番屋の造作は、明治38年頃と言われており、
全て地元の山から切出した木材により制作
されたものだそうです。
北海道内に現存する最大規模の番屋であり、
木割は大きく豪壮・雄大で総勢200人前後
の人員を収容していたそうです。
かって一起し千両と謳われた鰊は既に幻の
魚となりヤン衆のさんさめく声も絶えて久しく、
今はただ番屋のみがその影を残し、ヤン衆の
息吹を今に伝えています。
※ 昨年の台風18号で、かなり損傷したようです。
写真:奥の障子から向こうが親方の居住部分で
囲炉裏平面の手前を中二階に備え三段と
し漁夫の寝台(ネダイ)として構成されている。
写真は、三段目の寝台から撮ったものである。
全て地元の山から切出した木材により制作
されたものだそうです。
北海道内に現存する最大規模の番屋であり、
木割は大きく豪壮・雄大で総勢200人前後
の人員を収容していたそうです。
かって一起し千両と謳われた鰊は既に幻の
魚となりヤン衆のさんさめく声も絶えて久しく、
今はただ番屋のみがその影を残し、ヤン衆の
息吹を今に伝えています。
※ 昨年の台風18号で、かなり損傷したようです。
写真:奥の障子から向こうが親方の居住部分で
囲炉裏平面の手前を中二階に備え三段と
し漁夫の寝台(ネダイ)として構成されている。
写真は、三段目の寝台から撮ったものである。