人生訓読 ブログ(日本語)

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御言葉選集3(7)

2024年02月10日 15時25分43秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 3-7 その国とその正義を求めて立ち上がろう

1957年10月13日(日曜日)、前本部教会

聖書拝読:マタイによる福音書6:16-34


<祈祷>
 天地の父なるお父様、この時もこの地のすべての人々の上に、あなたの悲しみが今も残っていることを、私たちの心と体が理解できるように許してください。エデンから堕落したアダムとイヴを追放された父なる神のその悲しみの痕跡が、今も私たちの心と体に残っていることを、ここに集まった息子たち娘たちが認識できるように許してください。
 私たちの心が望むのは永遠の父なる神の理想郷であり、私たちの体が望むのはサタンと闘って勝利した栄光の姿を、父なる神の前で誇示できるその日を見つけることであります。私たちの心が父なる神の栄光を受け、私たちの体が父なる神の姿に似て、私たちの心と体が父なる神の喜びの対象として現れ、栄光の姿で示されるように許してください、愛する父よ、切に願います。
 そのような勝利の息子娘の姿を持たねばならない私たちですが、今日ここに集まってあなたの前にひれ伏した息子娘たちが、その心を父なる神の栄光の前に、その体を父なる神の姿の前に、自分のすべてを差し出し、熱心な態度で、過去の不足だった自己をこの時、悔い改め、反省できるように導いてください。
 お父様、私たちが真に父なる神の愛を尊び、父なる神の人格に似たいと望んでいる心があるならば、今日の父なる神のその悲しみが私たちの悲しみであり、父なる神の憐れみが私たちの憐れみであるべきことを知っています。愛する父よ、私たちがそうなるように導いてください。
 愛のお父様! 私たちの中に死と暗黒の道に向かっている者がいることを知りながらも、まだ悔い改めていない息子娘がいますか?父よ、力を持って現れてください。父よ、力を持って現れてください。父よ、再創造の復活の歴史を起こしてください。そして、私たちの心と体に父なる神の無限の愛の腕を向けて走り込むことができる能力を与えてください、愛する父よ、切に願います。
過ぎ去った一週間、父なる神の抱擁から離れて生きている者がいますか?自分自身が父なる神の前に悔い改めさせてください。もしくは、私たちの中に正しくない心を抱き、父なる神の意志に逆らった者がいますか?この時、父なる神の前に悔い改めて、父なる神の慈悲深い恵みと愛の中で休息できるように導いてください、愛する父よ、切に願います。
 お父様、時が進むにつれて最後の戦いの日が私たちの目前に迫っていることを知らせてください。その戦場で絶望する者にならないようにお願いします。父を代わって最後の勝利の基準を設けるまで、戦い続けることができる天の兵士になれるように許してください、愛する父よ、切に願います。
 この時も無数のサタンたちは私たちを狙っていますので、父のその愛の恵みを捨て裏切る者がいないようにお願いします。一人でもサタンのもとに引きずられる者がいないようにお願いします、愛する父よ、切に願います。
 愛のお父様、過ぎ去った一週間、私たちは父とはあまりにも遠い場所で生活していましたので、この一時間でも父の愛の腕に抱かれ、父の許し無しには勝手に動かない子供になれるように許してください。この時も地方に散在する孤独な子供たちがサタンとの戦いに疲れて父の前にひれ伏し、訴えていることを知っていますので、どこにいても同じ恵みで共にし、同じ栄光の場所に立ててください。
 この日まで私たちと同じように悲しんでいただき、私たちと同じように戦っていただき、私たちと同じように苦難を受けられた父よ!今、父の望みの一日を見据えて戦わなければならない新しい戦いが私たちに残っていることを知っていますので、父よ、私たちに無限の力を注いでその戦いに勝つことができるようにしてください、決して不足する姿にならないよう助けてください。
 愛のお父様、自身の問題のために父の意志に向かって進まずに留まる者がいますか?そのような者がいないようにしてください、この一日、私たちのすべての行動が父の栄光を示すことができるように助けてください、父の心情を理解し、父の姿に似せることができるようにしてください、愛する父よ、切に願います。
 この時三千万の民族を代表して集まる数多くの祭壇があることを知っていますので、愛の父よ、集まる場所ごとに約束された意志を達成していくことを許してください、聖霊を注ぎ、無数のサタンたちを打ち負かし、父の栄光を明らかにできる貴重な祭壇になれるようにしてください。
 そして、この民族が父の愛の腕に抱かれ、進んで民族を通じてこの地の多くの人々が父の栄光の一日を迎えることができるように許してください。
