子供の頃遊んだおもちゃで、大人になってからも流行ったものって、結構ありませんか?
ケン玉とかヨーヨー、プラフープなんてのは、すぐ思いつくと思うのですが、最近テレビコマーシャルを見てビックリしたのはアメリカンクラッカー
リンク先の画像を見てもらえれば分かるのですけど、硬い球を二つ、紐で結んだだけの、凄く単純なオモチャ。
知らない人のために説明すると、紐の真ん中に取り付けられたリングに中指を入れて、このオモチャをぶら下げ、上下に揺らすだけ。
カチカチカチ、と球がぶつかり合う音を出して楽しむものなのですが、冷静になって考えると、何でこんなものが面白いの? と思うこと間違いなし。
でも面白いんです。
このオモチャが、実際に流行っているのかどうかは知りませんが、テレビコマーシャルでも見たし、楽天でこんなに紹介されているのだから、多分流行っているんでしょう。
個人的に、次に来て欲しいのは、バンバンボール
と、スライム
カエル入りもあったっけ。
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知らない人のために説明すると、紐の真ん中に取り付けられたリングに中指を入れて、このオモチャをぶら下げ、上下に揺らすだけ。
カチカチカチ、と球がぶつかり合う音を出して楽しむものなのですが、冷静になって考えると、何でこんなものが面白いの? と思うこと間違いなし。
でも面白いんです。
このオモチャが、実際に流行っているのかどうかは知りませんが、テレビコマーシャルでも見たし、楽天でこんなに紹介されているのだから、多分流行っているんでしょう。
個人的に、次に来て欲しいのは、バンバンボール
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「それが人気ブログの条件」として当然というものに、敢えて反論したLSTYさんの「他人の不幸は蜜の味」の記事が好きで、たまに読み返したりしているのです。
まぁ読んでみて
これに追記するとしたら、「トラックバックの多いブログ」「専門性の高いブログ」……
自分のブログを少しでも良い物にしよう、と、ブログそのものについて書かれたブログを読んだり、PC雑誌のブログ特集を組まれた号とか、ブログ解説書を購入したりする人がいるわけですが。
良いブログ記事の書き方を学ぶために、他人の書いた「面白いと思うブログ」を参考にするのは、お金もかからないし、いろいろなブログを読むことで、学べる事も多いと思うのですが、参考書を買うっていうのはなぁ……
アレを商売にしている人もたくさんいるのでしょうけど、何冊かパラパラページをめくった限り、絵文録ことのはの松永英明さんが書かれたウェブログ超入門!の他は、たいした情報を得られるものではないなぁ。
だいたいにおいてブログの解説本は、サービスごとにターゲットを絞り、編集画面のキャプチャを掲載、独自エディタの使い方とか、トラックバックの送り方といった、電化製品における「説明書」みたいなものが多く、ブログサービスが用意するヘルプ画面など見ない人とか、見ても分からないという超初心者(あの手の説明を読んで理解できない人は、ブログ初心者、ということではなく、ネット初心者なんだろう)向けのバカ丁寧解説書なのであります。
ブログ流行っているから、あたしも始めちゃう!
とかナントカ言いながら買うケースでなら、「まぁ、それもよかろう」なのですけど、「ブログを始めてから2ヶ月経つけど、あまり閲覧数増えないなぁ」というような方には、まるで意味が無い本が多いのです。
ブログの使い方が分かったからといって、面白いものが書ける訳ではありませんからね。
閲覧数が増えない原因は、いろいろあるでしょう。
しかし、それなりに面白いことを書いていれば、いつかは閲覧数が増えてくる物です。いつまでも全然閲覧者が増えないのは、やはり書いてあることが、誰の目から見ても面白くないからでしょう。
ただし、ウケを狙って書いた記事は、実はハズす事が多いです。
ハイテンションなノリの「コメント待ってるぜぇ!」みたいな記事に限って「コメント(0)」となっていれば、背中を冷たい風が通り抜けること間違いなし。
人が「面白いと思う」事って、結構バラバラなものです。
アクセスランキングなんかを見ていても「どうしてこのブログがこんなに人気があるの?」と思うようなものが、いっぱいあることでしょう。コメントやトラックバックがたくさんついたブログでも、自分にとってはまるで面白くないということは、決して珍しい物でもないと思います。
最近お笑いブームが再燃していますが、あの人気若手芸人の中で、自分が本当に面白いと思う人達って、何組も無いんじゃないですか?
何が面白がられるかを理解するのは、かなり難しい物です。
自分が「こんなのじゃあまり面白がられないだろ」と思ったものが、思いがけずウケたりすることもあるものですから、とにかく数を書く、という手段もあるのですが、記事を多く書くことで書いたように、良質の記事を駄記事で埋もれさせるデメリットが大きいと思いますし、なにより
そんなわけで、記事としての完成度を高めるために、「少なくとも自分が面白いと思えるもの」を書くことが大事だと思うのですが、そうは言っても、「オレ、こんなに面白い事書いているのに、全然アクセス数増えねぇッ!」とボヤいている人も、きっといるはずです。
ブログの数が多すぎるために、面白いことを書いていても目立たない、要するに注目を浴びるチャンスは「運」による部分も多いものですが、多くの人が「本当に面白い」と感じる話題の記事を書いていれば、それなりにアクセス数は伸びる物だと思います。
似たような話題を扱っているのに、あの人のブログは人気があって、自分のブログはそうでもないというケース、その場合は、自分の書いた文章を、声に出して読むことをオススメします。
「興味深い内容の記事なのに、イマイチ面白くない」
こうしたブログに多く共通していることは、文章が読みにくい、ということだと、僕は思うのです。
そこで、提案。
「良いブログを作るために、自分の文章の欠点を知っておこう」
このブログの自己診断です。
読み易い文章、読み難い文章っていうのは、実は「文章力があるか・ないかではない」と、僕は思っています。小説においても、名作と呼ばれる口語体作品の全てが「読み易い」文章とは言えませんよね。梶井基次郎の「檸檬」とかさぁ…
読み易い文章かどうかを判断するのは、声に出して読むことが一番簡単です。実際に声に出さなくても、その感覚で読んでいけば、読みやすいか否か、すぐに分かる物です。
声に出すつもりで読むと、読み易い文章には、ある種のリズム感を感じることが多いのです。
こうした文章能力の差が、どこから生まれてくる物なのかというと、僕は「優れた書き手の作品」の読書量の差なのだと思います。
最近はライトノベルと呼ばれる、マンガチックな小説が売れているようですが、あの手の本の中には、シロート以下の文章の作家も数多く存在し、中には優れた書き手もいるのかもしれませんが、あの手の小説全般を「教科書」として使うのは危険すぎです。
自分に合った、「面白くて読み易い文章」は、本をたくさん読んで見つけるしかないと思うのですが、僕のオススメは椎名誠、東海林さだお、原田宗典のエッセイ本。
内容が親しみやすい、ということもあるのですが、とにかく読みやすいのです。椎名誠の「あやしい探検隊」シリーズ、東海林さだおの「丸かじり」シリーズ、原田宗典の「スバラ式」シリーズなど、一冊30~50分程度で読み終えられるのは、その文章のリズム感の良さがなしえる物。
ブログの参考書として、技術的な解説書を読むのも、間違ってはいないでしょうけど、面白い記事を書くには、むしろ文章を磨くための本を読んだ方が、僕は役に立つと思います。
まぁ読んでみて
良いブログを作るために、こんな逆説を知っておくべきではないのか
良いブログを作るために(略)2-話題が豊富なブログ
良いブログを作るために(略)3-画像いっぱいのブログ
良いブログを作るために(略)4-コメントがたくさんあるブログ
これに追記するとしたら、「トラックバックの多いブログ」「専門性の高いブログ」……
自分のブログを少しでも良い物にしよう、と、ブログそのものについて書かれたブログを読んだり、PC雑誌のブログ特集を組まれた号とか、ブログ解説書を購入したりする人がいるわけですが。
良いブログ記事の書き方を学ぶために、他人の書いた「面白いと思うブログ」を参考にするのは、お金もかからないし、いろいろなブログを読むことで、学べる事も多いと思うのですが、参考書を買うっていうのはなぁ……
アレを商売にしている人もたくさんいるのでしょうけど、何冊かパラパラページをめくった限り、絵文録ことのはの松永英明さんが書かれたウェブログ超入門!の他は、たいした情報を得られるものではないなぁ。
だいたいにおいてブログの解説本は、サービスごとにターゲットを絞り、編集画面のキャプチャを掲載、独自エディタの使い方とか、トラックバックの送り方といった、電化製品における「説明書」みたいなものが多く、ブログサービスが用意するヘルプ画面など見ない人とか、見ても分からないという超初心者(あの手の説明を読んで理解できない人は、ブログ初心者、ということではなく、ネット初心者なんだろう)向けのバカ丁寧解説書なのであります。
ブログ流行っているから、あたしも始めちゃう!
