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終戦後

2020-03-11 19:10:00 | 日記1月3日  今日は3日なのに年賀状も新聞も来ない様だ。
進駐してきたソ連軍は、
豊原工業学校の校庭に宿泊しました。炊事用の、大きな機械を積んだ車を校庭し据えて炊事をして居ました。将校が私たち寄宿舎の各部屋を覗いて、何やらロシア語で尋ねてきたので、私もロシア語で(わからない)と返事しました。器用な人が居るもので、終戦後1週間もたたないうちに、ガリ版刷りの簡単なロシア語の辞書が、安い値段で発売されていました。
それを見て、簡単なロシア語はわかるようになっていました。
引揚げ船に乗ろうとして、多くの人が大泊まで南下しましたが、ソ連軍に船を停められて引き上げができないものですから、元の住所に戻るように、ソ連軍に言われました。
それで引揚げ途中の避難民が、豊原工業学校の講堂にも、すし詰めで泊まりました。
その中に私の親戚のものも居りました。
ソ連軍は終戦後、布告を出して治安はソ連軍が守る。住民は元の場所に戻って元の職業に従事するようにと言う布告を出しておりました。
それで私も親類の人に一緒に、泊居と言うところに行くことにしました。豊原から真岡までの山道を豊真山道といいます。そこを徒歩で大勢の人が歩きました。2日ぐらいで泊居につき、親類の家で生活することになりました。


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