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珍内

2020-04-11 19:07:00 | 日記1月3日  今日は3日なのに年賀状も新聞も来ない様だ。
樺太の西海岸で泊居の少し北に珍内と言う街があります。私が生まれたのはその街です。
珍内は砂の町である。普通の土があったんだろうが、今思いだしてもよくわからない。
日本では鳥取砂丘が有名だけれども,珍来も砂丘がある。町外れから海の方に向かってなだらかな砂山があって頂上になると、急傾斜で、すぐ海になるのである。
海は数mの間は浅瀬で、それから急に50センチ位の深さになりそれが10メートル行った所で、浅瀬になり,そこからずっと浅瀬がついている徐々に深くなっていくその長さは50メートル位あっただろうか,
小学校に入る前に,よく泳いだ。50センチくらいの所でところで、手をついて足をバタバタさせて泳ぐのであるが、つかんだ砂の中に小さなエビが入ってることがよくある。
同年代の友達と一緒に、泳ぎに行った帰り、小さな壊れかけた小屋があってそこによじ登って飛び降りたときに、足をくじいたことがある。時々ふっと思い出し懐かしい気持ちになる。
私の居た家の裏に川が流れていた。思い出すのは大雨が続いて水害になったことがある。その時私の義兄が船を漕いで食料を届けてくれたことがあった。かすかな思い出である。

終戦後4

2020-04-07 21:27:00 | 日記1月3日  今日は3日なのに年賀状も新聞も来ない様だ。
昭和22年頃から引揚げの話しが出始めた。
父が気屯から泊居に来たので、おばあちゃんの家を出て父と2人で家を借りて住んでいた。なかなか引揚げの順番が来ないので,製紙工場の工場長のロシア人の家に干した鮭を持参して、引き上げの順番を早くしてくださいとお願いした。ポツポツと引き上げていく人が居るので,道を歩くと猫が私のそばに寄ってきて,体を擦り付けてきていた。引き上げに際して犬や猫は連れて行かれないので、野良が大勢いたはずである。
私達は昭和22年の8月に、引き上げ船に乗ることができた。函館に着いた時乗客の中に伝染病患者が出たと言う話があって、すぐに上陸できず2 3日函館の海上におった。