 また、人類を通じて天国へと向かう、二つではなく一つの世界を形成し、父の栄光を賛美し、父の愛を理解し、新たな帰還の理想郷が早くこの地上に成就するようにしてください、父よ、切に願います。
 ここに臣従した私たちは、目的を達成するためにすべてを捧げて立ち上がった子供たちですので、父であるあなた、その足取りが止まらないようにしてください、どんな困難や逆境が来ようともそれを乗り越えられるように一緒にしてください。
 この時も試練と困難に直面し、孤独ながら父に訴える子供たちが多くいること を知っていますので、愛の父よ、彼らがどこにいても一律の恵みで導いてください、一律の愛で包んでください。
 どうか勝利の日、父の国を成就するその日まで、戦いに疲れ果て倒れないように、父が支えてくださることを切に願い求めます。残りの時間を父に委ねますので、すべてを支配してください。
主の御名によってお祈り致します。アーメン。



<御言葉>
 今日は皆さんと「その国とその正義を求めて立ち上がろう」というテーマで一緒に考えたいと思います。
 現代に生きる多くの人々は、神が予告されたその国とその正義を見つけることができていません。ですから、その国とその正義を求めることが今日の私たち人類の希望であり、また、これまでの何千年もの歴史の中で人類にとって一つの希望であったことを皆さんは理解する必要があります。
 では、このような希望のその国、希望のその正義がどうして私たちの最後の目標として残っているのでしょうか?それは人間が堕落したからです。人間の堕落によって、その国とその正義の中心となる神と人間との関係が全く結べない状態に置かれました。
 つまり、その国とその正義の中心である父について詳しく知らない人間となったために、神はそのような無知な民族や人類を目覚めさせ、その父がどのような方であるかを知らせるために、これまでの歴史の進行で苦労されてきたのです。ですから、その国とその正義を求めることが今も私たちの希望であり、目標として残っているのです。
 このようにその国とその正義をこの地上に立てようとする父がおられるのであれば、その父の意志がこの地上に必ず残っていることを皆さんは知っておかなければなりません。
 それでは、このように人間が希望する神の国、神の正義を立てるために皆さんはどうすればよいのでしょうか?これまでの歴史の進行で人間と関係を結び、その国とその正義を立てるために努力してきた父を探す必要があります。まずその父を見つけなければ、その国とその正義を立てることはできません。
 ですからこの世に生きる人々は誰もがどのような歴史的過程を経てでも、まずその国の主役である父を見つけなければならないのです。しかし、もし人間がその父を見つけられない場合、その父の栄光がこの地上に現れることはできないばかりか、人間が希望する神の国と神の正義をこの地上に立てることもできないのです。
 そしてイエス様が現れるまで、この地上で天と地に向かって「私はその国の主役である」と宣言した人は現れませんでした。つまり、イエス様が来られる前には、その国の正義を代わりに実践し、その正義に従い、その正義の実体と自信を持って叫び出した人はいませんでした。
 しかし、このように希望がない静寂なる天地に、天の希望と正義の血統を引き継いで生まれ、『私はその国の父であり、私がその国の正義の実体』と主張して立ち上がった方がいたことは、この地上の人類にとっては福音の中の福音であり、喜ばしい知らせの中の喜ばしい知らせでした。それは、今日の皆さんが信じているイエス・キリストであることを確実に知っておかなければなりません。
 では、そのイエス様がこの地上に現れて何と言われたでしょうか?4000年の歴史を覆し、「私は神と一体である」と言い、「私は神の子である」と主張しました。
 また、「私を信じるなら、父を知り、私を信じるなら、その国を築く」と言われました。そして、「私は道であり、真理であり、命」であるとも言われました。このように、天の全体的な目的を達成するためには、自分を信じなければならず、自分を通じなければならないとイエス様は力強く語られました。
 そして、天上と地上に障害されているすべてを打ち破って現れ、その国とその正義の中心である神との関係を結べない堕落した人々に、「私を信じることで、各自が自分の生活の中で『神と関係を結んでいける』」とイエス様が言われたことは、堕落した人々にとっては福音の中の福音となったことを皆さんは知っておかなければなりません。
 では、皆さんはイエス様のそのような福音を信じている今日のキリスト教徒にとって、イエス様だけをただ見つめているだけではいけない時が来ていることを知らせなければなりません。
 その国とその正義を築こうとする神の希望は人間や生き物を離れて成し遂げられるのではなく、人間を通して成し遂げられるのです。その希望は真の人間を通して神と万物が調和することでした。
 ですから神様は堕落した人間の前に神を代わって一つの実体として、天の血統を代表する方として、イエス様をこの地上に送られたのです。つまり、イエス様はこの地上に最初に神の歴史的な希望を達成してくださるために来られた方でした。