↓
あぁん! 難しくてよくわかんなぁい!
↓
あらやだ! こんな親切な解説書が出ているのね!
とかナントカ言いながら買うケースでなら、「まぁ、それもよかろう」なのですけど、「ブログを始めてから2ヶ月経つけど、あまり閲覧数増えないなぁ」というような方には、まるで意味が無い本が多いのです。ブログの使い方が分かったからといって、面白いものが書ける訳ではありませんからね。
閲覧数が増えない原因は、いろいろあるでしょう。
- 更新回数が少ない
- 宣伝下手
- 他人のブログと交流していない
- 扱う話題がマニアックすぎ
しかし、それなりに面白いことを書いていれば、いつかは閲覧数が増えてくる物です。いつまでも全然閲覧者が増えないのは、やはり書いてあることが、誰の目から見ても面白くないからでしょう。
ただし、ウケを狙って書いた記事は、実はハズす事が多いです。
ハイテンションなノリの「コメント待ってるぜぇ!」みたいな記事に限って「コメント(0)」となっていれば、背中を冷たい風が通り抜けること間違いなし。
人が「面白いと思う」事って、結構バラバラなものです。
アクセスランキングなんかを見ていても「どうしてこのブログがこんなに人気があるの?」と思うようなものが、いっぱいあることでしょう。コメントやトラックバックがたくさんついたブログでも、自分にとってはまるで面白くないということは、決して珍しい物でもないと思います。
最近お笑いブームが再燃していますが、あの人気若手芸人の中で、自分が本当に面白いと思う人達って、何組も無いんじゃないですか?
何が面白がられるかを理解するのは、かなり難しい物です。
自分が「こんなのじゃあまり面白がられないだろ」と思ったものが、思いがけずウケたりすることもあるものですから、とにかく数を書く、という手段もあるのですが、記事を多く書くことで書いたように、良質の記事を駄記事で埋もれさせるデメリットが大きいと思いますし、なにより
書いている本人さえ「つまらない」と思って書いたものを、他人様の目に触れさせるのは失礼だろう(じゃあ「面白い記事」ってどういうの?)と思うのですね。
そんなわけで、記事としての完成度を高めるために、「少なくとも自分が面白いと思えるもの」を書くことが大事だと思うのですが、そうは言っても、「オレ、こんなに面白い事書いているのに、全然アクセス数増えねぇッ!」とボヤいている人も、きっといるはずです。
ブログの数が多すぎるために、面白いことを書いていても目立たない、要するに注目を浴びるチャンスは「運」による部分も多いものですが、多くの人が「本当に面白い」と感じる話題の記事を書いていれば、それなりにアクセス数は伸びる物だと思います。
似たような話題を扱っているのに、あの人のブログは人気があって、自分のブログはそうでもないというケース、その場合は、自分の書いた文章を、声に出して読むことをオススメします。
「興味深い内容の記事なのに、イマイチ面白くない」
こうしたブログに多く共通していることは、文章が読みにくい、ということだと、僕は思うのです。
そこで、提案。
「良いブログを作るために、自分の文章の欠点を知っておこう」
このブログの自己診断です。
- 一記事が長文過ぎる。
- そもそも一文が長すぎる。
- 文体が変わりすぎ。
- いきなりキレるな。
読み易い文章、読み難い文章っていうのは、実は「文章力があるか・ないかではない」と、僕は思っています。小説においても、名作と呼ばれる口語体作品の全てが「読み易い」文章とは言えませんよね。梶井基次郎の「檸檬」とかさぁ…
読み易い文章かどうかを判断するのは、声に出して読むことが一番簡単です。実際に声に出さなくても、その感覚で読んでいけば、読みやすいか否か、すぐに分かる物です。
声に出すつもりで読むと、読み易い文章には、ある種のリズム感を感じることが多いのです。
こうした文章能力の差が、どこから生まれてくる物なのかというと、僕は「優れた書き手の作品」の読書量の差なのだと思います。
最近はライトノベルと呼ばれる、マンガチックな小説が売れているようですが、あの手の本の中には、シロート以下の文章の作家も数多く存在し、中には優れた書き手もいるのかもしれませんが、あの手の小説全般を「教科書」として使うのは危険すぎです。
自分に合った、「面白くて読み易い文章」は、本をたくさん読んで見つけるしかないと思うのですが、僕のオススメは椎名誠、東海林さだお、原田宗典のエッセイ本。
内容が親しみやすい、ということもあるのですが、とにかく読みやすいのです。椎名誠の「あやしい探検隊」シリーズ、東海林さだおの「丸かじり」シリーズ、原田宗典の「スバラ式」シリーズなど、一冊30~50分程度で読み終えられるのは、その文章のリズム感の良さがなしえる物。
ブログの参考書として、技術的な解説書を読むのも、間違ってはいないでしょうけど、面白い記事を書くには、むしろ文章を磨くための本を読んだ方が、僕は役に立つと思います。
以前からずっと頭を悩ませていることに、仕事上のFAX送信案内、メールでの文中の相手の呼び方に対する敬称のつけ方があります。
僕としては、実力主義が尊重され、年功序列が崩れつつある現在、○○課長とか××部長といった「苗字+役職」で呼ぶよりも、上司か部下かにとらわれず、「苗字+さん」という呼び方のほうが良いんじゃないの? と思っているわけですが、なにぶん「その職場の空気」というものがあるわけでして、こと、部長クラスの上司に対して「ナントカさん」とは呼びにくいのは分からないわけでもないのですが、何十人も居る職場の人間の役職を、全て把握できる物でもないし、そんな物を覚えるノーミソの皺の余裕があるくらいなら、もっと有効活用できそうなものです。
まぁ、それでも相手が自社内の人間相手で、口で話し掛ける場合なら、そんなに気を遣う事も無く、大きく歳のはなれた上司のみ役職名で呼ぶようにし、他は歳下であろうと「ナントカさん」と呼ぶようにしているのですが、問題は自社内はもちろん、取引先へのFAXやメールでの相手の呼び方なのであります。
そのメールマナーってどう?で使った画像の、僕の仕事用アドレスに送られてきたメールの送り主は、社内の人間で、一般常識が高そうな人なのですが、この方は「ナントカ部長」としています。
僕が十数年前に会社に入ってからずっと「これはヘンだなぁ」と思っていたことなんですけど、この役職に付け加えて、さらに「様」とか「さん」を付ける人が、かなりたくさん存在するのですね。
以上の引用文のように、役職に様を付けることは、国語的にもおかしな話なのですが、(僕の業界に限った話かもしれませんが)かなり頻繁に見かける誤りですね。
周りが間違っていようが、自分は正しく使いたい、と思っても、この手の問題の場合、「様」「さん」をつけることを常識だと思っている連中にとって、「ナントカ部長」と取引先から「様」ナシで書かれた場合に、「コイツはなんて失礼なヤツなんだ! コノヤロコノヤロッ!」と思われそうで、こちらとしては間違った使い方であることを分かっていつつ、あるいは先方に「あー、こいつわざわざ役職に様までつけてきて書いてきて、バカみてぇ~!!」と思われている可能性を考えながら、周りの慣例に合わせて、仕方なく「ナントカ部長様」と書いたりするのでした。
案外小心者の自分が情けない。
僕としては、実力主義が尊重され、年功序列が崩れつつある現在、○○課長とか××部長といった「苗字+役職」で呼ぶよりも、上司か部下かにとらわれず、「苗字+さん」という呼び方のほうが良いんじゃないの? と思っているわけですが、なにぶん「その職場の空気」というものがあるわけでして、こと、部長クラスの上司に対して「ナントカさん」とは呼びにくいのは分からないわけでもないのですが、何十人も居る職場の人間の役職を、全て把握できる物でもないし、そんな物を覚えるノーミソの皺の余裕があるくらいなら、もっと有効活用できそうなものです。
まぁ、それでも相手が自社内の人間相手で、口で話し掛ける場合なら、そんなに気を遣う事も無く、大きく歳のはなれた上司のみ役職名で呼ぶようにし、他は歳下であろうと「ナントカさん」と呼ぶようにしているのですが、問題は自社内はもちろん、取引先へのFAXやメールでの相手の呼び方なのであります。
そのメールマナーってどう?で使った画像の、僕の仕事用アドレスに送られてきたメールの送り主は、社内の人間で、一般常識が高そうな人なのですが、この方は「ナントカ部長」としています。
僕が十数年前に会社に入ってからずっと「これはヘンだなぁ」と思っていたことなんですけど、この役職に付け加えて、さらに「様」とか「さん」を付ける人が、かなりたくさん存在するのですね。
たとえば上司を呼ぶのに、「○○部長さん」「○○課長さん」なんて呼び方をしているとしたら常識を疑われてしまいます。上司や先輩の呼び方はもちろん、得意先の人の呼び方もしっかり覚えておきましょう。
職場での役職名の呼び方は?
