた方です。人間が堕落した後、今日まで誰一人として神を裏切らなかった立場から、彼らを許し、抱きしめなければならない悲しい心情を持っておられる神です。これを皆さんは確かに理解しなければなりません。
では、私たちが信じている父と私たちが敬うイエス、そのイエスと父がこれまで数え切れないほど裏切られながらも信じ、信じ続けた心情を知る人がいるでしょうか。その人は社会的であり、国家的であり、歴史的なあらゆる裏切りの条件を踏み越えて、父と直接協議できる資格を持つ者となるでしょう。皆さんがそのような人になるためには、皆さんは神の心情を正確に理解する必要があります。
神が信用しない人々を今まで容認してきた心情を知る人が、この地上に何人いるでしょうか?今日この時間に集まった皆さんは、神のその心情を感じることが重要です。裏切る人々を見据えても耐え忍び、彼らを再び受け入れる神の優しい気持ちを感じなければなりません。
今まで何千年もの歴史の中で裏切られながらも耐え忍んで人間を愛し信じてきた神の心情を知る人でなければ、皆さんは歴史的な裏切りのノウジョンを打破することはできません。
では、人類の歴史の過程で人間が神を裏切ったのはどこから始まったのでしょうか?最初にアダムとイヴが、家庭を単位として神の愛の支配権を裏切ったことから始まりました。神の創造思想を設けるべきアダムが、天使長によって堕落し、天の意志を信じなくなったことから、裏切りの歴史が始まったことを、皆さんは知らなければなりません。
これまでの歴史の中で、神は信じられる一人の人を再び見つけて立てようとして、ノアを選ばれました。神はノアに120年間努力させ、神の御心を成し遂げようとしましたが、彼も達成しませんでした。そのため、その御心はノアの後、歴代の信仰の先祖たちを経て、モーセに伝えられました。
神はアダムの家族が堕落し、地上の多くの民族が乱れたため、その多くの民族の中から信じられる一つのイスラエルの民族を選び、その中からモーセを選んで立てました。しかし、神がモーセを通して不変の律法を確立したにもかかわらず、モーセに従っていたその民族は神を裏切りました。
そのため、家族でも民族でも神の御心を達成できなかったが、再びイスラエルを正しい水の中から引き抜いて、カナンの民と戦わせる戦いの歴史を経て、4000年の歴史を代表する一人の主人公を送りました。それが誰だったかと言えば、それはイエス・キリストでした。
その当時、民族的に受け入れるべきモーセを裏切った人々が、国家的に受け入れるべきイエスを果たして受け入れたのでしょうか?むしろ、イスラエルの民はイエス・キリストを家族的にも、社会的にも、国家的にも裏切りました。
歴史の先祖たち、または歴史の先祖たちが御心の前に立って天の使命を担おうとするとき、神は信じられる彼らがなるよう望みました。そのような歴史的条件を整えるために、天の使命を担うために選ばれたのは、ノア、アブラハム、ヤコブ、そしてさらにはイエス・キリストだったということをあなた方は知るべきです。
では、イエス・キリストはどのような心境でこの地に現れましたか?イエス・キリストは神の全ての属性を代わりに持ち、神の歴史的な言葉を代わりに伝え、神が求めていた希望の実体として現れた人でした。
では、イエス・キリストがこの地上に来られて何を感じられたでしょうか?イエス・キリストがご自身が神の言葉を持って現れ、世界に向かって叫びかける時、その言葉は歴史的な言葉でありながら、多くの先人が示そうとした言葉であることを感じました。さらに、その言葉は数多くの人々から裏切られた言葉であり、信じられる地上の姿を無限に探し求めるお父様の悲しい心情を感じられたのです。
更に、イエスは神がエデンの園ですべてのエネルギーを注いで人間を造り、分裂することのない永遠の理想的な愛の実現を望まれた、その愛の心情を感じ、裏切られたアダムとの関係を自ら修復しなければならない使命感を感じたものでした。イエスの立場は、堕落を懸念された神の立場でもありませんでした。
イエスは堕落した人類の苦しみを感じ、愛情を込めた歴史の過程で天秤にかけていた立場に立っていました。目に見えない実在に対する見える実体として語りかけ、現れました。また、神の心情を共有し、神の姿として現れました。
長い歴史の過程で多くの人々から拒絶され、軽蔑されていたその言葉を自分のものとし、軽蔑され、軽視されていたその心情を自分のものとし、神殿としての体を自分のものとし、イエスは現れたのです。このような立場から、イエスは希望として求められ、要求された一つの目的がありました。それは善の一日を築くために戦い、また帰られたのです。
