EKKEN♂

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ネット上で議論を仕掛ける事について

2005-08-12 | WEBにまつわる話
 議論をする事を好まない人がいるのだから、そういう人に議論を仕掛けるのはよくない、という意見を目にする事がよくあります。
 相手がそれを望まないのだから、マナー違反だ、ということらしいです。
議論したがっていない相手に、議論をすんなと思う。
日常会話でわざわざ思いのたけをしゃべるなよ。
なんで、あんたの薀蓄につきあわされるの?と思う。
それと、ムラ子も必ずしも面白いと思わなかったけど、
別にそれについて語りたいと思わないんで、ざっくりと
「面白かった」といってる場合もある。
すごくよくあるよ、それ。

え?日常じゃなく、ネットの話だよって?
ネットだと、余計歯止めがきかないかも。
Partygirl☆イラスト付きコラム:フツーに言及ってむずかしい

 ネット上で見つけたある人の意見に違和感を覚え、それに対する意見をトラックバックやコメントなどを使って申し立てると、すぐにマナー違反だとギャーギャー騒いだり、時には荒らし扱いしてしまう人がいます。こういう人を見ると、僕はいつも「この人よほど自分が王様でいたいのね」と思ってしまいます。
 ネット上で何かに対する考え方を書いた時には、それに対して異を唱える者が存在する事は、むしろ当然のハナシでしょう。こと、ブログというツールは、その記事に対しての閲覧者の意見が聞きやすいように、個別の記事にURLが与えられ、コメント欄があり、トラックバックという言及通知の機能があるのです。
 そういう物を使っている時点で「あたしの意見と違うことは書かないで」というのはなんとも都合のよいハナシです。
 だいたい、自分の日常を綴った文字通りの日記ならいざ知らず、ブログ論にしても、映画評にしても、政治の話にしても、「何かを論ずる」文章において、自分が書いたものが全く批判を受けないと思っている人って、相当甘やかされて育ってきたのではないかと思います。
 自分の予想しなかった反応があったことで、「別に語り合いたいとも思わなかった」なんて言われても、それだったら不快感を顕わにするよりも、スルーしとけ、と思うのです。
 常に交流のあるブログ主に対してなら、いざしらず、興味のある単語の検索など出でたまたま見かけたブログの主が、議論を好むか好まないか、なんてことは分かるはずもなく、ブログというツールを使いコメント・トラックバックを受け付けている時点で、閲覧者が意見を出す事を認めているわけでしょう?
 議論が好きか嫌いか、これは議論を仕掛けてはじめてわかる事であって、仕掛ける事自体が「悪」とされる事じゃないです。
 また、仕掛けた(というか、異論を唱える者の多くには「議論を仕掛ける」という意図はなく、相手の考え方を正すという目的よりも、別の考え方の提示をしているに過ぎないのだと思うのですが)結果、相手が「議論は好まないです」という宣言を出したのだとしたら、その人は何の為にパブリックな場所において「何かを論じている」のでしょう?
 自分の考えに反する意見を読まされたくないのなら、開かれた場所で物事を論じるのはおかしな事です。
 もちろん、ネットに文章を投じている時点で「異論反論ナンデモアリだ」として、ハナからケンカ腰な文章や、相手に罵声を浴びせるだけのものは、問題外ですが、最近、「荒らし」に対する閾値が低すぎる人が多いな、と思うのです。
 僕は「意見交換を好む者」として、こうした、自分と価値観の違うものに対して「バカ」「キモイ」という非論理的な一言で相手を責める行為や、「自分と意見が違う」=「荒らし行為」と即認定する事に疑問を感じます。
 ただ、ある人が信じている物(政治的思想や宗教など)を変えさせる事は難しく、またあまり建設的なこととは思えません。ネット右翼(あるいは左翼)と呼ばれる人たちは、時に考え方の異なる相手にブログに対し、「意見」とは言いがたいただの難癖をつけ、お互い荒らし行為を繰り返し、それを「炎上」という「荒らし」を美化したような言葉にして喜んでいるようですが、なんとも愚かな行為だと思います。
 炎上させたところで、自分と異なる考えの者がいなくなるわけではないし、そうした行為を好む人は、いずれ自分の身に降りかかってくるものです。
 
 とにもかくにも、本人だけが議論と信じて行われる、一方的な嫌がらせにだけは発展させたくない物です。