強制ダイエットなう。

時代錯誤な自民党一味に喝!

旅の恥はかき捨てではなく、人間ならばゴミは持ち帰れ。

2022-05-12 10:25:50 | 日記

あまりにもひどい「観光公害」の実態を耳にすると、怒りでハラワタが煮えくり返るという人も多いのではないか。日本人といえば、サッカーワールドカップの試合後にゴミ掃除をして世界から称賛されるなど、自他共に認める「マナーのいい国民」という認識が広まっている。にもかかわらず、この体たらく。もし現場を目撃したら徹底的に糾弾して、性根を叩き直してやりたいと感じる人もいらっしゃるだろう。

 ただ、厳しいことを言わせていただくと、仮に自警団のようなものを結成して、ゴミのポイ捨てをする観光客を捕まえて血祭りにあげたところで、この問題が解決することはないだろう。

 観光地にゴミをポイ捨てしてサクッとその場を立ち去る、という「旅の恥はかき捨て」的な振る舞いは、日本人の伝統的倫理観のひとつだからだ。

● 「マナーがいい」なんて勘違い?! 日本人が世界の観光地を荒らしてきたのはなぜ?

 「日本人のマナーは世界一」という話が触れ回られるようになったのは、実はこの20年程度の比較的新しい話である。それまでは観光地でバカ騒ぎをして、ゴミをポイ捨てするといえば、日本人の定番だったのだ。

 詳しくは、『バブル期日本人の「蛮行」に苦しんだハワイに見る観光業の未来』や『石垣島のラーメン店を「日本人お断り営業」に追い込んだ観光公害の深刻』をお読みいただきたいが、バブル期あたりまで日本人観光客は海外でも国内でも「マナー最悪」という評価だった。

 どこへ行っても大声でバカ騒ぎをして、地元住民を悩ました。教会や聖なる場所にもズカズカと土足で踏み入って、「ハイ、チーズ」とバシャバシャ写真を撮って、ゴミをポイ捨てして帰っていく。その傍若無人な振る舞いは、1987年の米タイムス誌に、「世界の観光地を荒らすバーバリアン(野蛮人)」なんて特集されるほどだった。

 「それは今の中国人観光客と同じで急速な経済成長で、まだ国際感覚が追いついていなかったから」と言い訳をする人も多いが、そういう表面的な話ではなく、100年以上前から確認されている、伝統的な日本人の「旅先での振る舞い方」なのだ。

 例えば、1899年(明治32年)から1914年(大正3年)まで中国・長江に滞在していた帝国海軍・桂頼三は『長江十年:支那物語』のなかで、国際都市・上海を訪れた日本人たちが河原で「日本式花見」を催した時について触れている。

 「飲む、食ふ、歌ふ、三昧や太鼓の楽隊入りの大騒ぎ、果ては踊る、舞ふ、跳る」という「乱痴気」や、「狂ひ廻はる有様」を見た外国人が珍しそうに眺めていて、「赤面の至り」だったと記述している。

 100年以上前から日本人は「旅の恥はかき捨て」と言わんばかりに観光地でハメを外してきたのだ。「久々の制限なしのGWでついはしゃいじゃった」とか「にわかキャンパーが増えている」という話ではなく、シンプルにこれが日本人の伝統的な観光地での立ち振る舞いなのだ。

 では、なぜこうなってしまうのか。

● 周りの目を過度に気にする日本人 解放されるとリミッター崩壊

 いろいろな考えがあるだろうが、筆者は「自分が周囲にどう見られるか」ということを過度に気にする日本人の国民性が関係しているような気がする。

 20年8月、同志社大学の研究チームが年齢や居住地が日本の縮図になるように1000人を選んで、なぜマスクを着けるのかということを調査をした。その結果、『感染が怖いからでも他の人を守るためでもなく「みんなが着けているから」』(日本経済新聞20年8月11日)ということが明らかになった。

 つまり、「あの人、みんなが着けているマスクをなぜしないんだ」と周囲の人に思われたくなくてマスクを着けているというのだ。

 このように「自分が周囲にどう見られているか」を過度に気にする日本人は、自分の生活圏ではあまり悪さをしない。家の前で、ゴミの不法投棄をしたり、バーベキューコンロを道路に放置すれば、「あそこの家はヤバい」と白い目で見られてしまう。「周囲の目」が抑止力になっているのだ。