もともと役職には敬称としての意味が含まれている為、役職に敬称をつけるのは間違いです。しかしなんとなく役職で切るのはごろが悪く、呼び捨てにしているような気分も有り敬称を付けたくなるのも事実です。
拝啓社長様|週刊マナー美人
以上の引用文のように、役職に様を付けることは、国語的にもおかしな話なのですが、(僕の業界に限った話かもしれませんが)かなり頻繁に見かける誤りですね。
周りが間違っていようが、自分は正しく使いたい、と思っても、この手の問題の場合、「様」「さん」をつけることを常識だと思っている連中にとって、「ナントカ部長」と取引先から「様」ナシで書かれた場合に、「コイツはなんて失礼なヤツなんだ! コノヤロコノヤロッ!」と思われそうで、こちらとしては間違った使い方であることを分かっていつつ、あるいは先方に「あー、こいつわざわざ役職に様までつけてきて書いてきて、バカみてぇ~!!」と思われている可能性を考えながら、周りの慣例に合わせて、仕方なく「ナントカ部長様」と書いたりするのでした。
案外小心者の自分が情けない。
こんな使い方があったのか! というより、既にそういう使い方をしている人がいてもフシギではないのですが、僕はまだ、「そんな使い方」をしている人を見たことがありません……ってな使い方です。
何でもかんでも総ブログ化計画:【募集12】こんな使い方があったのか!ブログの可能性に挑戦へのトラックバック記事です。
創作系ブログを運営されている方なら、こんなのをやっても面白いんじゃないかなぁ、と思うのが、昔流行ったゲームブック的な「次の展開を読者が選択できる」小説のブログ。
一章ごとに一記事を作成して、主人公の次の行動を読者に選択させ、物語が進んでいく。ブログの性質上、トラックバックの受け入れは不可にする必要があると思いますが、ある程度物語がまとまった時点で更新し、選択肢や結末を増やして更新すると面白いと思うのですが、問題は、そこまで優れた創作能力を持つ書き手がいるか、ということです。
gooブログでは無理ですが、音を鳴らすことの出来るサービスでこれをやると、サウンドノベルみたいになりますね。
かまいたちの夜がお好きな方は挑戦してみてはいかがでしょうか。
で、上の方法では、トラックバックと関わりを持つことが出来ないので、一記事にリンクしやすいということくらいしか「ブログを使う」意味がないのですが、ゲームブックではなく、小説系同人活動をしたことのある人ならお馴染みの、リレー小説ブログ版なら、ブログの特性を生かして新たな創作メディアとなると思います。
誰かが書いた小説の出だしに、トラックバックによっていろいろな人から続きを書いてもらい、続きを書く人は必ず「前回の記事を書いた人」にのみトラックバックを送る、という方法を使えば、物語の展開はどんどん広がり、読むごとに違った展開を楽しめて、紙媒体の同人誌では出来ない、ブログならではの創作のカタチが生まれるのではないでしょうか。
但し、関係のないトラックバックがあったり、新記事を書いた人が、前回書いた人以外のところにトラックバックをすると、トラックバックを辿って物語の続きを楽しむ、ということが出来なくなり、参加者・閲覧者のトラックバックに関するルールの統一化が必要ですね。
何でもかんでも総ブログ化計画:【募集12】こんな使い方があったのか!ブログの可能性に挑戦へのトラックバック記事です。
創作系ブログを運営されている方なら、こんなのをやっても面白いんじゃないかなぁ、と思うのが、昔流行ったゲームブック的な「次の展開を読者が選択できる」小説のブログ。
一章ごとに一記事を作成して、主人公の次の行動を読者に選択させ、物語が進んでいく。ブログの性質上、トラックバックの受け入れは不可にする必要があると思いますが、ある程度物語がまとまった時点で更新し、選択肢や結末を増やして更新すると面白いと思うのですが、問題は、そこまで優れた創作能力を持つ書き手がいるか、ということです。
gooブログでは無理ですが、音を鳴らすことの出来るサービスでこれをやると、サウンドノベルみたいになりますね。
かまいたちの夜がお好きな方は挑戦してみてはいかがでしょうか。
で、上の方法では、トラックバックと関わりを持つことが出来ないので、一記事にリンクしやすいということくらいしか「ブログを使う」意味がないのですが、ゲームブックではなく、小説系同人活動をしたことのある人ならお馴染みの、リレー小説ブログ版なら、ブログの特性を生かして新たな創作メディアとなると思います。
誰かが書いた小説の出だしに、トラックバックによっていろいろな人から続きを書いてもらい、続きを書く人は必ず「前回の記事を書いた人」にのみトラックバックを送る、という方法を使えば、物語の展開はどんどん広がり、読むごとに違った展開を楽しめて、紙媒体の同人誌では出来ない、ブログならではの創作のカタチが生まれるのではないでしょうか。
但し、関係のないトラックバックがあったり、新記事を書いた人が、前回書いた人以外のところにトラックバックをすると、トラックバックを辿って物語の続きを楽しむ、ということが出来なくなり、参加者・閲覧者のトラックバックに関するルールの統一化が必要ですね。
夕べと同じ宿です。
今日の晩ご飯。
・ホタテと野菜のマヨネーズ焼き
・ホッケの煮付け
・刺身盛り合わせ(ヤリイカ・鮪・海老)
・トンカツ
・うどん鍋
・アサヒゴールデン×1
・日本酒しこたま
今日は仕事仲間(二十才上)がいたので、昨日より酒量が多いのです。
宿に置いてあった「少年ジャンプ」を読む。
「こんな大きいおっぱいの高校生はいねぇ!」
と、「いちご100%」を見て、思った。
高校の時付き合っていた女のおっぱいを揉んでおけば良かった、と今更後悔。
あー、やだね、酔っ払いのタワゴトは…
画像は夕べの晩飯。
今日の晩ご飯。
・ホタテと野菜のマヨネーズ焼き
・ホッケの煮付け
・刺身盛り合わせ(ヤリイカ・鮪・海老)
・トンカツ
・うどん鍋
・アサヒゴールデン×1
・日本酒しこたま
今日は仕事仲間(二十才上)がいたので、昨日より酒量が多いのです。
宿に置いてあった「少年ジャンプ」を読む。
「こんな大きいおっぱいの高校生はいねぇ!」
と、「いちご100%」を見て、思った。
高校の時付き合っていた女のおっぱいを揉んでおけば良かった、と今更後悔。
あー、やだね、酔っ払いのタワゴトは…
画像は夕べの晩飯。
そういえば、一年前に、このブログを始めた時は、使った金銭とか食べたものの記録だったっけ。
今日から数日間、ネット環境の乏しい、道南の小都市に滞在です。
おとなしく、酒でも飲んだり、本でも読んだり。
今日の晩ご飯。
・カニのグラタン風
・大海老の塩焼き
・焼魚(カレイ)
・刺身(カレイ・鮪・牡丹海老)
・松前漬け
・すき焼き
・豚汁
この旅館は、時々泊まるのですが、とにかく食事が豪華。酒も進むのです。
・発泡酒350ml×2
・水割り焼酎(ローソンで売っている、本格焼酎)250ml
あと、これから日本酒を飲む予定。
この宿に3泊します。
体重計がコワッ!
