■ 2021年11月19日 歴史と奇岩の山霊山
福島県伊達市にある霊山(りょうぜん)を訪れました。自宅から東北道~東北中央道霊山飯館IC~霊山登山道駐車場まで2時間半程度のドライブ。霊山は新日本百名山の一つで国の史跡及び名勝にも指定されており、約2500年前の火山活動によってできた奇岩岩石が有名なところで、奇岩めぐりと眺望を楽しむ山歩きができました。
平安初期の貞観元年(859)に慈覚大師により開山され、以来480年余南奥文化の中心として栄え、南北朝時代には、南朝の北畠顕家が義良親王(のちの村上天皇)を奉じて陸奥の霊山城を築いたが、1347年北朝との激戦の末落城したなど歴史的にも興味深い山です。
▼ ルートマップ・・・参考:山と渓谷 福島県の山
霊山登山口駐車場~鍛冶小屋岩~宝寿台~見下し岩~国司沢~甲岩~天狗の相撲場~親不知・子不知~護摩壇~国司館跡~霊山城跡~国司池~東物見岩~天の釣舟~蟻の戸渡り~望洋台~五百羅漢岩~弘法の突貫岩~弁天岩~日暮岩~登山口に至る5.8Km
▼ 霊山登山口駐車場から見る霊山
▼ 霊山登山口駐車場の案内板・・・登山案内板の前に伊達市観光案内、霊山登山マップ、登山者カードが用意されています。
▼ 案内板横の舗装路から歩き始めます。
▼ 霊山県立自然公園案内図・・・石柱には「史跡及び名勝 霊山」と刻まれている
▼ 霊山ハイキングコース入り口
▼ 登山道
▼ 鍛冶小屋岩
▼ 宝寿台(ほうじゅだい)・・・急な梯子を上ります
▼ 宝寿台からの眺望
▼ 見下し(みおろし)岩
▼ 見下し岩からの眺望
▼ 分岐を霊山城跡方面へ向かいます。霊山城跡を経てぐるっと一周して右側の道を戻ってきます。
▼ 国司沢
▼ 甲岩へ向かう階段
▼ 甲岩からの眺望
▼ 天狗の相撲場へ向かいます
▼ 天狗の相撲場入り口
▼ 天狗の相撲場
▼ 天狗の相撲場からの眺望
▼ 登山道
▼ 護摩壇入り口を護摩壇方面へ向かいます・・・右の道を進むと霊山城跡に至ります。ルートマップで分かるように、霊山城跡からここまでルートミスしてきてしまい、また城跡まで戻りました。
▼ 親不知・子不知・・・人一人が通れるくらいの狭い岩の通路と絶壁
▼ 途中の路肩からの眺望
▼ 狭い岩の通路
▼ 岩をくぐっていくと護摩壇の標識が見えます
▼ 岩穴の先に「護摩壇」の案内板
▼ 護摩壇
▼ 護摩壇からの眺望
▼ 霊山城跡
▼ 中世霊山の寺院城郭(復元図)・・・この絵は中世(南北朝期)、霊山の山上に多数の寺院・城郭が建っていた頃の想像図。霊山は古来”二ツ岩”に代表される自然を崇拝する山岳信仰の山でしたが、貞観元年(859)、天台宗の開祖最澄の弟子である慈覚大師によりここ霊山山中に”霊山寺”が開基されました。全盛期は120を超える堂塔伽藍が山上に存在し、北の比叡山として南東北仏教の一大拠点として栄華を誇りました。現在の広場はかつて霊山寺の中心である根本中堂があった所です(説明版より抜粋)。
▼ 石碑・・・右:「義良王在御之碑」左:「霊山城之碑」
▼ 説明版「史跡及び名勝霊山」・・・貞観元年(859)、比叡山延暦寺の座主円仁(慈覚大師)によって開山されたといわれ、釈迦が修行したというインドの霊鷲山に因み霊山と命名され、山号を南岳山山王院霊山寺と称した(説明版より抜粋)。
▼ 国司館跡
▼ 国司池
▼ 霊山城跡からトイレの横を通って東物見岩へ向かいます
▼ 二ツ岩入り口・・・今回はスルーしましたが、東物見岩から見ることができました
▼ 東物見岩に向かいます・・・右の道は巻き道
▼ この岩を上ると東物見岩
▼ 東物見岩(霊山山頂)・・・ここから太平洋が見えます
▼ 東物見岩から見た二ツ岩
▼ 学問岩
▼ 天の釣舟入り口
▼ 天の釣舟
▼ 天の釣舟の下側は岩の突起で支えられていました
▼ 蟻の戸渡り
▼ 望洋台・・・案内板の裏手に入ると展望台があり太平洋が見えます
▼ 弁天岩へ向かいます
▼ 五百羅漢岩・・・何とかよじ登ることができます
▼ 五百羅漢岩からの眺望
▼ 弘法突貫岩
▼ 弘法突貫岩の隣の岩の下部に3つの穴があり、一番右の穴は貫通してました
▼ 弁天岩へ向かいます
▼ 弁天岩入り口・・・奥へ進み梯子のかかる岩が弁天岩
▼ 弁天岩
▼ 弁天岩からの眺望
▼ 日陰岩に向かいます
▼ 途中「正面 弁天岩」の標識があり、遠くを見ると弁天岩が見えます
▼ 日暮岩
▼ 日暮岩からの眺望
▼ 上りの登山道に合流し登山口へ戻ります
▼ 夕日を浴びた霊山