 したがって、そのようなイエス様については当時言及することさえ不要であり、現代に生きる人類や命を持つあらゆる存在さえも反対すべきではないということです。地上に生きる人類は、その国の栄光とその正義を証明できる生活環境を整えなければならない存在であり、その目的が実現される日を希望しているのです。
 この事実を振り返ると、イエス様が帰られることは、人間にとって無限の悲しみであり、最も悲惨な出来事であるはずがありません。そのために歴史的な苦痛の過程に直面しなければならなくなったのです。
 では、私たちが求めている国はどのような国でしょうか?その国とその正義の本質が何であるかを皆さんは知る必要があります。イエス様はこの地上において人間が求めるその国の正義を示すために努力され、すべての民を愛し、すべての民を救うために犠牲の道を歩まれたのです。
 そのため、イエス様が成し遂げようとされたその国は、『主は愛』が溢れる国であり、奉仕する犠牲の生活が溢れる国であったということです。これは、皆さんが霊的な世界を体験するときに完全に感じることができるものです。
 では、この国を統治される神はどのような方でしょうか?万物に対し、人間に対し情熱的な心を持ち、愛を与えるために努力される方です。そのような神が望まれる生活とは何でしょうか?神は地上のすべての民が自分のすべてを捨て、犠牲を払い、奉仕しながらその国の建設のために労苦を惜しまない生活を望まれるのです。
 今日の皆さんは、人間が求めるその国は本質的な愛が実現された国であり、また愛の本質は愛を与えるために情熱的であることを知り、その正義と共有できるそのような犠牲と奉仕の生活環境を歩んでいかなければなりません。
 では、神の悲しみとは何でしょうか?あなたの愛を完全に捧げられる相手を見つけられなかったことが神の悲しみです。そして、神が人間に対して無限に犠牲を払い、奉仕するように、隣人に対して無限に奉仕し、犠牲することができるそのような人を見つけられなかったことが神の悲しみです。
 それでは、イエス様がこの地上において終わりを予告される際、何を言われたでしょうか?神の心情を受け継ぎ、神の実体として現れたイエス様は、神の愛を語られました。そして、イエス様はこの地上の全ての人々に対して「あなたがたは私の友人である」とおっしゃり、神の愛をすべての民の前に証明し、自ら行われました。
 天国の愛を表現するために努力されたイエス様の心に駆り立てたものは何でしたか?それはどうやって万民に天国の愛を与えることができるかについての思いでした。そして、イエス様がその愛を与えられた目的は何でしたか?その目的は、あなたを信じて従う者だけを愛することではなく、イスラエルの民やユダヤ教会、さらには異邦の民までを愛し、この地を神の愛が満ち溢れる楽園に建設することにあったのです。しかし、その当時、イエス様を信じ従う弟子や群衆、または反対したユダヤ教徒やイスラエルの民の中で、イエス様のその愛の心情と永遠の関係を築くことができた者は一人もいませんでした。
 愛を与えたいと願う神の心に共感する存在を見つけ、教会や民族、イスラエルの国家、そしてさらには世界を通じてこの地上に神の国を築こうとしたのですが、その時、イエス様の意志を邪魔したのは家族であり、教会であり、従っていた弟子であり、イスラエルの民でした。
 ですから、神の意志を再びこの地上で成就するためには、イエス様が再び来られなければなりません。そして、そのような主が再び来るその日が、今日のキリスト教徒たちが望んでいる再臨の日であることをあなたは知らなければなりません。
 また、イエス様が人間を愛する心に共感する一方で、生活の面でも他者のための奉仕の生活を送っていたことを知る必要があります。万民を導くことであれば、自分がサタンの前に引き裂かれ、犠牲になることをいとわない姿勢があるかぎり、一身のすべてを忘れて犠牲と奉仕の道に進んでいたのがイエス様でした。
 しかし、その当時、そうしたイエス様の心情を知り、神の真の子として民衆に拒絶されたイエス様を見て、悲しんだ人がいたでしょうか?いませんでした。もしもそのような人が一人でもいたなら、驚くべき証しの使命を果たしたでしょう。イエス様の望む愛の心情を代弁する人がいれば、イエス様を模範とし、神の意志を成就させることができました。
 しかし、そのような愛を与えたいと願うこの世の楽園、天国の正義を地上の生活で表現できる一人の人間がいなかったために、今日のあなたに天国の国を望み、その正義を求める悲しい立場にいます。だからこそ、今日のあなたはどうしてもその意志を実現させなければなりません。
 あなた方は、世界中に溢れる多くのクリスチャンが結束したからといって、その意志が成就するわけではないことを知る必要があります。神の本質的な愛に100%適合でき、そして、従っていたイエス様の愛の心情を通じて共感できる一つの花嫁になれるかどうかが問題なのです。イエス様は、あなたが実践してきた犠牲と奉仕の生活を代替する存在を探しておられます。また、そのような存在はイエス様だけでなく、神様も探しておられることをあなたは心に留めておかなければなりません。