 しかし、ひとたび生活圏から離れた海外や観光地に行くと、その抑止力が一気にパアになってしまう。周囲は知らない人ばかりだし、ヘタすれば二度と訪れないので、心おきなくゴミもポイ捨てできるし、バーベキューコンロの不法投棄もできる。酔っ払って人の家の前で吐くこともできる。

 普段は「周囲の目」を気にしながらビクビク生きているので、そこから解放されると反動で急に気が大きくなって、「旅の恥はかき捨て」のフィーバー状態に陥ってしまうのである。

 だから、観光地のゴミ問題で精神論を振りかざしたところで意味はない。日本人が自分の行動を律するのは、「周囲の目」を気にした時だけなので、「マナーが悪い」「モラルがない」と精神面を注意されたところで、馬の耳に念仏なのだ。

● 「観光公害」はモラルで解決できない 日本の観光地を救う手はタイにあり!?

 「観光公害」という問題が、モラルやマナーという観光客側の精神論で解決できないというのは、実は日本だけではなく、世界の常識となっている。

 世界中から観光客が押し寄せるような観光地では、「呼びかけ」や「お願い」をいくらしてもまったく意味がない。そこで続々と「有料化」や「規制」というシステムを導入している。例えば、混雑やゴミ問題が深刻なっているイタリアの世界的観光地ベネチアでは、街の清掃や補修費用にあてるために観光客から「入場料」を徴収するようになる。

 では、それを踏まえて、不法投棄が深刻な日本の観光地はどうすればいいのか。個人的には、日本人が最も恐れる「自分が周囲にどう見られるか」ということを逆手にとったシステムを導入をするべきだと考えている。

 例えば、キャンプ場などの場合、利用前に身分証明書を提示して、自分が借りた区画にゴミの不法投棄などがあった場合、自宅に着払いで送り届けてもいいという誓約書にサインをさせるようにしてはどうか。

 「自分が周囲にどう見られるか」を過度に気にする日本人にとって、自宅に大量のゴミが送りつけられるなんて事態は絶対に避けたい。「旅の恥はかき捨て」ができないシステムだ。

 「そんなマンガのようなアイディアは現実的ではない」と思う人もいるかもしれないが、アジアを代表する観光立国では、すでにこれは実現化されている。タイだ。

 タイのカオヤイ国立公園は、絶滅の危機に瀕した動植物が多く生息しており、2005年には世界自然遺産に登録された。そのため多くの観光客が訪れているのだが、やはりそれだけ多くなるとマナーの悪い人間も出てくる。そこで、対策として、ポイ捨てをしたことが判明した場合、「カオヤイ国立公園での忘れ物です」と書かれたメモをつけて、自宅にゴミが送り返されるようになっている。

 日本では国立公園というのは、タダで好き勝手に入れてゴミも捨て放題というイメージだが、海外のナショナルパークは入場料をとって、身分証明書などの提示を求められる場合も少なくない。タイもそのひとつで、利用時に住所を登録するのだ。

 日本がこういうシステムを導入するという話になると、どうせ「プライバシーがない」「公園は誰もが楽しめる憩いの場だ」とかいう反対運動が起きるので、国立公園は難しいが、民間のキャンプ場ならば、自分たちでルールを決めることができる。

 観光地にゴミを散乱させたまま帰るような人たちというのは基本的に、見ず知らずの土地でどんな非常識なことをしても、自分の日常生活が脅かされることがない、という慢心がある。ゴミを送りつけることで、それが大間違いだということをわからせていくのだ。

● 「お客様は神様です」の勘違い 観光地は無料という常識を変えよう

 という話をすると決まって出てくるのが、「そんなに規制を厳しくしたらゴミは減るけど観光客も減ってしまう」という慎重論だ。

 最近も多くのバーベキュー客でにぎわう埼玉の人気スポット・飯能河原が、ゴミや騒音が問題になっているので実験的に有料化にしたところ、利用客が大幅に減って、周囲の観光業者が悲鳴をあげている、というニュースがあった。

