■ 2021年01月22日 焼森山と鶏足山をめぐる
明日から天気が崩れるとの予報を聞き、鶏足山を訪れました。鶏足山駐車場に到着したのはお昼直前、この時間帯だったからか駐車スペースは数台空いていて駐車できました。それにしても平日というのに登山者の数の多さ(車はびっしり路肩駐車)にびっくり、地元ナンバーの車が多く(コロナの影響?)、地元の方々に愛されている山であることを実感しつつ、鶏足山駐車場から焼森山~ミツマタ群生地~鶏足山~鶏石~鶏足山~富士ヶ平山(赤沢富士)をめぐって駐車場へ戻るコースを歩きました。
▼ ルートマップ・・・参考:山と渓谷社 茨城県の山
▼ 鶏足山駐車場
▼ 富士ヶ平山(赤沢富士)
▼ 町道中ノ沢線を進みます。
▼ 鶏足山登山道を上ります。
▼ 藤井川の源流
▼ 地蔵岩
▼ 弛み峠を左折し焼森山へ向かいます。
▼ 下大貫分岐を直進・・・焼森山へ
▼ 座禅岩
▼ 焼森山山頂・・・眺望が良いです!
▼ こだま岩
▼ こだま岩からの眺望・・・高峯、加波山、筑波山
▼ 新登山道を焼森山登山口へ下ります。
▼ ミツマタ群生地を経て弛み峠へ向かいます。
▼ ミツマタ群生地遊歩道入口・・・焼森山のミツマタ群生地は、戦時中、紙不足を危惧した地元の方々が神の原料として植えたのが始まりとされています。戦後復興の中で忘れ去られていたミツマタが再び発見されたのは、平成17年に茂木中学校の建設のため焼森山の木を間伐したときでした。間伐により暗かった山に光が入り、ミツマタは一気に群生を広げていきました。(案内板より抜粋)
▼ 焼森山雷神神社と雷神穴入口
▼ 焼森山雷神神社鳥居と石祠
▼ 雷神穴
▼ 登山道脇のミツマタの蕾とミツマタの群生
▼ 分岐を弛み峠へ向かいます。
▼ 弛み峠を左折し鶏足山南峰へ向かいます。
▼ 鶏足山山頂(南峰)
▼ 鶏足山(北峰)見晴台と弘法大師の祠
▼ 弘法大師と鶏足山・・・平安時代の弘仁年間(810~823)、弘法大師空海上人が布教のために百沢(峰)ある土地に寺を拓こうとこの地にやってきました。当時この地は、大干ばつが続いていて飢饉に苦しむ村人を助けようと八瓶山の山頂で八大竜王に降雨を祈り見事雨を降らせ村人を飢饉から救ったと伝えられています。そしてこの八瓶山の南山麓に徳蔵寺を建立しました。
その後、弘法大師はこの地に滞在し大沢(現在の城里町大字下赤沢地内)に入って修行を続けました。ある朝、弘法大師が護摩修行をしていたら鶏の鳴き声がしました。こんな山に鶏がいるのかと不思議に思い山に登ってみたら鶏冠の形をした大変大きな岩(鶏石)があったので、この岩が鳴いたのだろうとこの山を「鶏足山」と命名したとされています。(案内板より抜粋)
▼ 護摩焚石・・・弘法大師が護摩を焚いて修行したという岩
▼ 鶏石への分岐
▼ 鶏石・・・鶏冠の形をした岩
▼ 鶏石から戻って鶏足山山頂
▼ 富士ヶ平山(赤沢富士)経由で下山します。
▼ 富士ヶ平山(赤沢富士)方面へ
▼ 富士ヶ平山(赤沢富士)山頂方面へ
▼ 富士ヶ平山(赤沢富士)山頂・・・日本の象徴である富士山は、奈良時代の終り頃から盛んに噴火を繰り返していたと伝えられており、人々には恐れられ「神の山」として崇められてきました。現在も富士山頂には火臥の神として浅間神社が祀られています。富士講は、江戸時代から全国で行われるようになり、赤澤村(現在の城里町上下赤沢地区)でも赤澤富士山頂で五穀豊穣・家内安全・火臥等を祈願して念仏を奉納していました。戦後、社会情勢の変化により急速に廃れてしまいましたが、この浅間神社はその時代の出来事をひっそりと現在に伝えています。(案内板より抜粋)
▼ 浅間神社中宮跡
▼ 富士ヶ平山(赤沢富士)登山口から駐車場へ戻ります。