 この宇宙に関する神の摂理が終わらない限り、この地上にそのような存在になるための一つの基準を必ず設定しなければなりません。もしもあなたがそのような基準を設定しないなら、イエス様が愛情深く「すべてを捨ててただ国とその義を求めよ」と語られたその言葉の目的と、あなたとは何の関係もなくなります。
 では、今日の私たちの悲しみは何でしょうか?私の悲しみは何でしょうか?キリスト教の悲しみは何でしょうか?そして、世界の悲しみは何であり、この地上の悲しみは何であり、天国の悲しみは何でしょうか?与えたいと願う神の愛はどこに留まるでしょうか?これらのすべての問題をまだ解決していないことが、天国のため息であることをあなたは知るべきです。
 今日、この地上に住む人々を見ると、そのような問題を解決できる存在になったかと問われると、そうではありません。ですから、神様はこの時間も愛情を持ってため息をつき、あなたたちの前にはそれを補正し、超えなければならない歴史的な運命、つまり裁きの過程を通って進んでいく運命が掲げられています。
 神様は、あなたがそのような道を進む過程で、あなたが天国の愛を感じないための悲しみではなく、天国の正義を感じないための悲しみではないと言っておられます。人間のどのような思考や概念を超越し、永遠の存在の価値を持つ人間として、自然の法則に従い、神の相手となる心情を持つ存在がいないために、悲しんでいると言っています。
 自然に神の愛を感じ、自然にその国とその義の本質である奉仕の心情を持ち、生活を送ることができるべきなのに、人々はそのような生活をしていません。ですから、あなたは信仰の過程で混乱と矛盾と闘争の過程を経て、神の愛を持ち、奉仕の生活をするために努力しなければなりません。
 それでは、あなたの敵は何でしょうか?民族の敵は誰でしょうか?この世界と天の敵は何でしょうか?それは、見えない無数のサタンが支配しているこの宇宙全体が敵であると言うほかありません。
 しかし、あなた方にとって、そのような敵が問題視されるべきではありません。問題はあなた方個人です。あなた方個人に潜んでいる敵から始めて排除していくことが、緊急の問題であるということです。民衆を救うためにこの地においでになったイエス様の敵は誰でしたか?彼らを絶対的な価値の存在ではなく、相対的な価値の存在として理解する人々こそが、イエス様の敵でした。
 ですから、イエス様は彼らの中から、あなたの本質と関係を築き、「あなたの心であり、私の心でもある」と言える一つの存在が現れることを待ち望まれました。そのような存在が現れれば、イエス様が十字架にかけられても、その人の愛と信念はこの地上に確立されていたでしょうが、そうならなかったことがイエス様の悲しみであったことをあなたは理解しなければなりません。
 また、その国とその義が成された世界はどのような世界かと言えば、互いに奉仕し、犠牲を喜ぶ愛の世界であり、神の御心のために奉仕し、犠牲する生活が輝く世界であることをあなたは理解しなければなりません。ですから、そのような世界は今日の私たちが住んでいるようなこの世界ではないということです。
 では、あなたが神の真の愛を受けるためにはどうすればよいでしょうか?先ほども述べたように、あなた自身が他者のための犠牲の道、奉仕の道に進むときに、ようやく神の愛を受けることができるということを心に留めておいてください。
 この地上の人間をそのような道に導く立場にあるイエス様にとって、当時の地上に住んでいた人々の中には、他者を愛し、他者のために生きようとする人は誰もいなかったのです。むしろ、自分のために生きてもらいたいし、愛されることだけを望む人ばかりだったため、どの人も同情の対象と見られたのです。このように、神の御心をこの地上に実現するために犠牲と奉仕によって神の愛を示す存在を見つけられなかったことが、イエス様にとって最も大きな悲しみであり、苦しみであったことをあなたは理解しなければなりません。
 イエス様は、見せても見えない無知な人々に対して、手渡してもわからない人々を相手にしながら悲しみました。ですから、イエス様は彼らに「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと心配するな」と言われました。それは自分の生活を否定する言葉であり、すべての状況を否定する言葉なのです。
 イエス様は、それが人間が生きるために必要な必然的な条件であることを知らずにそう言われたのではありませんでした。堕落した人間はそのような道を歩み上がって初めて希望の一日を迎えることができるということをご存じだったからです。何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかを心配せずに、まず最初にその国とその義を求めようと言われたのです。最初にその国とその義を実現する人は、この自然の法則圏の中ですべてのものを管理でき、自然にそのようなものに対する心配はする必要がなくなるための言葉なのです。