イエスは、神の前で言葉を持って現れる際に、歴史的な過程で拒絶されたすべての言葉を取り戻し、祖先たちが誤って築いた裏切りの歴史を取り消し、父を慰める責任を感じたのです。ですから、イエスは、「ああ、父よ! 父の聖なる殿と心を踏みにじり、踏みにじった祖先たちの4000年の歴史を見捨てて私を見て慰めてください。」と祈りを捧げる心を持って現れたのです。イエスは、自分が地上で何を清算しなければならない使命を感じたのです。歴史的なすべての裏切りと現実的なすべての裏切りを排除し、再び裏切りの歴史を後世に残さない決意でした。
イエスはこの使命を負い、天に向かって覚悟を決めました。イエスは神の言葉が呼びかけられる場所に裏切りの歴史が起こることを知り、神の心を持って現れる場所に悲しみや苦悶があることを知りました。そして、神の体が現れる場所には、サタンの矢があることを知り、覚悟を決めたのです。このように、イエスは自分の立場を守り、自分を守ってくれることを望みながらも、信じない人々に対して黙って耐え忍んでいました。
人々には知らない悲しみを抱え、人類のためにゲッセマネの園で、またはオリーブ山で一人で祈っていたその悲しみの状況を今日の皆さんは知らなければなりません。当時の地上にいる人間とイエスを比較すると、イエスは誰よりも哀れな人物でした。
そして、歴史の過程で多くの人々から裏切られる言葉を持ち、その言葉の主である神の心を代わりに持って地上に現れたイエス様のように、その言葉を抱きしめ、「ああ、私の主よ、私の花婿よ、私の導き手よ!彼らの命を父の前に導いてください」と祈った人は誰もいませんでした。
4000年にわたる神の歴史が裏切りによって終結された事実を感じたイエス様でしたが、それでも裏切られたその人類のために涙を流されたのです。しかし、彼は4000年間裏切られながらも人間を求めて来られた神を思い起こすと、裏切られても悲しむことができず、生活が困窮していても絶望することができず、自らの命が犠牲にされる恨みはないという立場にありました。
4000年間裏切った民族をそれでも捨てずに愛で接する父の心情を感じたイエス様だからこそ、その父を慰めることができました。さらに、父と直接すべてを話し合う立場にいらっしゃったことを、今日の皆さんは確実に知らなければなりません。
では、イエス様はこの地上で何を望んでいたのでしょうか?裏切りの歴史を清算し、裏切る現実を屈服させて、裏切る子孫たちが現れないようにイエス様は望んでいたのです。しかし、そのイエス様の願いはまだ実現されず、今日の皆さんの願いとして残っています。
今日の私自身を考えると、私が生きてきた過去が裏切りの立場であり、私が生きている現実が裏切りの環境であり、私は子孫たちに対する裏切りのルーツであることを、皆さんは知っておかなければなりません。そして、それを悲しんで、哀しんでいなければなりません。
では、イエス様はこの地上で何を望んでいたのでしょうか?裏切りの歴史を清算し、裏切る現実を屈服させて、裏切る子孫たちが現れないようにイエス様は望んでいたのです。しかし、そのイエス様の願いはまだ実現されず、今日の皆さんの願いとして残っています。
今日の私自身を考えると、私が生きてきた過去が裏切りの立場であり、私が生きている現実が裏切りの環境であり、私は子孫たちに対する裏切りのルーツであることを、皆さんは知っておかなければなりません。そして、それを悲しんで、哀しんでいなければなりません。
そのような立場で、イエス様は民族の前で拒絶され、国家の前で反逆者として追われ、後には強盗以上に重い罪人として追われることになりましたが、そのような立場でも彼らの罪を彼らに戻さないでいただくようにと祈る彼の心はどこから来たのでしょうか?それは、歴史的な裏切りをする民族に対して数千年にわたって耐えてきた父の優しい心情から生まれたものです。
自らの生命が犠牲にされるかもしれないとしても、父が4000年間裏切られた心情には比べることはできないと悟ったからこそ、死の山を越えながらも裏切る群れ、裏切る民族に祝福を送ることができたということを皆さんは知らなければなりません。
また、イエス様はこの地上に来られてから今日まで、ずっと私たちを求めておられます。今日まで人類は信じられない歴史の過程を経てきましたが、イエス様は今もなお人間を信じておられます。時と場所を問わず裏切ることができる状況に置かれた人間を非難することなく、むしろ救いの手を差し伸べておられるのです。しかし、今でもこの地上にはイエス様の言葉を代わりにし、イエス様の体を代わりにし、イエス様の心を代わりにして現れた人は一人もいません。さらに、そのような民族や国もありません。