今日から数日間、ネット環境の乏しい、道南の小都市に滞在です。
おとなしく、酒でも飲んだり、本でも読んだり。
今日の晩ご飯。
・カニのグラタン風
・大海老の塩焼き
・焼魚(カレイ)
・刺身(カレイ・鮪・牡丹海老)
・松前漬け
・すき焼き
・豚汁
この旅館は、時々泊まるのですが、とにかく食事が豪華。酒も進むのです。
・発泡酒350ml×2
・水割り焼酎(ローソンで売っている、本格焼酎)250ml
あと、これから日本酒を飲む予定。
この宿に3泊します。
体重計がコワッ!
今日は力石徹の命日なんだそうです。
矢吹丈のライバル、力石が漫画の中で死に、ファンが葬式をあげたのは有名な話ですが、彼が無理な減量により死亡したのは、作画担当のちばてちや氏が最初に力石を登場させた時、原作者・梶原一騎(本作では別名使用)の意図に反して、身体を大きく描き過ぎた為、というのは、案外知られていないエピソードです。
ところで「あしたのジョー」の最終回、ジョーは「真っ白に燃え尽きた」のですが、アレは死んだのでしょうか、廃人になったのでしょうか?
矢吹丈のライバル、力石が漫画の中で死に、ファンが葬式をあげたのは有名な話ですが、彼が無理な減量により死亡したのは、作画担当のちばてちや氏が最初に力石を登場させた時、原作者・梶原一騎(本作では別名使用)の意図に反して、身体を大きく描き過ぎた為、というのは、案外知られていないエピソードです。
ところで「あしたのジョー」の最終回、ジョーは「真っ白に燃え尽きた」のですが、アレは死んだのでしょうか、廃人になったのでしょうか?
今日は「世界結核デー」なんだそうです。
かわいた咳症状をもたらす結核菌を発見したのが、コッホというのは、なんとも出来過ぎた話ですねぇ。
コッホコッホ…
かわいた咳症状をもたらす結核菌を発見したのが、コッホというのは、なんとも出来過ぎた話ですねぇ。
コッホコッホ…
どうも「批判」に関する命題に対しては、避けて通りたいと考えている人が多いのか、「何でもかんでも総ブログ化計画」へのトラックバックが寄せられていないようですね。
批判を非難や悪口と同一化する人も多いようで、僕がよく書く「つまらないブログとは?」という内容の記事に対しては、賛同も多い一方、そもそもこうした話題を取り上げること自体に、難色を示す方も居ることを、僕は承知しています。
個人がこのように考えている、という受け取り方はできない物なのかなぁ?
例によって、僕の記事は、本来書かなければならない事(この記事の場合、「批判や反論……オトナの対処法は?」に対する回答)を大幅に上回るタワゴトばかりなので、松永さんもとても読む気が起こらないでしょうから、マーカー施しておきます。
批判・反論を避けて通りたい人の存在は理解できるし、批判されることを喜ぶような人は、ある意味「ブログ全体が‘釣り’」なのかもしれません。あるいは精神的マゾなのでしょう。僕も何かを批判する記事を書くとき、反論があることを半ば予想はしている物の、書いている事は、多くの人に納得してもらえるような内容を書いているつもりです。
個人のブログに書かれた内容に対して反論を唱える場合も、相手のブログの常連の何人かでも、僕の書いたものに対して、ある程度同意してもらえる物を書けなければ、それは相手方にとって単なる悪口となってしまう場合もあり、批判を行う際には、その根拠の明示をして、説得力高い物にする必要があると思います。
では僕自身が批判された場合、どうしているか、というと、意見を述べるブログである以上、批判・反論については、なるべく誠意を持って回答したいと考えています。相手が匿名・捨てハンであろうが、「まともな批判」であれば、それは自分にとっての糧でもあり、無視すべき物ではないと思うのです。反論されるのが嫌なら「意見を述べる」タイプの記事を書かなければ良いのだし、「自分は何かを批判するけど、私を批判しないで」なんてご都合主義は、通らないでしょう。
但し、それでも僕が匿名・捨てハンでの批判が嫌いなのは、匿名はやっぱり推奨しないのですで述べた通り、匿名者は「自分が攻撃されるリスクを負わない」物だから、批判とは名ばかりの単なる罵倒になりやすく、都合が悪くなれば議論を放棄して、罵声を残して立ち去ることができるという点があるからでしょう。
日々の日常生活や、読書感想、映画鑑賞の記録といったブログでも、時として特定人物に対する批判が出てくるものです。近所の奥さんのあんな所がイヤ、とか、この作家の新作の出来は酷いとか、あの女優は演技がへたくそ、とか。
程度にもよりますけど、それも一種の批判であったり、場合によってはただの悪口なんですよね。
近所の奥さんの悪口は、個人情報を明かしていなければ、ただの愚痴として見過ごすことが出来るけど、その奥さんの身元がわかるような書き方だと法的な問題にかかわってくるから、僕は感心できないし、作家やアーティストに対する作品について、それが単なる感想文であれば「そんな読み方もある」で良いのですが、なまじ批評家気取りで「今回の作品の、ここがダメだ」などと言い出すと、同じ作品に触れた別の読者の反対意見が出てくるのは、当然のことでしょう。
批判・反論があるのは、自分の書いたものを真剣に読んでくれたこと、ということで、僕はむしろ喜ぶべきこと、と思います。特にトラックバックでのそれは、所在を明かしての反論という意味で、その批判に説得力がなければ、批判した側が恥をかくだけであり、中途半端な批判は出来ない物です。
ただ、ちょっと手に余るのは、「自分が考えていることと違う、だからおまえの言っていることは間違っている」という、全く説得力のない指摘も多いことで、何の根拠も示さずに「おまえはダメだ」などと言われても、こちらとしては対応のしようがないわけです。こうした人は「あなたの考えていることが正しい、という証明は?」と返しても「とにかく違う! 俺がそう思っているんだからおまえは間違ってんの!」と発言した後、「みんながそう思っているの。とにかくみんな、おまえの発言は不快だと思ってるの」と、存在しない「みんな」を持ち出すことが多いものです(『みんなが不快だ』は俺が不快だ!参照)。
自分がどう思うか、そしてそれが正しい・あるいは相手が間違っているとする根拠は何か、ということをはっきりさせないと、批判とはなりえないものです。
こうした「そもそも論点がずれている」ような発言は、トラックバックを使わずにコメント欄で行われることが多いものですから、本人だけが「批判」と思っているような悪口は、無視するか、場合によっては削除した方が、他の閲覧者にとっても望ましい物だと思いますし、大人の対応ではないでしょうか。
僕はつい相手をしてしまうのですが、人間が出来ていない証拠かもしれません。
オフラインでは、目上の人から怒られたりする機会はあっても、多くの場合、人付き合いを円滑化させるために、あえて他人を批判しないものです。
ブログを始めると、身分に左右されず、いろいろな情報を発信できることから、つい「何かを批判」してしまうことはあっても、自分がその対象になることを考えていないのでしょう。
また、批判する際も、相手の発言の一部しか読まずに、「ここがおかしい」とその一点のみを取り上げて突っつきまわす人が多いものですが、それはオノレの読解力のなさを露呈しているに過ぎず、相手に何度も同じ事を書かせる批判者は、批判者としてのレベルが極めて低い物ではないでしょうか。
批判すべきこととは別のことを持ち出して、相手にダメージを与える人がいますが、それは「批判」ではないんですよね。単なるイヤガラセです。
批判というのは、相手に勝つか負けるかではない物だと思います。相手をこてんぱんに叩きのめすのではなく、時には相手の意見を取り入れながら、互いに成長するためのものであるはずなのに、勝ち負けに拘るあまり、乱暴な口調になったり、学歴や職業といった、議論の本質とは無関係な部分で相手を見下す方向に走りがちではないでしょうか。
松永さんの仰る
う~ん、今回「何でもかんでも総ブログ化計画」をきっかけに、「批判」に対して何か新しいことが書ければ、と思ってお題に便乗したのですが、今まで書いてきたこととほとんど変わりなかったですね。
むだづかいにっき♂は、「激しく既出」で成り立っているのです……
ついでに。
こうした記事を書くと、トラックバックを貰う以外でも、いろいろな所で取り上げられることが多いようです。