 イエス様はこの地上に来て、サタンからいくつかの試練を受けました。40日間の断食の間、ますます食べることを求められました。サタンはイエス様の前に現れ、石を命じてパンになるようにしろと言いました。これは飢えた人々にとっては朗報であるでしょう。しかし、イエス様はこれを拒否し、自分が食べ物のために来たのではないことを示しました。むしろ、神の言葉を主張することで、人が生きる実際の生活圏内でのすべての条件を失わなかったという立場を示したのです。
 それまで人間は物質を中心にした闘争の歴史を経てきましたが、イエス様がサタンの第一の試練に勝利することで、そのような物質を中心にした闘争の歴史を終結させることになったことをあなたは知るべきです。
では、その後イエス様はどのような試練を受けたのでしょうか?イエス様はサタンに導かれて教会の聖堂の頂上に立たされ、そこで「もしあなたが神の子であるならば、飛び降りよ」という試練を受けました。
 イスラエル民族やユダヤ教を導く宗教的思想を持って現れたイエス様にとって、「飛び降りよ」というこの言葉は何を意味するのでしょうか?それはユダヤ教的な習慣と彼らの主張に屈し、彼らの指導者の立場を放棄することを意味します。しかし、イエス様はここでサタンの試練に陥ることなく勝利しました。
 その後はどのような試練があったのでしょうか?サタンはイエス様を非常に高い山の頂上に連れて行き、全世界とその栄光を見せながら、「もしあなたがひれ伏して拝むならば、これらすべてをあなたに与えよう」と言いました。しかし、イエス様はここで宇宙的な思想を持ち、神の国、つまり天国を建設しようとする神の御心を示すために、サタンのそのような要求を退けました。
これらの事実は何を意味するのでしょうか?この地上に新しい天と新しい地、つまり天国を建設できる思想を持ったイエス様だったため、その御心を示す実現過程で、歴史的な不信のすべての条件を除去し、回帰する象徴的な条件を設定しなければならなかったのです。
 ですから、終わりの日を迎えた今日のあなたにも、物質的な条件を中心にした闘争が行われることになります。しかし、今日のすべての人間がそのような物質的な闘争で勝利できずに敗北すると、この地は自然に暗黒の世界に変わるでしょう。
 したがって、今日の皆さんはそのような物質的な闘争を乗り越えて、イエス様の天国の思想を受け入れて、そしてさらに、世界中のクリスチャンと力を合わせて神の国をこの地上に建設しなければなりません。
 言い換えれば、昔のイスラエル全体の価値を象徴できるユダヤ教徒と一体となって、世界に帰還しなければならない使命があったように、今日の世界中のクリスチャンにも、世界を代表し、民主主義の思想、そしてその基礎にあるキリスト教の思想を中心にして一致団結し、神の国をこの地上に建設する使命があることを知る必要があります。
 そして、イエス様がサタンのすべての試練を乗り越えて勝利したように、皆さんもそのようなプロセスを経なければならないことを知る必要があります。だからこそ、終末が来ると、物質的な闘争のプロセスを超えなければならず、その次に宗教的な闘争のプロセスを超えなければなりません。ここでは分裂や矛盾を解決し、その通りに進む宗教が現れるということです。これはイエス様が経験した試練を象徴している時代なのです。
 イエス様はどんな逆境の場や死の場面でも変わらない自らの姿を示したように、皆さんもイエス様のそのような人格を似せなければなりません。また、終末に直面した今日のクリスチャンは、過去に好きだった何かに執着することなく、イエス様の生涯に相応しい生活に立つべきです。そして、皆さんは歴史的な使命を持ってこの地に来られたイエス様のその生涯に相応しい生活に立つべきです。なぜならば、皆さんの前には歴史的な闘いの時が待っているからです。
 これまで世界的な栄光を享受してきたサタンが最後の戦いに敗北することで、神の子どもたちがひれ伏して礼拝する時が必ず来るということです。
ですから、そのようにサタンを従わせ、神の御心だけが現れる日が早く訪れるべきであり、また、そのようなことをできる一人の人が現れなければならないということです。しかし、もしもそのような一存在が現れない場合、イエス様がまずその国とその正義を求めるように叫んだその意志がこの地上で実現されることはありません。
 したがって、この世界的な終末時代に直面している皆さんは、誰もが今日を終末と呼んでいるこの時、つまり歴史的な終わり、科学的な終わり、倫理的・宗教的な終わりを予告するこの時に、どのように行動すればよいのでしょうか? イエス様が叫ばれた言葉、つまりまずその国とその正義を求めよという言葉と同様に、自分のすべてを考えずに、この地上にただ神の国と神の正義を築くために不変の忠誠を尽くす人にならなければなりません。その結果、皆さんは宇宙の前で誇りを持つことができ、皆さんは神の代理人の使命を果たす人にならなければなりません。
