吹奏楽をやっている姪っ子の演奏会に行ってきた。
数々の素晴らしい演奏。
メンバーの「音楽が好き」という気持ちのこもった
素晴らしい演奏。
吹奏楽なので、
メロディーラインは、
フルートやクラリネット、トランペット
ホルンやトロンボーンなどの
木管楽器や金管楽器たち。
ベースを
ダブルベースやチューバ、
ユーフォニアムなどが担当し、
パーカッションを
ドラムやティンパニーなどの打楽器が担当。
特に、
最近のパーカッションは、その種類の多さに
驚かされる。
私が中学時代の頃などは、
パーカッションという言葉もなく、
「打楽器」という分類で、
大太鼓、小太鼓、ティンパニー、シンバル。
たまに、木琴とか鉄琴とか、タンバリンとかマラカスとか…
それが今では、
ドラ、シロホン、コンガ、ドラムセットなどなどなどなど…
そして、
昔は、1人にひとつの楽器を担当していたように記憶しているが、
今は、パーカッション担当者は、
1曲の間にも、楽器の間を行ったり来たりして、
それぞれがいろいろな楽器を代わる代わる演奏している。
そんな進化するパーカッションが面白くて、
実は、演奏中、私はずっとパーカッションばかりを見ていた。
そして気が付いた。
トライアングルの音ってどんな楽器よりもキレイで響く!
昔、幼稚園の頃、
「ヒモの部分を持つんだよ」と教えられ、
小学校低学年の頃は、カスタネットと並んで、
最もポピュラーな。
木琴や鉄琴に比べると地味な位置で、
音楽会などでトライアングルになった時は、
「あーあ…木琴がよかったなぁ」などと思ったものだ。
そのトライアングルが、大人数の楽団の中に
たった1個。
ステージから離れた席からは、
手に持っているのさえも見えないほどの
小さなトライアングル。
それが、
なんと、まあ、
シンバルに負けず劣らずの、圧倒的な存在感をもって
澄み切った綺麗な音色を奏で、曲に彩りを添えているのである。
感動した。
小さな小さなトライアングル。
でも、その音色があるのとないのとでは、
同じ曲でも、大きな差がでるのである。
演奏会の後、
一緒に行った母と妹に聞いてみた。
「トライアングルの音色、よかったよね?」
しかし、
母も妹も、「気が付かなかった」と。
いや、母や妹だけじゃないかもしれない。
あの会場の中で、トライアングルの音色に気が付いた人は
果たして何人いたのであろうか…
スイング系の曲の時、
クラリネットやトランペット、ドラムセットの独奏があり、
そのたびに、大きな拍手が起こる。
でも、トライアングルは…
私は、今日の演奏会で考えた。
誰からも気づかれず、
特別な拍手ももらえず、
表舞台に出る事もなく…
それでも、
その存在は貴重であり、
穢れのない澄んだ音色で、
ひそやかに、しかし確かに、
その存在を主張する。
私は、ここにいる。
私は、たしかにここにいる。
私は、小さい存在だけれども、確実にここにいる。
人生は一度きり。
表舞台で派手に生きて行こうと頑張らなくてもいいじゃない。
自分のキャパシティ以上のことを、自分で自分に枷せなくてもいいじゃない。
人目を気にし、自分を飾らなくてもいいじゃない。
今日のトライアングルの音色が、
自分のこと、そして家族のことで悩んでいた
私に、それを教えてくれた。
「人は与えられた運命を淡々と受け入れて生きていけばいいのだ」
私の敬愛する小説の主人公「スカーレット・オハラ」も言っているではないか。
「明日は、また別の違う日」
過去にとらわれず、
周囲に惑わされず、
自分を見失わず、
自分のできることをできるだけ。
それでいいのかもしれない。
トライアングルのように生きて行く。
そういう人生も、いいかもしれない。
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数々の素晴らしい演奏。
メンバーの「音楽が好き」という気持ちのこもった
素晴らしい演奏。
吹奏楽なので、
メロディーラインは、
フルートやクラリネット、トランペット
ホルンやトロンボーンなどの
木管楽器や金管楽器たち。
ベースを
ダブルベースやチューバ、
ユーフォニアムなどが担当し、
パーカッションを
ドラムやティンパニーなどの打楽器が担当。
特に、
最近のパーカッションは、その種類の多さに
驚かされる。
私が中学時代の頃などは、
パーカッションという言葉もなく、
「打楽器」という分類で、
大太鼓、小太鼓、ティンパニー、シンバル。
たまに、木琴とか鉄琴とか、タンバリンとかマラカスとか…
それが今では、
ドラ、シロホン、コンガ、ドラムセットなどなどなどなど…
そして、
昔は、1人にひとつの楽器を担当していたように記憶しているが、
今は、パーカッション担当者は、
1曲の間にも、楽器の間を行ったり来たりして、
それぞれがいろいろな楽器を代わる代わる演奏している。
そんな進化するパーカッションが面白くて、
実は、演奏中、私はずっとパーカッションばかりを見ていた。
そして気が付いた。
トライアングルの音ってどんな楽器よりもキレイで響く!
昔、幼稚園の頃、
「ヒモの部分を持つんだよ」と教えられ、
小学校低学年の頃は、カスタネットと並んで、
最もポピュラーな。
木琴や鉄琴に比べると地味な位置で、
音楽会などでトライアングルになった時は、
「あーあ…木琴がよかったなぁ」などと思ったものだ。
そのトライアングルが、大人数の楽団の中に
たった1個。
ステージから離れた席からは、
手に持っているのさえも見えないほどの
小さなトライアングル。
それが、
なんと、まあ、
シンバルに負けず劣らずの、圧倒的な存在感をもって
澄み切った綺麗な音色を奏で、曲に彩りを添えているのである。
感動した。
小さな小さなトライアングル。
でも、その音色があるのとないのとでは、
同じ曲でも、大きな差がでるのである。
演奏会の後、
一緒に行った母と妹に聞いてみた。
「トライアングルの音色、よかったよね?」
しかし、
母も妹も、「気が付かなかった」と。
いや、母や妹だけじゃないかもしれない。
あの会場の中で、トライアングルの音色に気が付いた人は
果たして何人いたのであろうか…
スイング系の曲の時、
クラリネットやトランペット、ドラムセットの独奏があり、
そのたびに、大きな拍手が起こる。
でも、トライアングルは…
私は、今日の演奏会で考えた。
誰からも気づかれず、
特別な拍手ももらえず、
表舞台に出る事もなく…
それでも、
その存在は貴重であり、
穢れのない澄んだ音色で、
ひそやかに、しかし確かに、
その存在を主張する。
私は、ここにいる。
私は、たしかにここにいる。
私は、小さい存在だけれども、確実にここにいる。
人生は一度きり。
表舞台で派手に生きて行こうと頑張らなくてもいいじゃない。
自分のキャパシティ以上のことを、自分で自分に枷せなくてもいいじゃない。
人目を気にし、自分を飾らなくてもいいじゃない。
今日のトライアングルの音色が、
自分のこと、そして家族のことで悩んでいた
私に、それを教えてくれた。
「人は与えられた運命を淡々と受け入れて生きていけばいいのだ」
私の敬愛する小説の主人公「スカーレット・オハラ」も言っているではないか。
「明日は、また別の違う日」
過去にとらわれず、
周囲に惑わされず、
自分を見失わず、
自分のできることをできるだけ。
それでいいのかもしれない。
トライアングルのように生きて行く。
そういう人生も、いいかもしれない。
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