多動の傾向のあるお子さんは、何の前触れもなく急に席を立って走り出したりすることがあるかと思います。
息子は、そういった傾向は見られないのですが、息子が療育教室へ通い始めて、それに引率するようになり、そのような傾向のある他のお子さんの様子を見たり、教室の先生のお話を伺ううちに、私がそれに近い傾向にあるのではないかと、最近になって思うようになりました。
とは言え、私は子どもの頃、人形のように大人しい少女でした。
落ち着きなく走り回るような行動に出ることはありませんでしたので、問題視されることもありませんでした。
しかし、走り回ったり跳び跳ねたりする事だけが多動ではないと考えると、私自身思い当たる節があるのです。
どのくらい昔からの行動かは思い出せませんが、私は何の前触れもなく手を動かしてリズムを取るような事が度々あります。
私としては意識的に行っているわけではなく、それこそ「衝動的」な行動です。
自分の手や太ももをポンポンと叩いてリズムを取るだけなので、周囲からは手持ち無沙汰の行動と思われているかもしれません。
私自身、それを問題視したこともなく、周囲から指摘された経験もなかったため、気にもとめずに生きてきましたが、35歳にして初めて気にとまりました。
しかし、私はそれなりに年齢を重ね、社会経験もありますので、TPOはわきまえています。
似つかわしくない状況でこの行動を取ることはありませんが、家庭で子どもたちと過ごす中で、考え事をしている時や見守っている時等に、自然と動いている事があります。
どちらかというと、周囲を不快にさせるような行動ではないと思いますし、子どもたちも私の取るリズムにのってくれたりするなど、ポジティブな面もあることから、今のところ積極的に制御しようとは考えていません。
息子は多動の傾向はありませんが、少なからず落ち着きのなさはあります。
特に、療育教室での緊張から解き放たれた今、先生との一対一のやりとりの最中に、身体を机に乗り出したり、椅子に正座したり、何かしらの動きが見られます。
しかし、集中力を見せて動かない瞬間もあります。
これについて先生に訊ねてみたところ、
息子は根本が真面目なので、求められた事には応えようという気持ちが強いけど、実は本心ではあまり乗り気じゃない物事の時には、その気持ちが動きとして出ているとのこと。
確かに、動かないで集中している時というのは、お絵描きやパズル等の息子が好きな事をしている時でした。
又、教室へ通い始めた頃には分からなかった息子の特性も少しずつ分かってきました。
通い始めた頃は、まだまだ緊張して借りてきた猫のように大人しく口数が少なかった息子ですが、最近は先生との会話を楽しんだり、集団療育の際には、他のお子さんと一緒に教室の中を走り回ったり跳び跳ねたりする行動が見られるようになりました。
息子は、先生との会話の中で自分の認識と先生の認識が合わなかった時に、自分の考えを曲げることをせず、その意見が間違っていても押し通す傾向にあります。
これは、頑固とかワガママとか、息子が意識的に固執しているわけではなく、「特性」の1つであるようなのです。
家庭でも、息子がそのように自分の考えを押し通そうとする場面は度々あり、私は、ワガママだな~とか、頑固だな~と、単純に捉えてきましたが、「特性」と捉えれば、対応の仕方が変わってくると教わりました。
明らかなワガママ発言なら、それは躾としてしっかりと諭さなければなりませんが、特性からくるこだわりならば、こちらは粘らず引くのが、ベストな対応ということを知りました。
粘っても解決しないならば、対応するこちらも疲れますし、最悪な場合、お互いに熱くなってしまう可能性があるので、これを知ることができたことは、とても良かったと思います。
このように、少しずつ息子の分析ができてくることも、療育教室へ通っている事の利点だと思います。
又、息子の行動の意味が理解できると、どのように対応したり反応したりすると良いのかを考える材料となり、親としても煮詰まる事が減るのではないかと思います。
そんな経験をしてつくづく感じるのは、子育てにおいて、悩むことや不安な事は絶えず発生するのに、それを解決したり解消したりする機会や場面が本当に少ない事です。
それは、全てに正解が存在しないからだと思いますが、親としては模範解答を与えてほしい事はたくさんあります。
妊娠から始まり、出産後も全てが初見なのですから、いわば新卒未経験入社するようなものです。
手取り足取り教われるわけではないので、必然的に失敗を重ねながら親も成長していきますよね。
いつもいつも完璧な親なんて、それこそ普通じゃないと思いますし、想定外ばかりの子育てにおいては、及ばないことなんて日常茶飯事だと思います。
それを周囲も寛大な気持ちで見守り、時には助け舟を出せるような、気持ちに余裕のある社会が広がれば良いな~と、ふと考える今日この頃でした。