リンク列記型のニュースサイトにおける一言コメントならば、当方へのお知らせ(トラックバックなど)は不要ですが、中には「むだづかいにっきで書かれている、この記事のこれはおかしいだろう、えっけん氏の偏見ではないか、云々」というような批判も見受けられますが、相手にその存在を知らせない批判に対しては、僕は失笑せずにはいられません。
そうした連中は議論になることを避けているのかもしれませんが、他人を批判しておいて、それを指摘されると、「オレは議論をしたいのではない」と言い出すのは、おかしな話です。単に悪口が書きたかっただけなんじゃないかと思うと、ブログ主としての資質を疑ってしまうものです。
追記です。
何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?に寄せられていた、トラックバックの中から(この募集企画、それまで全く反応がなかったのに、いつの間にかたくさんトラックバックが寄せられていますよ!)、気になったものをひとつ。
絵文録ことのは、ARTIFACT ―人工事実―と共に、僕が最も敬愛するブログのひとつ、小林Scrap Bookに書かれた一文ですが、他人とのトラブルを抱え込まない為には、確かに最善の策かもしれませんが、僕はブログというツール、こんなに議論の為に向いている物はない、と思うし、議論を避けること=オトナという考え、僕はちょっと同意しかねるなぁ。
小林さん自体、ブログのあり方を問う記事が多いということで、その賛同や異論を唱えられるケースもあるかと思います。異論を唱えられた場合、自分の主張を正当化するためには、ある程度の議論が必要になってくるわけでして。
もちろん、反論は相手にしない、という手もありますが、言葉の解釈の違いとはいえ、それが「オトナ」という考えには同調できません。喧嘩をする必要はありませんが、出された意見に対する、その正当性を考証することを否定された気分になります。(もっとも、こうした反論があることを、半ば承知であるからこそ、
小林さんの考えは、おそらく、「あえて議論をしないことで、ネット上の他人とのトラブルを発生させない」、ということに尽きると思うのですが、僕のような議論好きの立場で物を言わせてもらうと、コメント欄の名無しのイヤガラセは別として、意見の交換に便利(トラックバックでの反論の際は、恥をかく場所が用意されている)なブログの特長を生かさないのは、むしろもったいないことだ、と思うのです。(もちろんブログツールを利用する誰もが議論好きとは思っていませんが)
但し、小林さんの記事にも、多大に納得できる部分はありまして、
この記事の追記前の部分でも触れているのですが、議論を始めると、勝ち負けにこだわるあまり、相手を徹底的に打ちのめそうとする人が存在し、お互いの価値観を認めない傾向にあるものです。
これは、良くない。
相手の考えを、ハナから理解しようともせず、話が永遠にループしてしまっているケースをよく見ます(ここでもありがちです)。
相手の考えに賛同できずとも、「そういう考え方もあるよね」と済ませることが出来れば、いくらかでも相手が持つ価値観を尊重できるものだと思います。
批判を非難や悪口と同一化する人も多いようで、僕がよく書く「つまらないブログとは?」という内容の記事に対しては、賛同も多い一方、そもそもこうした話題を取り上げること自体に、難色を示す方も居ることを、僕は承知しています。
個人がこのように考えている、という受け取り方はできない物なのかなぁ?
批判だとか、間違いを指摘されたとか、反論されたとかいう場合、みなさんはどのように対処していますか? ネガティブなものは無視するか、それとも正面からぶつかっていくか。あるいは、こうやって失敗したというような例はあるでしょうか。
何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?
例によって、僕の記事は、本来書かなければならない事(この記事の場合、「批判や反論……オトナの対処法は?」に対する回答)を大幅に上回るタワゴトばかりなので、松永さんもとても読む気が起こらないでしょうから、マーカー施しておきます。
批判・反論を避けて通りたい人の存在は理解できるし、批判されることを喜ぶような人は、ある意味「ブログ全体が‘釣り’」なのかもしれません。あるいは精神的マゾなのでしょう。僕も何かを批判する記事を書くとき、反論があることを半ば予想はしている物の、書いている事は、多くの人に納得してもらえるような内容を書いているつもりです。
個人のブログに書かれた内容に対して反論を唱える場合も、相手のブログの常連の何人かでも、僕の書いたものに対して、ある程度同意してもらえる物を書けなければ、それは相手方にとって単なる悪口となってしまう場合もあり、批判を行う際には、その根拠の明示をして、説得力高い物にする必要があると思います。
では僕自身が批判された場合、どうしているか、というと、意見を述べるブログである以上、批判・反論については、なるべく誠意を持って回答したいと考えています。相手が匿名・捨てハンであろうが、「まともな批判」であれば、それは自分にとっての糧でもあり、無視すべき物ではないと思うのです。反論されるのが嫌なら「意見を述べる」タイプの記事を書かなければ良いのだし、「自分は何かを批判するけど、私を批判しないで」なんてご都合主義は、通らないでしょう。
但し、それでも僕が匿名・捨てハンでの批判が嫌いなのは、匿名はやっぱり推奨しないのですで述べた通り、匿名者は「自分が攻撃されるリスクを負わない」物だから、批判とは名ばかりの単なる罵倒になりやすく、都合が悪くなれば議論を放棄して、罵声を残して立ち去ることができるという点があるからでしょう。
日々の日常生活や、読書感想、映画鑑賞の記録といったブログでも、時として特定人物に対する批判が出てくるものです。近所の奥さんのあんな所がイヤ、とか、この作家の新作の出来は酷いとか、あの女優は演技がへたくそ、とか。
程度にもよりますけど、それも一種の批判であったり、場合によってはただの悪口なんですよね。
近所の奥さんの悪口は、個人情報を明かしていなければ、ただの愚痴として見過ごすことが出来るけど、その奥さんの身元がわかるような書き方だと法的な問題にかかわってくるから、僕は感心できないし、作家やアーティストに対する作品について、それが単なる感想文であれば「そんな読み方もある」で良いのですが、なまじ批評家気取りで「今回の作品の、ここがダメだ」などと言い出すと、同じ作品に触れた別の読者の反対意見が出てくるのは、当然のことでしょう。
批判・反論があるのは、自分の書いたものを真剣に読んでくれたこと、ということで、僕はむしろ喜ぶべきこと、と思います。特にトラックバックでのそれは、所在を明かしての反論という意味で、その批判に説得力がなければ、批判した側が恥をかくだけであり、中途半端な批判は出来ない物です。
ただ、ちょっと手に余るのは、「自分が考えていることと違う、だからおまえの言っていることは間違っている」という、全く説得力のない指摘も多いことで、何の根拠も示さずに「おまえはダメだ」などと言われても、こちらとしては対応のしようがないわけです。こうした人は「あなたの考えていることが正しい、という証明は?」と返しても「とにかく違う! 俺がそう思っているんだからおまえは間違ってんの!」と発言した後、「みんながそう思っているの。とにかくみんな、おまえの発言は不快だと思ってるの」と、存在しない「みんな」を持ち出すことが多いものです(『みんなが不快だ』は俺が不快だ!参照)。
自分がどう思うか、そしてそれが正しい・あるいは相手が間違っているとする根拠は何か、ということをはっきりさせないと、批判とはなりえないものです。
こうした「そもそも論点がずれている」ような発言は、トラックバックを使わずにコメント欄で行われることが多いものですから、本人だけが「批判」と思っているような悪口は、無視するか、場合によっては削除した方が、他の閲覧者にとっても望ましい物だと思いますし、大人の対応ではないでしょうか。
僕はつい相手をしてしまうのですが、人間が出来ていない証拠かもしれません。
どうも議論そのものを嫌がる風潮があるのではないかという話になりました。でも、その社長さんは、意見の食い違いがあるならとことん議論すればいいんじゃないか、という考えを持っていました。もっとも、議論の仕方が下手な人が多すぎる、という結論にはなったのですが。
何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?
