終戦後多くのロシヤの民間人がやってきました。例えば市役所にも。とても日本語の上手な人もおりまして,家でおばあちゃんに[とても日本語の上手なロシア人が来た]と教えたら.おばあちゃんが[それはお前よりはどんなロシア人でも日本語がうまいだろう,何しろお前は何もしゃべらんのだから]と言われました。私は自分の無口には気がついて居りましたけれども、それほどとは思っておりませんでした。
ロシア人の性格について考えてみましたが,ロシア人は日本人よりも社交性が有るような感じがします。お客さんが来るのをとても歓迎します。私の知人の家にロシア人の子供が遊びに来ておりました。そのおばさんは元芸者で三味線をよくしておりました。斉藤さんと言う名前ですが三味線で佐渡おけさを、ひいておりましたら、その子供が[どうして斉藤さん斉藤さんと言うのですか]と聞いてきたそうです。佐渡へ佐渡へと草木もなびく]と言う歌なので,斉藤.斎藤と聞こえたようでした。そんな風で子供でも日本人の家に遊びに来るような感じです、街に小さなスキー場があるのですが.日本人の子供はおっかなびっくりで自分の技術にあったように滑りますがロシアの子供は難しいところでも果敢に滑っては派手に転んでおりました。日本人が仏壇に使う金蘭の布切れを珍しいものですから、窓辺に飾ったりしておりました。
私が趣味で横笛を吹いておりましたが、退屈な時海岸の方で出て行き、笛を吹いておりましたら,ソ連の兵隊に引っ張られていきました。
ロシアは海岸線が国境と言うことのようです。それで国境守備隊が海岸沿いを見守っております。どこかに連れていかれていろいろと尋問されましたので、その横笛でソ連の国歌を歌ったりして,許されて帰されました。
ロシアは住民全部に住民票のようなものを持たせました。そして時々検閲します。いちど映画館で映画を見ていた時に,一生検査が始まり持っていなかったものが数名引っ張られてきました。
私は持っておりましたが、それを長靴の中に隠して引っ張られていきました。どんな風な検閲をされるのか試してみたかったわけです。
途中で怖くなって、長靴から住民票出して、帰されました。なぜそんなことをしたかと言うと、私の友人がロシヤの警察に引っ張られた時のことを話しておりました。引っ張られた理由は日本人の女の人がロシアの人と腕を組んで歩く人がたまにおった。それを非難して[日本人の女性よ、操を守れ]と言うような意味のビラを貼り出したものがあったのですが.その首謀者として私の友人が引っ張られていたそうです。