 しかし、神奈川県川崎市の多摩川河川敷のように、バーベキュー場を有料化したことでゴミも減って、河川の自然環境も守られるようになったというケースは山ほどある。当初は利用者も減るだろうが、それにともなって「カネを払わずバカ騒ぎをしたい」というマナーの悪い客も減っていく。有料化で清掃などの環境整備も進むので、観光池としての満足度が上がっていく。長い目で見れば、有料化は観光客と観光地の質を向上していくことになるのだ。

 そこに加えて、筆者はそのような、「無料観光地」こそが日本人観光客のマナーを悪くさせた「真犯人」だと思っている。ただでさえ、「旅の恥はかき捨て」という倫理観があるところに、「観光地はタダが当たり前」ということが、マナーの悪い輩をさらにつけあがらせてしまったのだ。

 というのも、日本の「客」というのは、ちょっとでも甘い顔を見せると、「オレはお客様だぞ」とでかい顔をするようになってしまう傾向があるからだ。それを象徴するのが、浪曲師・三波春夫さんの名言「お客様は神様です」だ。ご存じの方も多いだろうが、これはもともと三波さんの「歌」に対する心の持ち方について語ったものだ。

 「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです」(三波春夫オフィシャルサイト)

 しかし、いつの間にやらこの言葉は「顧客至上主義」の文脈で使われるようになる。モンスタークレーマーたちが王様のように振る舞って、店側に土下座を迫るような場面でも、「客は神様だろ!」なんてすごむことがある。

 実はこれとまったく同じことが、「旅の恥はかき捨て」でも起きている。

● 自国の観光客を甘やかしすぎ 傍若無人な振る舞いに終止符を

 「旅の恥はかき捨て」という言葉の本来の意味はこうだ。その土地にはそこにしかない風習や文化があり、旅人はそれを知らないので、行く先々で恥をかくこともある。でも、旅というのはそういうものなので、そんなに気に病むものではない、というものだ。実際、「Weblio辞書」の中にはこう解説されている。

<旅先で恥をかいても、それをネタに後々まで馬鹿にされるようなことにはならないので、その場かぎりと思って忘れるがよい、という意味合いのことわざ>
 しかし、今多くの人は「旅の恥はかき捨て」というのは、これまで本稿で述べてきたように、旅先では誰も知らないから少しくらい非常識なことをしても大丈夫、というような意味だと解釈をしている。

 つまり、「お客様は神様です」とまったく同じで、観光する側がサービス提供側に対して、非常に優位な立場にいて、傍若無人に振る舞ってもいいというような「免罪符」的な意味合いに変えられてしまったのだ。

 モンスタークレーマーのような問題が増えていることからもわかるように、日本は「客」を甘やかし過ぎてきた。観光も同じで、これまで「無料」や「安くてうまい」で観光客をチヤホヤしてきた。それが「旅の恥はかき捨て」という伝統的倫理観を持つ一部の日本人観光客をつけあがらせてきたのではないか。

 近年、外国人観光客が増えていたので、ゴミ問題など観光地のトラブルはすべて彼らのせいという風潮があった。それがコロナ禍で外国人観光客が消えてしまったことで、罪をなすりつける相手がないので、これまで目立たなかった日本人観光客の「悪行」が一気に表面化してきている。

 裏を返せば、外国人観光客の受け入れを再開したら、またこの問題は「マナーの悪い外国人が悪い」という話にすり替えてウヤムヤにされるということだ。

 そういう意味では今がチャンスだ。観光公害はマナーやモラル、そして民度などの精神論で解決できるものではない、という現実としっかり向き合う。そして、世界の観光地を見習って、有料化やペナルティなど観光客側にも一定の負担があるシステムを導入するのだ。

 「日本人のマナーは世界一」なんて夢みたいなことを言っていないので、マナーの悪いお国柄ならではの、現実的な観光公害対策を考えていくべきだ。


観光地はゴミ箱では無い。

お客様は神様、ではなく、金払うまでは貧乏人か客か?なんてわかるわけが無い。

客に向かって!とかいうやつは大概、なんか迷惑をかけてるサル

飲食店やらでは、金を払わなきゃ泥棒だかなんだか分かるわけない。

また、日本のルールや法律は海外には通用しない。


郷に入りては郷に従えが正しい。