議論の仕方が下手な人が多すぎるというのは、僕も常々思っていることでして、僕自身がそうなのかもしれませんが、たぶん、「批判されることに慣れていない」のが大きな原因じゃないかと思うのです。
オフラインでは、目上の人から怒られたりする機会はあっても、多くの場合、人付き合いを円滑化させるために、あえて他人を批判しないものです。
ブログを始めると、身分に左右されず、いろいろな情報を発信できることから、つい「何かを批判」してしまうことはあっても、自分がその対象になることを考えていないのでしょう。
また、批判する際も、相手の発言の一部しか読まずに、「ここがおかしい」とその一点のみを取り上げて突っつきまわす人が多いものですが、それはオノレの読解力のなさを露呈しているに過ぎず、相手に何度も同じ事を書かせる批判者は、批判者としてのレベルが極めて低い物ではないでしょうか。
議論といいながら議論になっていないこともあります。一部の掲示板では、攻撃・誹謗中傷を「議論」や「表現」といった言葉で覆い隠し、それを無視したりすると「逃げた」とか言い出すような人たちだっています。また、議論の論点が全然かみ合っていなかったり、いつのまにか人格攻撃に走ったり、あるいは人格攻撃ではないのに人格攻撃しているかのように論点をずらしていったり。ちょっとした言葉づかいでもずいぶん変わってしまいます。
何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?
批判すべきこととは別のことを持ち出して、相手にダメージを与える人がいますが、それは「批判」ではないんですよね。単なるイヤガラセです。
批判というのは、相手に勝つか負けるかではない物だと思います。相手をこてんぱんに叩きのめすのではなく、時には相手の意見を取り入れながら、互いに成長するためのものであるはずなのに、勝ち負けに拘るあまり、乱暴な口調になったり、学歴や職業といった、議論の本質とは無関係な部分で相手を見下す方向に走りがちではないでしょうか。
松永さんの仰る
一部の掲示板というのは、2ちゃんねるを意識した物であることが容易に想像できるわけですが、2ちゃんねるのユーザー同士が、互いにそれを議論だと信じて、誹謗中傷合戦をするのは別に構わないのですが、彼等は時としてネットウォッチと称して、無関係な第三者を嘲笑ったり、対象になっている人の主張を根底から覆すような発言が見られます。(僕がよく見るのは、ソフトウェア板なのですが、フリーソフト作家が「こういう考えで、その機能はつけない」と明言しているにも関わらず、「アレができないのはクソソフト」と悪口を言うのは、批判の仕方として間違っていると思います)
う~ん、今回「何でもかんでも総ブログ化計画」をきっかけに、「批判」に対して何か新しいことが書ければ、と思ってお題に便乗したのですが、今まで書いてきたこととほとんど変わりなかったですね。
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むだづかいにっき♂は、「激しく既出」で成り立っているのです……
ついでに。
こうした記事を書くと、トラックバックを貰う以外でも、いろいろな所で取り上げられることが多いようです。
リンク列記型のニュースサイトにおける一言コメントならば、当方へのお知らせ(トラックバックなど)は不要ですが、中には「むだづかいにっきで書かれている、この記事のこれはおかしいだろう、えっけん氏の偏見ではないか、云々」というような批判も見受けられますが、相手にその存在を知らせない批判に対しては、僕は失笑せずにはいられません。
そうした連中は議論になることを避けているのかもしれませんが、他人を批判しておいて、それを指摘されると、「オレは議論をしたいのではない」と言い出すのは、おかしな話です。単に悪口が書きたかっただけなんじゃないかと思うと、ブログ主としての資質を疑ってしまうものです。
追記です。
何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?に寄せられていた、トラックバックの中から(この募集企画、それまで全く反応がなかったのに、いつの間にかたくさんトラックバックが寄せられていますよ!)、気になったものをひとつ。
おそらく、最もオトナな対処法と言えるのは、「議論」をしないことです。
小林Scrap Book:その批判・反論はなぜ書かれたのか?
絵文録ことのは、ARTIFACT ―人工事実―と共に、僕が最も敬愛するブログのひとつ、小林Scrap Bookに書かれた一文ですが、他人とのトラブルを抱え込まない為には、確かに最善の策かもしれませんが、僕はブログというツール、こんなに議論の為に向いている物はない、と思うし、議論を避けること=オトナという考え、僕はちょっと同意しかねるなぁ。
小林さん自体、ブログのあり方を問う記事が多いということで、その賛同や異論を唱えられるケースもあるかと思います。異論を唱えられた場合、自分の主張を正当化するためには、ある程度の議論が必要になってくるわけでして。
もちろん、反論は相手にしない、という手もありますが、言葉の解釈の違いとはいえ、それが「オトナ」という考えには同調できません。喧嘩をする必要はありませんが、出された意見に対する、その正当性を考証することを否定された気分になります。(もっとも、こうした反論があることを、半ば承知であるからこそ、
「オトナ」をどういうニュアンスで捉えるかによっては変わるかもしれませんがという一文が加えられているのかもしれませんが)
小林さんの考えは、おそらく、「あえて議論をしないことで、ネット上の他人とのトラブルを発生させない」、ということに尽きると思うのですが、僕のような議論好きの立場で物を言わせてもらうと、コメント欄の名無しのイヤガラセは別として、意見の交換に便利(トラックバックでの反論の際は、恥をかく場所が用意されている)なブログの特長を生かさないのは、むしろもったいないことだ、と思うのです。(もちろんブログツールを利用する誰もが議論好きとは思っていませんが)
但し、小林さんの記事にも、多大に納得できる部分はありまして、
ブログに限らずネット上の「議論」というのは、カードの見せ合い、互いの意見の確認、ぐらいに捉えておくべきであり、双方の考えが理解できた時点で議論完了とするのが無難だと考えています。
その批判・反論はなぜ書かれたのか? :小林Scrap Book
この記事の追記前の部分でも触れているのですが、議論を始めると、勝ち負けにこだわるあまり、相手を徹底的に打ちのめそうとする人が存在し、お互いの価値観を認めない傾向にあるものです。
これは、良くない。
相手の考えを、ハナから理解しようともせず、話が永遠にループしてしまっているケースをよく見ます(ここでもありがちです)。
相手の考えに賛同できずとも、「そういう考え方もあるよね」と済ませることが出来れば、いくらかでも相手が持つ価値観を尊重できるものだと思います。
そういえば、これの映画化作品、もう上映されているんだっけ。
ここでも書いたのですけど、ハサミ男、僕がこれまでに読んだミステリの最高傑作でありまして、恐らくは今後もこれを越える作品は読めないのではないだろうか、と思うのです。そういう意味では、あまりの面白さに他のミステリの面白さを奪ってしまった「読まなきゃよかった」と言う作品でもあり、いや、待て待て、おまーら、コレ、絶対面白いからとにかく読めや! と絶大な自信を持ってオススメするスーパーエンタテイメントなのです。
これが映画化されると聞いたとき、おいおいおい、ちょっと待てよ、と僕は思いました。既に小説を読んだ方ならお分かりかと思いますが、この作品、どう考えても映像化が不可能です。
映像化してしまうと、トリックが成り立ちません。あんまり詳しく書いちゃうとアレなんで、まぁとにかく面白いから、読め読めなのですが、トヨエツ目的で目をハートマークに輝かせて映画館に行くオバハンはともかく、先に映画を見てしまったために、この小説に触れずにこの先一生を過ごすのは、あまりにもったいないので、とにかく映画より先に読むべしッ!