 つまり、その国の本質的な思想を自己の生活に適用し、それが皆さんの生活の実質的な価値を形成し、永遠の未来を約束する希望のその日を実現しなければならないということです。 しかし、もしもそのようなことができない場合、皆さんは神がアダムとイヴの堕落後、4000年間苦労された後にイエス様を遣わして歴史を進める意志と、イエス様以降、今日までイエス様と聖霊を合わせた三位一体が歴史を進めたその意志とは何の関係もなくなります。
 この視点から、皆さんは今、何を見つけるべきですか? 皆さんはその国とその正義を築くことができない、つまり天主的な思想を築くことができない不正な条件を見つけ出さなければなりません。 その結果、皆さんは一神教の生活から闘いを通じて勝利し、神の子イエス様の代理存在にならなければなりません。
 つまり、皆さん自身がその国にふさわしい人、その国の正義の人々になりたいと思うならば、食べること、着ることだけを持って闘う愚かな人になってはいけません。 食べる問題、飲む問題、着る問題を超えて生きる人になり、むしろそのようなものが自分に少しでも与えられたら、それを裸になり、飢える人に分け与えることができる人でなければなりません。
 皆さん!神の心情はどのようなものかご存知ですか? 一切れのパンがあれば、そのパンを一人で食べるのではなく、多くの人に分け与えたいと思う心が神の心情です。イエス様はこのような心情を持っていましたが、イエス・キリストの前に現れた人々はそうではなかったのです。
 それでは、今日の家庭に争いが生じる原因は何でしょうか? それは家庭が自分だけのために存在すると考えているからです。 食べるものがあれば、それが自分だけが食べるためにあるものだと考えるため、争いが起こり、不和が生じるのです。 これが罪の矢であり、サタンであることを皆さんは心に留めるべきです。
 したがって、今日の皆さんは食べる問題を解決しなければならず、着る問題を解決しなければなりません。 自分だけを思う心、つまり家庭不和の条件を打ち破らなければならず、まさにそのような歴史的な矛盾を明らかにして立ち上がらなければなりません。 これによって、皆さんは衣食住のすべての問題を超えて、神の前で真の勝利者の姿として現れるべき立場にありますことを忘れてはなりません。
 それでは、当時、まずその国とその正義を求めるように呼びかけられたイエス様はどのような立場にいらっしゃいましたか? ひとつの物事でも、それを扱う神の心と人間の心との間に差があるときは、悲しくて悲しいことです。 そのため、イエス様は神の心と自分の心が一体となった状態で、人間の心が自分の心と一体となることを願われたのです。
 しかし、人々がその方を不信し、反対することで彼らと一体になることができなかったため、言い表せない悲しみと悲しみの立場にいたことを皆さんは知っておかなければなりません。 もしも皆さんに食べるものがあるなら、皆さんは何を考えながら食べるべきでしょうか? 神の本質とその国の本質を慕いながら、与えたい愛の心を持って食べなければなりません。
 他者のために犠牲をし、奉仕する心を持って食べるべきです。 このような心を持って生きる人にならなければなりません。 多くの宝を持つことになっても、そのものを自分の気ままに扱うことはありません。
 したがって、皆さんは与えたい父の心が小さなパンの一切れを通じても現れていることを感じながら、食べる人にならなければならず、またこの地上に成就すべき神の意志と、困難な状況に置かれた多くの可哀想な人々を憂いながら食べる人にならなければなりません。 このような人になると、彼には物質的な不足がなくなるのです。
 しかし、今日の皆さんはそのような立場にありません。 皆さんは物質を中心にした闘いに苦しみ、いますぐ神の心を示すべきである行動を取ることができるか、この物質を私よりも愛する父の子供がいるのですか? この物質が私のものではなく、父のものだと思い、それを父に使用させるという謙虚な心を持たなければなりません。
 そのようなときに、皆さんの心に潜んでいた本性が現れ、皆さんは永遠の希望の領域に向かって進むことができるように、イエス様が物質を使用する姿勢について語られたことを知っておかなければなりません。
 したがって、今やあなたがたが敵として対処すべきものは何ですか? それは、あなたがたが自分のものだと考える貪欲な心です。 そのため、あなたがたはパンの一切れでさえも、それをすべての人が分かち合うことを願う神の心を代表できるようにならなければなりません。
 食べ物があれば、それを食べる前に家族のために分け与える心にならなければならず、社会、民族、国家、そして世界の人類のために分け与える心を持つ必要があります。 このような心を持つことが人間が正常な過程を経て完成することができるのに対し、今日の大部分の人々はそれを忘れたまま生きていることをあなたは哀れんでおかなければならず、またそれが堕落の立場であることを知っておかなければなりません。
