ちゅなママ日記

現在4歳の息子ちゅんたろう(仮名)と、1歳半の娘にゃっちゅ(仮名)の子育ての事等、マイペースに綴っていきたいと思います。

特性と対応。

2021-05-28 17:15:53 | 日記

多動の傾向のあるお子さんは、何の前触れもなく急に席を立って走り出したりすることがあるかと思います。

息子は、そういった傾向は見られないのですが、息子が療育教室へ通い始めて、それに引率するようになり、そのような傾向のある他のお子さんの様子を見たり、教室の先生のお話を伺ううちに、私がそれに近い傾向にあるのではないかと、最近になって思うようになりました。

とは言え、私は子どもの頃、人形のように大人しい少女でした。

落ち着きなく走り回るような行動に出ることはありませんでしたので、問題視されることもありませんでした。

しかし、走り回ったり跳び跳ねたりする事だけが多動ではないと考えると、私自身思い当たる節があるのです。

どのくらい昔からの行動かは思い出せませんが、私は何の前触れもなく手を動かしてリズムを取るような事が度々あります。

私としては意識的に行っているわけではなく、それこそ「衝動的」な行動です。

自分の手や太ももをポンポンと叩いてリズムを取るだけなので、周囲からは手持ち無沙汰の行動と思われているかもしれません。

私自身、それを問題視したこともなく、周囲から指摘された経験もなかったため、気にもとめずに生きてきましたが、35歳にして初めて気にとまりました。

しかし、私はそれなりに年齢を重ね、社会経験もありますので、TPOはわきまえています。

似つかわしくない状況でこの行動を取ることはありませんが、家庭で子どもたちと過ごす中で、考え事をしている時や見守っている時等に、自然と動いている事があります。

どちらかというと、周囲を不快にさせるような行動ではないと思いますし、子どもたちも私の取るリズムにのってくれたりするなど、ポジティブな面もあることから、今のところ積極的に制御しようとは考えていません。


息子は多動の傾向はありませんが、少なからず落ち着きのなさはあります。

特に、療育教室での緊張から解き放たれた今、先生との一対一のやりとりの最中に、身体を机に乗り出したり、椅子に正座したり、何かしらの動きが見られます。

しかし、集中力を見せて動かない瞬間もあります。

これについて先生に訊ねてみたところ、
息子は根本が真面目なので、求められた事には応えようという気持ちが強いけど、実は本心ではあまり乗り気じゃない物事の時には、その気持ちが動きとして出ているとのこと。

確かに、動かないで集中している時というのは、お絵描きやパズル等の息子が好きな事をしている時でした。

又、教室へ通い始めた頃には分からなかった息子の特性も少しずつ分かってきました。

通い始めた頃は、まだまだ緊張して借りてきた猫のように大人しく口数が少なかった息子ですが、最近は先生との会話を楽しんだり、集団療育の際には、他のお子さんと一緒に教室の中を走り回ったり跳び跳ねたりする行動が見られるようになりました。

息子は、先生との会話の中で自分の認識と先生の認識が合わなかった時に、自分の考えを曲げることをせず、その意見が間違っていても押し通す傾向にあります。

これは、頑固とかワガママとか、息子が意識的に固執しているわけではなく、「特性」の1つであるようなのです。

家庭でも、息子がそのように自分の考えを押し通そうとする場面は度々あり、私は、ワガママだな~とか、頑固だな~と、単純に捉えてきましたが、「特性」と捉えれば、対応の仕方が変わってくると教わりました。

明らかなワガママ発言なら、それは躾としてしっかりと諭さなければなりませんが、特性からくるこだわりならば、こちらは粘らず引くのが、ベストな対応ということを知りました。

粘っても解決しないならば、対応するこちらも疲れますし、最悪な場合、お互いに熱くなってしまう可能性があるので、これを知ることができたことは、とても良かったと思います。

このように、少しずつ息子の分析ができてくることも、療育教室へ通っている事の利点だと思います。

又、息子の行動の意味が理解できると、どのように対応したり反応したりすると良いのかを考える材料となり、親としても煮詰まる事が減るのではないかと思います。


そんな経験をしてつくづく感じるのは、子育てにおいて、悩むことや不安な事は絶えず発生するのに、それを解決したり解消したりする機会や場面が本当に少ない事です。

それは、全てに正解が存在しないからだと思いますが、親としては模範解答を与えてほしい事はたくさんあります。

妊娠から始まり、出産後も全てが初見なのですから、いわば新卒未経験入社するようなものです。

手取り足取り教われるわけではないので、必然的に失敗を重ねながら親も成長していきますよね。

いつもいつも完璧な親なんて、それこそ普通じゃないと思いますし、想定外ばかりの子育てにおいては、及ばないことなんて日常茶飯事だと思います。

それを周囲も寛大な気持ちで見守り、時には助け舟を出せるような、気持ちに余裕のある社会が広がれば良いな~と、ふと考える今日この頃でした。

通い始めて1ヶ月。

2021-05-27 10:18:50 | 日記

療育教室に通い始めて約1ヶ月が経ちましたが、息子は着実に成長している事を感じます。

本当に些細な事ではありますが、最初は緊張してカチコチに固まっていた息子ですが、今では担当して下さっている先生と雑談するまでに解され、リラックスしてのぞむことができています。