といっても、僕はこの映画、まだ見ていないので、よく分かりませんが。
CINEMA TOPICS ONLINEの作品紹介『 ハサミ男 』を読むと、どうやら原作そのまんま、ということはなさそうです。映像化不可能な作品なんだから、当たり前って言えば当たり前なのですが。
ところで、僕は未だにこれを超えるミステリに出会えずにいます。
誰か自信を持ってオススメできる、読み始めたらやめられない、かっぱえびせんみたいな国産ミステリをご存知の方がいれば、教えてください。

これが映画化されると聞いたとき、おいおいおい、ちょっと待てよ、と僕は思いました。既に小説を読んだ方ならお分かりかと思いますが、この作品、どう考えても映像化が不可能です。
映像化してしまうと、トリックが成り立ちません。あんまり詳しく書いちゃうとアレなんで、まぁとにかく面白いから、読め読めなのですが、トヨエツ目的で目をハートマークに輝かせて映画館に行くオバハンはともかく、先に映画を見てしまったために、この小説に触れずにこの先一生を過ごすのは、あまりにもったいないので、とにかく映画より先に読むべしッ!
といっても、僕はこの映画、まだ見ていないので、よく分かりませんが。
CINEMA TOPICS ONLINEの作品紹介『 ハサミ男 』を読むと、どうやら原作そのまんま、ということはなさそうです。映像化不可能な作品なんだから、当たり前って言えば当たり前なのですが。
ところで、僕は未だにこれを超えるミステリに出会えずにいます。
誰か自信を持ってオススメできる、読み始めたらやめられない、かっぱえびせんみたいな国産ミステリをご存知の方がいれば、教えてください。
これ欲しかったんだよなぁ。

いつの間にか復刻版出ていたんですね。
子供の頃はあまりに高価なオモチャだったんで、「買って」と言い出せなかった。
今は、このくらいの値段ならお小遣いで買えるけど、飾ったところで、ガキンチョ1号&2号に破壊されるのが目に見えているので、とてもじゃないけど購入に踏み切れません。
写真を眺めて楽しもう……
面白いサイト発見!
SPACE WARP 研究室:スペースワープ

いつの間にか復刻版出ていたんですね。
子供の頃はあまりに高価なオモチャだったんで、「買って」と言い出せなかった。
今は、このくらいの値段ならお小遣いで買えるけど、飾ったところで、ガキンチョ1号&2号に破壊されるのが目に見えているので、とてもじゃないけど購入に踏み切れません。
写真を眺めて楽しもう……
面白いサイト発見!
SPACE WARP 研究室:スペースワープ
トラックバックされたいブログか……
第1回グッドブログセレクション:トラックバックされたい部門への投票なんですけど……
これについては、自分が選ばれたい、という気持ちはあるものの、どこか特定のブログからトラックバックされたい、というのは正直、ないなぁ。自分の書いた記事に対して、その賛否の如何にかかわらず、内容の濃い的確な意見のトラックバックなら、どこからされても嬉しい物です。
反対に、どんな有名なブログからでも、こちらの記事に言及しないトラックバックなら全然嬉しくないわけでして。
そんな中、ここからは絶対にトラックバックされないだろう、と思いつつ、自分の書いた記事について言及されたトラックバックがあったらいいなぁ、と思うブログは……
gooブログ スタッフブログ
ここからのトラックバックは、「されるわけはない」と思いつつ、僕自身はスタッフブログに対して、言及・あるいは運営についての提案という形でトラックバックを送ることが多いのです。僕と同じように「gooブログはこうしたほうが良い」とトラックバックしたり、コメントしたりする人はたくさんいるのですが、ユーザーの中には「スタッフが、寄せられた意見について無反応」と言うことを不満の一つに掲げる人が多く、寄せられた意見の全てに、個別に回答をするのはどう考えても無理である、というのは理解できるのですが、せめて「この人の提案を実現しました」くらいのトラックバックがあれば、一ユーザーとして「よりよいgooブログ」のための提案を、もっとさせていただきたい、と思うのです。
別に僕が主張したから、というわけでは無いでしょうが、これまでに僕がgooブログに対して漏らした不満は、結構解消されております。(例として、gooブログサービス開始時には、制限が多かったHTMLタグの緩和、4,000字の文字制限を10,000字に、最新のトラックバック一覧の表示など)
ブログペットの設置や、アクセス解析に対する不満など、未だに多いユーザーの要望ですが、これらに共通していえることは、恐らくは「セキュリティ上の問題から採用されない」ものであるので、gooブログサイドでが不都合を感じる物については、今後も満たされない欲求なのだろう、と思っておりますが、毎度毎度同じような要求が上がるのは、gooブログが「こういう理由でそれらを取り入れるつもりはありません」ということを、はっきりと言わないせいもあるんじゃないかなぁ。
ユーザーの囲い込みをしたいのは分からないでもないし、今、「これはやらない」と宣言することで、ユーザーが逃げてしまうことを恐れているのでしょうか?
僕なんかは、Javascriptが使えないことは、逆に評価しているんですけどねぇ。IPの解析されないのも、ヘンに気を遣わなくて良いし。
あそこのサービスではこんなことが出来る、gooブログはこんな当たり前のことも出来ない、という不満は、僕はきく必要はないと思います。一体いくつあるのか分からないブログサービスが、みんな一緒になることはないんじゃないかな。
そんなわけで、今後もgooブログに対する苦言も書けば、不当な苦情に対する援護も、1ユーザーの意見として述べさせていただくつもりでございます。
第1回グッドブログセレクション:トラックバックされたい部門への投票なんですけど……
これについては、自分が選ばれたい、という気持ちはあるものの、どこか特定のブログからトラックバックされたい、というのは正直、ないなぁ。自分の書いた記事に対して、その賛否の如何にかかわらず、内容の濃い的確な意見のトラックバックなら、どこからされても嬉しい物です。
反対に、どんな有名なブログからでも、こちらの記事に言及しないトラックバックなら全然嬉しくないわけでして。
そんな中、ここからは絶対にトラックバックされないだろう、と思いつつ、自分の書いた記事について言及されたトラックバックがあったらいいなぁ、と思うブログは……
gooブログ スタッフブログ
http://blog.goo.ne.jp/staffblog
ここからのトラックバックは、「されるわけはない」と思いつつ、僕自身はスタッフブログに対して、言及・あるいは運営についての提案という形でトラックバックを送ることが多いのです。僕と同じように「gooブログはこうしたほうが良い」とトラックバックしたり、コメントしたりする人はたくさんいるのですが、ユーザーの中には「スタッフが、寄せられた意見について無反応」と言うことを不満の一つに掲げる人が多く、寄せられた意見の全てに、個別に回答をするのはどう考えても無理である、というのは理解できるのですが、せめて「この人の提案を実現しました」くらいのトラックバックがあれば、一ユーザーとして「よりよいgooブログ」のための提案を、もっとさせていただきたい、と思うのです。別に僕が主張したから、というわけでは無いでしょうが、これまでに僕がgooブログに対して漏らした不満は、結構解消されております。(例として、gooブログサービス開始時には、制限が多かったHTMLタグの緩和、4,000字の文字制限を10,000字に、最新のトラックバック一覧の表示など)
ブログペットの設置や、アクセス解析に対する不満など、未だに多いユーザーの要望ですが、これらに共通していえることは、恐らくは「セキュリティ上の問題から採用されない」ものであるので、gooブログサイドでが不都合を感じる物については、今後も満たされない欲求なのだろう、と思っておりますが、毎度毎度同じような要求が上がるのは、gooブログが「こういう理由でそれらを取り入れるつもりはありません」ということを、はっきりと言わないせいもあるんじゃないかなぁ。
ユーザーの囲い込みをしたいのは分からないでもないし、今、「これはやらない」と宣言することで、ユーザーが逃げてしまうことを恐れているのでしょうか?
