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樺太物語

2020-02-02 18:45:00 | 日記1月3日  今日は3日なのに年賀状も新聞も来ない様だ。
私は樺太のの珍内と言う所で生まれました。その後泊居に2 〜3年居てその後、樺太北部の気屯(ケトン)と言うところに行きました。北緯50度の国境近くです。
したがって8月9日にロシアが国境から攻めてきたときには、家族は急いで南下して北海道に引き上げました。
その時私は豊原工業学校に居たので引き上げられずにや樺太に残りました。その時父親も引き上げさせられずに気屯に残りました。
 私は当時豊原工業学校の三年生で、寄宿舎に居ました。8月9日にソ連軍が国境線を越えて攻撃してきたので、豊原市内の各中学生に防衛召集がかかりました。各校から、5〜6人だったと思います。兵舎は、豊原女学校になりました。
訓練は、5人1組で草を掻き分けて地雷を持って戦車に飛び込むと言うものでした。
 8月15日で、敗戦になったその日の夕方に、解散になりました。
私は、寄宿舎にかえりました。



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