 では、今日の敵は何によってやってきていますか? 物質的な条件によってやってきています。 しかし、神の祝福も物質を通じてやってきています。 つまり、物質を通じて神と私たちの敵が同時にやってくるということを確実に知り、物質を通じて堅固な信仰の中心を築くことができる人にならなければなりません。
 どんなものでも一つの中心を築くと、自然に相対的な存在が生じるものです。 完全なプラスがあれば、自然と完全なマイナスが生じるのが宇宙の法則ですから、あなたがたはこの地上で原則的な信仰の核、一つの基準を見つけて立てなければなりません。 イエス様がそのような原則をご存じだったので、まずその国とその正義を求めるように呼びかけたことを確実に知らなければなりません。
 次に、あなたがたが知るべきことは何ですか? 食べることによって家族間で争いが起こることです。 食べることによって義理母と嫁、兄弟間で争いが起こり、国家間で争いが起こり、親族間で争いが起こることをあなたは知っておかなければなりません。
 したがって、イエス様もそれを踏み越えるために家族のために、社会、国家、世界のために苦心する心を持っておられたので、その国とその正義を築けない悲しい気持ちを述べられたのです。 ですから、今日の皆さんもイエス様のそのような気持ちを体験し、その人格を模倣しなければなりません。
 その次に、あなたがたの前に着ることによって争いが生じることになります。 あなたの信仰の納得の上で着る問題を解決し、それを乗り越えなければならないプロセスがあります。 ですから、今日の皆さんはサタンのどの中傷にも束縛されることなく、そのような問題を自由に解決できる人でなければなりません。
 このように、あなたがたの食べることや着ることが同時に悪魔となり、悪魔が活動する場となることを理解しなければなりません。ですから、今後、あなたがたが行うすべてのことには、悪魔が侵入しようと狙っていることを知り、悪魔が侵入できる条件を一切与えないような人にならなければなりません。
 そのために、今日のあなたがたは自分だけのために生きてはいけません。より大きな目的のために生きる必要があります。あなたがたが家族に属しているなら、その家族のために生きるとき、それはあなた自身のために生きることになりますし、一つの国に属しているなら、その国のために生きるとき、それはまたあなた自身のために生きることになります。また、あなたがたが天国のために生きるとき、あなたは真に自分のために生きる立場となるのです。
 したがって、今日のあなたがたは、これらすべての事実があなたがたの生活環境を通じて実現し表れていることを心に留めなければなりません。今やあなたがたが神の御心のために、神の心情を理解し、その国とその正義を確立するために立ち上がったのならば、あなたがたはどうすればよいでしょうか? あなたがたに食べるものがあれば、それを持たない人々に分け与え、自分自身を飢えさせる心、また食べるものがあれば、むしろあなたを迫害する人に与える心を持つ人にならなければなりません。
 そうすることで、あなた自身が「自分の実践的な側面で与えたい心に生きているか、奉仕のための理念に生きているか、それとも今日のこの現実を追求し、その国の理念を実現するために奮闘しているか」ということを反省できる人にならなければなりません。そうすることで、あなたはパウロが「ああ、わたしは悩み深い人間である」と嘆いたその気持ちを感じることができるでしょう。
このように、あなたはあなたの実践的な心によって生涯全体の価値を見出す使命があることを理解しなければならず、またそのような使命を果たすためにこの地上に希望の実体としてやって来られた方が、まさに2000年前のイエス・キリストであることを知らなければなりません。
 しかし、今日の人々はイエス様がそのように与えたい心によって生きた方であることを知りません。また、あなたがたが食べるパンや着る一着の服に、神の愛情深い涙の痕跡が込められていることを知らずに生きているのです。これがまさに神の悲しみであり、ため息の条件であることをあなたは確かに知らなければなりません。では、今後再び訪れるべき主は、どのような方として現れるのでしょうか? その方もまた、神の国を建設し、与えることの理念の主役として来られるのです。永遠に変わらない天国の原則によって、親の子に対する愛情を持ち、その愛情を今日の私たち人間に与えるために再び来られるのです。
したがって、あなたがたは来られるその主を通して、人間の祖先の堕落によって失われた人間の尊厳を取り戻すために、これまで6000年間にわたって神の愛情深い心情を受け継がなければなりません。そうすることで、あなたがたはこの地上に来て犠牲となったイエス・キリストの愛情深い心情の仲間として進まなければなりません。
