療育教室に通い始めて約1ヶ月が経ちましたが、息子は着実に成長している事を感じます。
本当に些細な事ではありますが、最初は緊張してカチコチに固まっていた息子ですが、今では担当して下さっている先生と雑談するまでに解され、リラックスしてのぞむことができています。
ただ単に先生に馴れたと言ってしまえばそれまでですが、シャイな4歳の子が家族以外の大人や家庭以外の場所に馴染むというのは、想像しているより容易ではないと思います。
ましてや、毎日何時間も一緒に過ごしているわけでもなく、週2回の各々1時間にも満たない時間を過ごしているだけの教室です。
人見知りの私でも、馴染むのにはそれなりの時間がかかると思います。
しかし、私は大人ですから初めからそれなりのコミュニケーションを取り、会話もちゃんとします。
息子は、大人のような建前で人と付き合う事はまだ知らないはずですから、私から見て馴染んだように見えるということは、ちゃんと先生に親しみを覚えているのだと思います。
又、息子は先生に対しても私たち親に対しても、自分の意見を言えるようになってきました。
大した内容ではありませんが、もう一度やりたいとか、もっと食べたいとか、自分の欲求を自分の言葉でハッキリと発言するようになってきたのです。
もともと、言葉を発してこなかったわけではありませんが、どちらかというと、多くを語らずとも、こちらが察してあげていた部分も少なからずあったように思います。
こちらの心構えや受け答え方が変化した事も一因にあるかもしれませんが、着実に歩を進めている息子を誇らしくさえ感じられます。
息子自身、自分の成長によって見える世界も変わってくると思いますし、これからますます楽しみが増えていくと思うと、幸福感が膨らんでくるような気持ちです。
又、これまで意識して考えた事はありませんでしたが、場所見知りというものも、意外と厄介なのだと分かりました。
私は自分に場所見知りがあると感じた事はありませんでしたが、初めて訪れる場所にすぐに馴染んでくつろぐということはできず、その場の主に促されない限りは、身動きとらずに棒立ちしている事がほとんどです。
しかし、主人や親しい友人が初めて私の部屋を訪れた際、何も案内せずとも、自然とソファに腰掛けてくつろいだりしていた事を思い出しました。
身内や親しい人間の部屋を訪れた場合の行動として、おそらくこれが自然な振る舞いなのだと思います。
人に対しては、会話などのコミュニケーションで慣れない気持ちをカバーして振る舞えますが、場所に対しては、自分の気持ちが変わらない限り、馴染むことは難しいように感じました。
息子は私ほど場所見知りがあるわけではありませんが、療育教室の場に明らかに馴染んだ様子は感じられるようになりました。
小学校から始まる義務教育の長い期間には、卒業後に生きていく上で必要な協調性や社会性等は存分に学んでいくことができると思いますが、今息子が経験しているようなたくさんの達成感を味わう体験や、物事に対する創造力を引き出すこと等は、「統制」を基本としている場では満足のいくレベルまで得られる可能性はあまり高くないと考えています。
そういった意味では、息子は充実した時間を得られていると思いますし、本人が楽しみながら1つ1つのカリキュラムから、快感や爽快感のようなものを得ている今は、これからの日々にも必ず糧となっていくと思うのです。
苦手を克服する事を目的に通い始めた療育教室ですが、回を重ねる毎に、心を育む場でもあるのだという事が分かってきました。
それは、息子のみならず私たち親も自然とそれに加わってきています。
改めて思うのは、親子共々一日一日を不器用ながらも大切に過ごし、これからの日々の糧にしていきたいということです。