当時のイスラエル民族は神の御心を代わりにし、その言葉を受け継ぐべき民族でした。しかし、イエス様がおいでになる場所ごとに歓迎する人はいなく、言葉を持って出ても、いつどこでも誰一人として歓迎する人がいなかったのです。
イエス様がこのような歴史的な道を辿ったため、皆さんもその言葉を持ち、進む時は必ず兄弟から、または教会から、または民族から拒絶されることになるでしょう。しかし、皆さんはそのような環境でさえも裏切る者たちに祝福を与える人とならなければなりません。
それでは、今日の皆さんが持っている言葉や信仰、立てている宗教思想はどのような状態にあるでしょうか?2000年前、イエス様は個人から家庭・教会・イスラエル民族・国家から裏切られる立場を経験しました。これが今日の民族・国家を超えて世界に及ぶまでの裏切られる段階に留まっているのです。
皆さんがエデンの園でカインがアベルを殺した後から今日までの歴史が悪が善を打ち負かす歴史であることは分かりますが、天に向かって進むには裏切る者が真ではなく、裏切られる者が真であり、さらに彼らが天の歴史を成し遂げていることを知らなければなりません。
それでは、今日のどの民族が世界を代わってすべての面で裏切られる立場にあるでしょうか?天の御心を探し立てて、天の御心を代わり得る、天に近いこのような民族がいるとしても、その民族はその民族が持つすべてのものにわたって裏切られるこのような歴史的な運命を持つことになるでしょう。
では、その民族は何から裏切られるのでしょうか?アダムとイブが堕落したとき、天使たちとの間で起こったそのすべての条件によって裏切られることになったのです。そのため、最初に言葉を中心にした裏切りを受ける立場になります。園の中央にあるすべての実を摘み取りながら、善悪を知らせる木の実だけは摘み取らないようにする約束の言葉が裏切られる立場に立たされることになります。
したがって、天使が現れ、その実を食べれば目が開き神のようになるという言葉を通じて、一つの国、一つの思想圏内に他の国の思想的なものが現れるような、そのような歴史が現れることを意味します。
したがって、一つの思想、一つの目的、一つの中心を目指すべき心が第二の心の形で現れ、新しい目的を紹介するように見えましたが、結局は裏切りの原点を作り出すことになったことを皆さんは知らなければなりません。
では、この裏切りの原点は何によって生じたのでしょうか?言葉によって生じました。ですから最後には、天の前に立つべき国があるとすれば、その国はある時点で、言語からさえも裏切られる立場にあり、その国の言葉を代わりにする文章があるとすれば、その文章さえも裏切られ、さらにはその国の歴史、その国の民族性さえも侮辱される立場に立つことになります。
では、今日、世紀末の終末時点を見ると、そのような国がどこにあるかと言えば、それは韓国ということです。韓国は歴史上、多くの民族の侵略を受け、多くの裏切り者が現れました。私たちは日帝の圧制の下で、言葉さえもほとんど失いました。私たちの文字さえも、私たちの民族性さえも、私たちの誇りさえも、私たちの思想さえも、すべて破壊されたのです。
さらに、今日、同じ民族同士が互いに裏切る立場にあります。同じ民族同士が互いに裏切ると同時に、兄弟同士が裏切り、親戚が裏切り、富める者同士が裏切り、夫婦同士が裏切るという裏切りの局面を経ています。
では、この民族はどうすれば良いのでしょうか?この民族は神の人類の前に裏切られ、その悲しみの心情をある時点で経験することになります。その時にこの民族は、イエス様が神の心を持って裏切る民族に対して呪わず、むしろ彼らのためにゲツセマネの園で祈っていたことと同様に、今日、この民族も裏切られる世界のために天に向かって祈るべきです。そうすれば、この民族の道があることになります。
したがって、この民族は裏切る世界を乗り越えなければなりません。むしろその裏切りを通じて、裏切られたイエス様の言葉を自分の言葉として、裏切られた神の心を自分の心として、裏切られた先祖の身体を自分の身体として天の前に伏し、訴えるべきです。
天が無関心でイスラエルが滅びると思われましたが、イスラエルの中にイエス様が現れたように、この国が滅びるように思われますが、この国に神の希望があるということです。ですから、今この民族がすべきことは、6000年間裏切られた父の言葉を自分の言葉と自分の身体、心として受け入れ、6000年間の父の悲しみを自分の心情として感じることです。