 もしも今日の信者たちがそのような位置に達しないならば、キリスト教はいくら信者が多くても発展することはできず、国にはいくら人が多くてもその国は繁栄することはできないでしょう。ですから、今日のあなたがたは告知された神の御心を受け継ぎ、イエス様がこの地に対して愛情深く持たれた心情をあなたがたの生活領域で体現する人とならなければなりません。
 神様は今この時も、与えたい心に生きる人が現れることを望まれ、イエス様は自分を殺したこの地のすべての悪の勢力を踏みつけて立ち上がることのできる人が現れることを待ち望んでいます。もしもそのような存在が現れれば、彼はまさにこの社会の主役となり、この国の主役となるでしょう。しかし、まだそのような一人の人物も現れないことが神様やイエス様の悲しみであることを、あなたがたは知らなければなりません。
 そのような主役となるためにこの地上に来ていた多くの先知先哲がいましたが、歴史上の先祖たちは彼らを埋め、また迫害し、嘲笑してきました。ですから、今日のあなたがた自身を確立し、そのような歴史的なすべての間違いを清算しようとするのが、神の望みであるということをあなたは理解しなければなりません。
 では、そのような神の望みを果たすためには、あなたがたはどうすればよいでしょうか? まず第一に、神の国と神の正義のために十字架の道を歩まれたイエス・キリストに従う人となり、次にはこれまで6000年間の歴史の中で多くの先知先哲が自らの一神の栄光を捨てて神の御心を達成するために努力したその道をたどる人とならなければなりません。
 しかし、もしもあなたがたがそのような道を歩まず、自らの栄光のための道を歩むならば、あなたがたは神の前や多くの先祖の前で堂々と立つことはできません。また、死んで霊界に行っても、父の前に立つこともできず、父の愛の腕に抱かれることもできません。つまり、信じることも自分のために信じ、死ぬことも自分だけが救われるために死ぬ人は、あの世に行っても父の前に堂々と立つことができないことを、あなたがたは心に留めておかなければなりません。
 したがって、あなたがたは自分を否定し、その国とその正義のために生きる人とならなければなりません。どんな困難な状況にぶつかっても、あなたは自分を向ける父の希望があることを考えながら、その環境と戦って勝つ人とならなければなりません。そのようなあなたがなって初めて、神の真の子や娘であると言えるでしょう。
 では、神の国を建設できる人はどのような人でしょうか? 自己を否定し、愛情深い心で天国を目指す人です。自己を否定し、社会や民族・国家・世界のために尽くす人が、まさに神の国を建設できる人なのです。
 さらに、国や世界を否定し、それでも天国を目指す人が、天国を建設できる人であることです。また、どんな悲惨な状況に直面しても、自己のためではなく、社会や国家・世界、さらには天国のために悲しむ人でなければ、神の国を建設することはできません。
 したがって、今日のあなたは、個人の欲望を満たすために努力するのではなく、より大きな目的のために犠牲を払い奉仕する信仰生活を送らなければなりません。そして、ただ神の御心と人間のために尽力したイエス・キリストの精神的な基準に従うだけでなく、これまで努力してきた神の愛情深い心情を慰める神の真の子女の位置に至らなければなりません。
 そのため、今日のあなたは、不正を見ると怒り、与えたい神の愛を持ち、この世界の果てまで行っても神の国と神の正義を建設するために努力し、さらには人類を救うために努力してきた神の心情を慰めることができなければなりません。
 さらに、あなたが神の国と神の正義を建設する過程で、サタンとの戦いに負けずに勝利し、あなたが個人から家庭・社会・民族・国家・世界を一体化させる人とならなければなりません。
 つまり、あなたがどのような状況にあっても、そこでサタンと戦って勝利する人でなければなりません。社会に出れば、その社会のどんな環境でもサタンと戦って勝利し、国に出ればその国の最も困難な問題を引き受け、サタンたちと戦って勝利する人でなければなりません。
 もしもそのような人が現れれば、私たちが見る限りではすぐには終わりそうにないかもしれませんが、後には成功することをあなたは知っておかなければなりません。また、そのような人がどの家庭や職場・団体・国家の主人であることです。家庭では親のために自らの命を捧げて孝行の道を行い、夫婦がお互いに尊敬し合い、国王のために忠臣の道を行う人が、その家の主人であり、その国の主人なのです。
 したがって、今日のあなたも、6千年の歴史の目的を代表し、今日の現実的な宇宙的イデオロギーを代表して、どのような困難な道でも「父よ、ありがとう」と言いながら威風堂々とそれを乗り越えることができるようになるべきです。そして、あなたの偉大な姿があなたの心から湧き出て身体に溢れ、サタンすらもあなたを尊敬し、従うようになるとき、あなたはその国とその正義を建設する民として立つことができるのです。

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