ただ単に先生に馴れたと言ってしまえばそれまでですが、シャイな4歳の子が家族以外の大人や家庭以外の場所に馴染むというのは、想像しているより容易ではないと思います。

ましてや、毎日何時間も一緒に過ごしているわけでもなく、週2回の各々1時間にも満たない時間を過ごしているだけの教室です。

人見知りの私でも、馴染むのにはそれなりの時間がかかると思います。

しかし、私は大人ですから初めからそれなりのコミュニケーションを取り、会話もちゃんとします。

息子は、大人のような建前で人と付き合う事はまだ知らないはずですから、私から見て馴染んだように見えるということは、ちゃんと先生に親しみを覚えているのだと思います。

又、息子は先生に対しても私たち親に対しても、自分の意見を言えるようになってきました。

大した内容ではありませんが、もう一度やりたいとか、もっと食べたいとか、自分の欲求を自分の言葉でハッキリと発言するようになってきたのです。

もともと、言葉を発してこなかったわけではありませんが、どちらかというと、多くを語らずとも、こちらが察してあげていた部分も少なからずあったように思います。

こちらの心構えや受け答え方が変化した事も一因にあるかもしれませんが、着実に歩を進めている息子を誇らしくさえ感じられます。

息子自身、自分の成長によって見える世界も変わってくると思いますし、これからますます楽しみが増えていくと思うと、幸福感が膨らんでくるような気持ちです。

又、これまで意識して考えた事はありませんでしたが、場所見知りというものも、意外と厄介なのだと分かりました。

私は自分に場所見知りがあると感じた事はありませんでしたが、初めて訪れる場所にすぐに馴染んでくつろぐということはできず、その場の主に促されない限りは、身動きとらずに棒立ちしている事がほとんどです。

しかし、主人や親しい友人が初めて私の部屋を訪れた際、何も案内せずとも、自然とソファに腰掛けてくつろいだりしていた事を思い出しました。

身内や親しい人間の部屋を訪れた場合の行動として、おそらくこれが自然な振る舞いなのだと思います。

人に対しては、会話などのコミュニケーションで慣れない気持ちをカバーして振る舞えますが、場所に対しては、自分の気持ちが変わらない限り、馴染むことは難しいように感じました。

息子は私ほど場所見知りがあるわけではありませんが、療育教室の場に明らかに馴染んだ様子は感じられるようになりました。



小学校から始まる義務教育の長い期間には、卒業後に生きていく上で必要な協調性や社会性等は存分に学んでいくことができると思いますが、今息子が経験しているようなたくさんの達成感を味わう体験や、物事に対する創造力を引き出すこと等は、「統制」を基本としている場では満足のいくレベルまで得られる可能性はあまり高くないと考えています。

そういった意味では、息子は充実した時間を得られていると思いますし、本人が楽しみながら1つ1つのカリキュラムから、快感や爽快感のようなものを得ている今は、これからの日々にも必ず糧となっていくと思うのです。

苦手を克服する事を目的に通い始めた療育教室ですが、回を重ねる毎に、心を育む場でもあるのだという事が分かってきました。

それは、息子のみならず私たち親も自然とそれに加わってきています。

改めて思うのは、親子共々一日一日を不器用ながらも大切に過ごし、これからの日々の糧にしていきたいということです。

想う気持ちも療育。

2021-05-21 13:30:39 | 日記

息子が通う療育教室での集団療育のカリキュラムの際には、必然的に他のお子さんの様子も併せて目にすることになります。

これまで、息子と同年代のお子さんとを比較して見る事がなかったため、とても新鮮な体験となっています。

療育教室に来られているお子さんですから、息子と同じように何らかの苦手を持って通ってきているわけですが、それが一目瞭然な子もいれば、一見しては分からない子もいます。

とにかく、じっと座っていられず、療育の時間のほとんどを走り回ったり跳び跳ねたりして過ごすお子さんや、カリキュラムがたまたま予定通りに進まなかった際に、取り乱して泣き出してしまうお子さんなど、様々です。

しかし、息子も含めその子どもたちに全て共通して感じさせられるのは、教室でのカリキュラムを楽しんでいるという様子です。

やらされている。
というのは、実際親が通わせる事を決めている以上、その言葉を100%否定することはできませんが、その中でも子どもたちが自らの意思で楽しんでいることは、とても重要なことだと思いました。