これからは、誰にも頼らないでください。誰の言葉も信じないでください。誰かを判断しないでください。あなたたちは本来、他人に頼るべきではありません。誰かを信じるべきではありません。また、誰かを判断すべきではありません。本来の人間が不足しているからこそ、他人に頼り、他人の言葉を信じ、他人の行為を判断してしまうのです。
ですから、本来の目標に向かって進むべきあなたたちは、信頼できる信念の存在そのものにならなければならず、頼れる存在そのものにならなければならず、判断できる存在そのものにならなければなりません。つまり、自分自身を頼りにし、自分自身を信じ、自分自身を判断できるようにならなければならないのです。
神様が人間に対して黙って耐えてくださったように、あなたたちも誰よりもよく我慢できるようにならなければなりません。そして黙々と、自分自身を頼りにし、自分自身を信じ、自分自身を判断できる人間にならなければなりません。
さらに、そのような自己を確立し、「父よ、私を見て慰めてください」と言う立場になり、父が私を信じてくださり、私が父を信じ、父が私であり、私が父である関係が築かれるときに、天の悲しみはあなた自身から離れていくことでしょう。そうすると、あなた自身で神様の戦いが終わるということを覚えておいてください。
今や、アダムとイブが天から授かった本性によって堕落しなかったとしたら、彼らは堕落しなかったでしょう。ですから、今日、あなたもその心が永遠の理念と永遠のルールを通じて、不動の役割を果たす完全性を持っているならば、その心はあなたを堕落させません。
したがって、今や、何千年もの歴史を通じて裏切られてきた中で弁解することができましたが、一日も一時間も弁解しなかった父や、また、2000年間弁解することができましたが、弁解せずに地球のために心配し続けているイエス様を信じる人々として、黙々と我慢し、弁解しない人々であり、さらに自分が第二の天使の立場であることを明らかにできる人々でなければなりません。
今日、周囲にはあなたの環境を脅かし、侵害しようとする無数のサタンがいます。このようなとき、あなたは天のルールを知り、感じ、身体で体現しなければなりません。その後で、あなたはすべてを正しく判断できるでしょう。
したがって、神はその一日を審判の日として待ち望み、イエス・キリストもまた2000年間、無数のサタンと戦いながらその一日を待ち望んでいるのです。言いたいことをすべて言い尽くし、したいことをすべて成し遂げる人は、何も持っていないでしょう。したいことをすべて成し遂げた人は、栄光の基盤を持つことができないでしょう。自分の思い通りに生きたいと思った人は、後世に裏切り者や背信者になることを知らなければなりません。
裏切られる立場でも、言いたいことを言えず、したいことを思うようには生きられなかった方は、まさにイエス・キリストであり、また私たちの先祖でもありました。ですから、今日の皆さんもこの事実を認識し、自らを不変の存在として抑制することを知っておかなければなりません。
いつ、どんな時に天を裏切る立場に立つかわからないことを心に留めてください。もしも皆さんが裏切る立場に立つならば、どのような条件にも縛られることになるでしょうか? 皆さんが6000年間の裏切りの悲しみを耐え忍んでいたその父を裏切るとき、皆さんは終末の審判を逃れる方法がないことを意味します。
天が皆さんに対して6000年の悲しみを一挙に解放しようとしている審判の日を、皆さんは超えることができないということです。ですから、今や皆さんは世界の犠牲になって黙って十字架に戻られたイエス・キリストの心情を代わって持ち出し、持って行かなければなりません。
進む道は1年ではありません。10年でもありませんし、30年でもありません。一生を通じて後世に受け継ぐ信仰を持って進むべきです。また、皆さんは今日の自分を見つけ、開拓し、国を照らし出さなければなりません。そのようにして、自分と天との関係がこの悪の世界を超え、宇宙的な終末に至ることができることに気づき、自分の生活圏内で父と共に楽しむ勝利の条件を整えなければなりません。その時に皆さんは、天の意志と約束を裏切らず、永遠の勝利の息子娘として立つことができるということを心に留めてください。
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