■ 2021年11月05日 矢板の秋を味わうハイキング
JR東日本駅からハイキング「矢板の秋を味わうハイキング」に参加してきました。歩いたルートは、JR宇都宮線矢板駅で受付後、矢板にぎわい館~矢板武記念館~山久チーズファクトリー~荒井家住宅~長井リンゴ団地~塩竃神社~道の駅やいたをめぐり矢板駅に戻るルートです。
矢板武記念館ではボランティアの方から館内説明を聞くことができました。荒井家住宅のほうもボランティアの方の説明を期待したのですが、途中昼食を食べていたのが災いしたのか帰られた後だったので見学のみでした。
長井リンゴ団地は荒井家住宅手前からはじまる広範囲の中にリンゴ園が点在する地域で、それぞれのリンゴ園で取れたてのリンゴが購入できますが、私たちが通った時間帯(午後2時)には「本日売れ切れ」の表示が出ていて、購入できませんでした。道の駅やいたなら購入できるだろうと期待していきましたが、こちらにも置いてなく手に入れることができませんでした。
塩竃神社ではその昔、矢板の地で塩が取れたという案内板の説明があり、初耳だったので驚きました。
▼ ルートマップ・・・JR宇都宮線矢板駅~矢板にぎわい館~矢板武記念館~山久チーズファクトリー~荒井家住宅~長井リンゴ団地~塩竃神社~道の駅やいた~JR宇都宮線矢板駅に戻るTOTAL14Km
▼ JR宇都宮線矢板駅西口の受付で参加受付・・・グリーンの「駅からハイキング」の旗が目印、ここでマップと缶バッチ、観光案内パンフとペットボトルのお茶を受け取りました。
▼ 矢板にぎわい館・・・昭和のレトロ感漂う雰囲気を再現した商店街
▼ 道路沿いのフェンスに集まる雀
■ 矢板武記念館・・・矢板武(1849-1922)は、幕末から明治にかけ矢板の礎を築いた郷土の偉人。その業績は政治・経済・産業・教育と多方面にわたる。特に印南丈作(1831-1888)と共に行った那須野が原の開拓は一番の業績として挙げられている(パンフレットより抜粋)。
▼ 矢板武記念館入り口の長屋門
▼ 矢板武銅像と母屋
▼ 勝海舟の書「聚薼亭」・・・塵まみれになって働いている人たちの集まる屋敷の意
▼ 母屋内部
▼ 山形有朋の書「佳軌氣山光」
▼ 品川弥次郎書の掛け軸
▼ 矢板武の書「忠実服業」
▼ 内川の流れ
▼ 内川沿いの遊歩道から見た高原山
▼ 内川沿いのススキ
▼ 内川に掛かる中橋
▼ 県道31号線沿いの馬頭観音
▼ 山久チーズファクトリー(http://www.cheesefactory.jp/)・・・ジェラートを食べ、スモークチーズとオリジナルチーズを購入
■ 昼食で立ち寄った味処ふるかわや・・・のれんに書かれた「もつ焼」に誘われて入りました。
▼ ランチメニューの「ラーメンともつ焼丼」・・・ラーメンは昔ながらの中華そば、もつ焼丼は甘辛たれでとても美味しかったです。
▼ 昼食後は荒井家住宅に向かいます。・・・県道30号線を塩原温泉方面に向かい、標識に従って、矢板市立泉小学校の交差点を左に入ります。ここから目的地の荒井家住宅までは1.6Kmあります。
▼ 途中、東北自動車道の下をくぐります。
▼ 道沿いの馬頭観音
▼ リンゴ畑の横を通ります。この辺から長井リンゴ団地が始まります。
■ 荒井家住宅・・・荒井家は旧庄屋を勤めた家柄。延宝4年(1676)火災にあったことが所蔵の文書に記録があり、建物の細部手法から見てこの2~3年後に建築されたものと推測されている。この住宅は、県下の民家の中では古式な細部を残しており、この地方の民家を知るうえで重要な遺例である。また表門は当地方の上層農家の屋敷構いの一環を那須他店のとして代表的な長屋門である(案内板より抜粋)
▼ 荒川家住宅表門(長屋門)
▼ 荒井家住宅
▼ 屋根裏
▼ 軒下
▼ 長井リンゴ団地に向かう道路沿いの紅葉
▼ 長井リンゴ団地
▼ 道路沿いの馬頭観音
▼ 県道30号線沿いにある塩竃神社への道標
■ 塩竃神社・・・神社の由来(口伝)によると、製塩に関係のある神社です。古代には矢板市内の塩田、高塩、玉塩(現在は玉田)などに塩水が出て、それを集めて窯で蒸発させ製塩したということです。そこには現在でも須釜という地名(幸岡と館の川の境付近)が残っており、須釜神社があったと伝えられている。これが塩竃神社となり、その後現在地の西方の本社(小字名として残る)に移り、天正8年(1580)現在地に移転したといわれている(案内板より抜粋)。
▼ 参道沿いにある石碑
▼ 拝殿(正面)と神楽殿(左手)
▼ 本殿