■ 2022年04月01日 春の花桃と歴史豊かな古河公方公園
茨城県古河市にある古賀公方公園を訪れました。花桃は満開の時期を過ぎてしまっていましたが桜は満開で見頃でした。
▼ 公園入口沿いの桜
▼ 駐車場のグリーンゾーンに咲くムスカリ
▼ 御所沼沿いの柳
▼ 古河公方館跡に咲く椿
▼ 古河公方館跡に咲くシロバナジンチョウゲ
▼ こぶし野に咲く桜
▼ 蓮池周囲の花桃
▼ 蓮池周囲の菜の花
▼ 桃林に咲くハナモモ
▼ 桃林に咲くナシ
▼ 桃林に咲くハナモモ
▼ 桃林
▼ 桃林の由来・・・江戸時代のはじめ、徳川幕府の要職にあった土井利勝が古河藩十六万石を拝領した頃、領内で薪が不足していました。そこで江戸藩邸にいた利勝は一計を案じ、江戸市中の子供たちに桃の種を集めさせ、それを俵に詰めて古河に送り野畑や農家の屋敷周りに植えさせました。桃は成長が早く、枝は薪になったといわれています(説明版より抜粋)。
▼ 古河公方足利義氏墓所・・・古河公方五代目の足利義氏は天正十年(1582)古河城で没した。戦乱の中葬儀は翌年久喜(埼玉県)の甘棠院で行われその近くの香雲院という寺も建てられたが今は現存しない。この墓所は義氏ゆかりの寺があった関係で遺骸ないしその一部が埋められたものと考えられる(説明版より抜粋)。
▼ 目洗弁天池周囲に咲くムラサキハナナ
▼ 目洗弁天池周囲に咲くハナカイドウ
▼ 富士山浅間神社と鴻巣の富士塚・・・鴻巣の富士塚は模造の富士山で文政十四年頃(1830)の築造と考えられている。鴻巣村の小森谷家及び広く浄財を募り築造し、富士山浅間神社の祭神を勧請した(説明版より抜粋)。
▼ 虚空菩薩・・・文安年中の開基にして足利義満公が非常に信仰されて以来、代々篤く信仰されてきた尊像であり足利成氏公(古河公方)の代に公方家の館より東北(丑寅)の現在地に辰崎の古河城跡地より同じく鬼門除として移転されたと伝えられている(説明版より抜粋)。
【参考】