もしも療育教室でのカリキュラムに苦痛を覚えていたら、それはいわば更正をはかる事になってしまっていて、本来私たちが求める療育ではないからです。


カリキュラムの回数を重ねてきた息子は、先生や場の雰囲気に慣れてきた事もあり、素が出て少しテンションが高くなる事もありますが、課題に掲げているものをクリアするための段階を着実に踏むことができていると感じます。

又、最近思うのは、同じように子どもの苦手を克服するために療育教室へ通うことを選択された親御さんの、親身な姿勢と深い愛情や優しさに触れると、私自身見習わなければならない事がたくさん見えてきました。

教室に来られている親御さんの様子を見て感じたのは、愛情を持って接する事だけでも、療育であり、教育であるということです。

正直、私はあまり愛情表現が上手ではありません。

そもそも、私自身が親からストレートな愛情表現を受けたことがないのです。

しかし、とても簡単な愛情表現として、最近は毎朝起きたら息子を抱き締めることにしています。

これで息子に愛が伝わるか分かりませんが、下手な私の精一杯の表現です。

これから我が子たちと過ごしていく日々に、療育を受ける今の経験が少しでも活かせるように、この先一つ一つの体験をを大切にして吸収していきたいと思います。

ビワ続報④

2021-05-19 12:57:46 | 日記

ついに、ビワの種たちを土に移し替えました。


小さな育苗ポットや種育成用の土等、全て100円ショップで手に入れました。

あとは、種たちが元気に発芽してくれることを水をあげながら見守るだけです。

しかし、タイミングとしてはあまりベストではなく、しばらくは曇り空か雨が続くようなので、ビワたちが心配です…

仕事とコロナ

2021-05-19 12:53:39 | 日記

先月に2回ほど、主人の職場で新型コロナの感染者が判明した事がありました。

それぞれ、別の経路から感染したようでしたが、最初に感染が分かった時の会社の対応がずさんで、憤った事を覚えています。

保健所に連絡した時点では、職場の人間は皆マスクをしていたという事から、濃厚接触者にはあたらず、検査の対象にも休業の対象にもなりませんでした。

その指針に則れば、確かに営業を続けて良いわけですし、他の社員が検査を受ける必要もないわけですが、主人の職場はお客様を直にお迎えする接客業です。

そこで、主人たちは上司を説得して、感染者と同じ空間にいた社員全員を民間でのPCR検査をする方向に持っていき、感染者が療養を終了するまでお店も閉める事を承諾させました。

そして、検査の結果、感染者がもう1人判明し、主人は幸いにも陰性となりました。

何より驚いたのは、社員たちからの申し出がなければ、会社側は検査を受けさせるつもりもなく、お店を閉めるつもりもなかったということです。

さらに会社側は、何故お店をお休みするのかという理由をお客様にお伝えする際に、「コロナ感染者が出た」という文言を入れる事を躊躇しました。

それはつまり隠蔽するということになり、後々お客様がその事実を知った時に、信用を失いかねません。

私ごときでも思い付くような、簡単な想像もできない人間が、人の上に立っているということにも憤ります。



そして、昨晩のことですが、主人は仕事から帰ってくると、体がだるくて熱っぽいと訴え、それはコロナを疑った方が良いと言って、家の中でもマスクを付けさせました。

市販の風邪薬を服用したようで、今朝目覚めると、喉の違和感は残ってるけど、ダルさや熱は治ったから大丈夫だと言い出しました。

しかし、薬を服用したことで一時的に緩和しただけかもしれないし、何より喉の違和感が残ってる時点で、油断しない方が良い。
その油断が、過去に同僚から迷惑を被る結果になったことを忘れたのか、と朝から諭し、病院を受診することをすすめました。

結果的には、コロナの疑いナシということで、喉風邪の診断を受けました。


自分は大丈夫。その意識が芽生える気持ちは、正直理解できます。

私も主人の立場なら、この程度の症状でシフトに穴をあけるなんて…と頭をよぎります。

しかし、今は平時ではありません。

その程度の症状で休むなんて、と咎めるような人がいるなら、今はその人が間違っていると思います。

主人は、私の意見を聞いて考え直してくれましたが、おそらく世の中には感染源になってでも仕事へ行ってしまう人もいるんだと思います。

それは、日本の慣習がネックになっていると思いますし、無理してでも仕事へ行く事を美徳と考えている古さが染み付いてしまっている事が少なからずあるのだと感じます。

私もその質です。

しかし、今はとにかく周囲に迷惑をかけないことを優先に考えようと思っています。

私だって欠勤することはすごく嫌ですが、自分の無責任な行動が原因で誰かの命を脅かす方がよっぽど恐ろしい事なので、今はとにかく我慢しかないと思っています。

悲しい事ですが、自分がいなくても仕事はまわります。
絶対にいなきゃいけない人材なんて、それこそ人間国宝などの本当に一握りの人だけです。

ということで、思い上がらず開き直ることにしています。