僕なんかは、Javascriptが使えないことは、逆に評価しているんですけどねぇ。IPの解析されないのも、ヘンに気を遣わなくて良いし。
あそこのサービスではこんなことが出来る、gooブログはこんな当たり前のことも出来ない、という不満は、僕はきく必要はないと思います。一体いくつあるのか分からないブログサービスが、みんな一緒になることはないんじゃないかな。
そんなわけで、今後もgooブログに対する苦言も書けば、不当な苦情に対する援護も、1ユーザーの意見として述べさせていただくつもりでございます。
人に読ませる記事って、やっぱり大切だと思う。
トラックバック企画などの、アンケートに答える記事で、淡々と答えだけを書く人が多い。
アンケートの主催者には、そのほうが集計をしやすくて、面倒な思いをしないことは確かですが、僕はそれならばトラックバックで回答を求めるのではなく、投票掲示板にするとか、投票フォームみたいなものを使えば良いと思うのですね。
せっかくブログを利用してアンケートをとっているのだから、どうしてそう思うのか、とか、その答えについての、自分との関わりを書いて、アンケートの回答が「ひとつのコンテンツ」といえるくらいまで昇華してもらいたいのです。
(この記事はこんなブログは読まないの内容と、ほとんど変わらないので、既にそちらを読まれている方には、新しい情報は得られないと思います。)
第1回グッドブログセレクションに投票されているcbvさんの発言です。
僕もcbvさんと同じ考えです。
好きなブログを投票するのだから、他の参加者にも自分の好きなブログを読んで貰いたいですよね。好きなブログの題名とURLが記述されているだけの場合、その記事を読んで、そこを読みに行こう、という気になる人が、果たしてどのくらいいるでしょう。投票の数が多ければ多いほど、ただのURLの羅列では、読む気が全く起きません。
グッドブログセレクションに投票する人は、単に賞品が欲しいと思っている人もいるかもしれませんが、自分の好きなブログを他の人にも知って欲しい、と考えているものなんじゃないですかね?
せっかくトラックバックを使って、グッドブログセレクションの記事に自分のブログへのリンクを貼るわけですから、これは「他人が面白いと思うブログを知りたい」という人が自分のブログに訪問してくれるチャンスです。
訪問してくれた人が、あなたの投票エントリを読んで、「参考になった」と評価したり、紹介記事そのものが面白かったら、もしかしたらあなたのブログの読者になってくれるかもしれません。
でもURLと題名の記述だけなら、面白いと思うわけはないわけでして。
スタッフの集計の手間を考えたら、単にURLと題名の記述だけの方が良いのでしょうが、もしスタッフのほうが、面白いブログを発掘したい、と真剣に考えているのなら、そんな投票記事を求めているわけは、決してないわけでして、ブログを利用するからこそ、投票した人のブログもちゃんと読んで、優れた書き手を見つけてもらいたいものだ、と思うのです。
この記事で言いたかったことは、以上なのですが、cbvさんの意見で、共感した部分をもうひとつ。
このてのアンケート、日本ブログ大賞の時も感じたのですけど、投票する人が、基本的に「自分のブログの宣伝」に使っていることが多く、イマイチ緊張感に欠けるというか、とほほ感満載と言うか…
もちろん自分のブログへの愛は大事だとは思うのですが、自分のブログを投票している人の多くが、投票可能な5つを選べ切れず、2つか3つの中に自分のブログを選んでいるように、面白いブログを探す気が全然感じられないのです。たぶんこういう投票の仕方をしている人って、他人の推薦ブログなんて読んでいないんだろうな、と思わずにいられません。
自己愛は分かるのですけど、ハタから見ていて、失笑せずにはいられません。
トラックバック企画などの、アンケートに答える記事で、淡々と答えだけを書く人が多い。
アンケートの主催者には、そのほうが集計をしやすくて、面倒な思いをしないことは確かですが、僕はそれならばトラックバックで回答を求めるのではなく、投票掲示板にするとか、投票フォームみたいなものを使えば良いと思うのですね。
せっかくブログを利用してアンケートをとっているのだから、どうしてそう思うのか、とか、その答えについての、自分との関わりを書いて、アンケートの回答が「ひとつのコンテンツ」といえるくらいまで昇華してもらいたいのです。
(この記事はこんなブログは読まないの内容と、ほとんど変わらないので、既にそちらを読まれている方には、新しい情報は得られないと思います。)
第1回グッドブログセレクションに投票されているcbvさんの発言です。
グッドブログセレクションに投票している他のブログユーザーの方へ。
単にタイトルとURLだけ示されても、全く興味が湧かないし、そのブログへ行こうとも思いません。もう少し、閲覧者に親切な書き方をして欲しいと思うのです。たとえば、URLをコピーしてアドレスバーに貼り付けなくてはいけないというような適当さでは、そのブログへ行く人などこれっぽっちもいませんよ。別に私自身を肯定するわけではありませんが、クリックしてそのブログへ飛べるようになっていれば、たとえ興味がなくても「まあ、見てみっか」くらいの気持ちで行くことができます。 それにプラスして、解説も書いていただけるととてもうれしいです。タイトルがあまり興味をそそらなくても、内容がとてもおもしろいブログもたくさんあります。単にタイトルだけ書かれても、なんのこっちゃで、訳が分かりません。
MJJ , Michael:グッドブログセレクション
僕もcbvさんと同じ考えです。
好きなブログを投票するのだから、他の参加者にも自分の好きなブログを読んで貰いたいですよね。好きなブログの題名とURLが記述されているだけの場合、その記事を読んで、そこを読みに行こう、という気になる人が、果たしてどのくらいいるでしょう。投票の数が多ければ多いほど、ただのURLの羅列では、読む気が全く起きません。
グッドブログセレクションに投票する人は、単に賞品が欲しいと思っている人もいるかもしれませんが、自分の好きなブログを他の人にも知って欲しい、と考えているものなんじゃないですかね?
せっかくトラックバックを使って、グッドブログセレクションの記事に自分のブログへのリンクを貼るわけですから、これは「他人が面白いと思うブログを知りたい」という人が自分のブログに訪問してくれるチャンスです。
訪問してくれた人が、あなたの投票エントリを読んで、「参考になった」と評価したり、紹介記事そのものが面白かったら、もしかしたらあなたのブログの読者になってくれるかもしれません。
でもURLと題名の記述だけなら、面白いと思うわけはないわけでして。
スタッフの集計の手間を考えたら、単にURLと題名の記述だけの方が良いのでしょうが、もしスタッフのほうが、面白いブログを発掘したい、と真剣に考えているのなら、そんな投票記事を求めているわけは、決してないわけでして、ブログを利用するからこそ、投票した人のブログもちゃんと読んで、優れた書き手を見つけてもらいたいものだ、と思うのです。
この記事で言いたかったことは、以上なのですが、cbvさんの意見で、共感した部分をもうひとつ。
それと、主催者のGooさん。やっぱり自薦はなしにすべきだったと思いますよ。たしかになしにしたら更にエントリーが減りそうですが、イチから読んでみると失礼ながらエントリーする価値のないような記事、こんなの別に読みたくないよ、と思うような記事が本当に多いので残念です。
MJJ , Michael:グッドブログセレクション
このてのアンケート、日本ブログ大賞の時も感じたのですけど、投票する人が、基本的に「自分のブログの宣伝」に使っていることが多く、イマイチ緊張感に欠けるというか、とほほ感満載と言うか…
もちろん自分のブログへの愛は大事だとは思うのですが、自分のブログを投票している人の多くが、投票可能な5つを選べ切れず、2つか3つの中に自分のブログを選んでいるように、面白いブログを探す気が全然感じられないのです。たぶんこういう投票の仕方をしている人って、他人の推薦ブログなんて読んでいないんだろうな、と思わずにいられません。
自己愛は分かるのですけど、ハタから見ていて、失笑せずにはいられません。