今年の秋で5歳になる息子は、昨年の冬に自閉症スペクトラムの診断を受けました。
この診断を受けた子どもの抱える問題や症状は、個々でグラデーションのように濃淡があり、知的な能力に遅れのある子もいれば、一見しては分からない位の軽度の子もいるようです。
うちの息子は、そのグラデーションの中では、決して濃い方ではなく、知的な能力は年齢相応です。
ただ、感情の振り幅が広いため、基本的にはいつもニコニコ明るく過ごしていますが、自分の意に沿わない事を強要されると、途端に機嫌を損ね、なかなかそれを解消できずにいる様子があります。
又、語彙力の不足も相まって、物事の説明が苦手です。
苦手であることを自覚している事もあるのか、質問に答えられないと、口ごもってしまいます。
そのため、一見すれば単なるシャイボーイに映るかもしれません。
これは、成長と共に解消されていく他愛もない悩みみたいなものかもしれません。
診断名が付いたことも不自然な位、年齢を重ねるうちに、自然と消滅していくものかもしれません。
生活に支障をきたすほどの物事でもありません。
しかし、医師から診断名を付けられた途端に、それを「障害」と言い表されてしまうことは、なかなか容易には受け入れられないのが普通だと思います。
息子は初めて授かった子どもで、私にとっては初めての育児であり、他の同い年のお子さん達と息子を比べるような機会がなかった事もあり、息子が感情的になりやすい点や、説明が下手な点は、
「このくらいの子どもの特徴」
「いわゆる魔の◯歳児」
的な視点で捉え、問題とは一切思っていませんでした。
これまでの定期健診でも一度も何かを指摘されたことがなく、特に問題無く育ってきた息子ですが、昨年から通い始めた幼稚園の教諭から、気になる点があるというニュアンスで突然指摘されたのです。
先ずは試しに、幼稚園で定期的に作業療法士さんを招いて行っている、発達障害を持つ園児が対象の特別なクラスに参加しませんか?という話を頂きました。
その時点では私自身も、あまり深刻に受け止めていませんでしたし、何より昨年はコロナ渦という環境の中入園し、満足に登園もできていない状況だったため、正直なところ、
「うちの子の何が分かるんだ?」
という感情の方が勝っていたかもしれません。
それから何日か後に、幼稚園の教諭から改めてお話ししたいという声かけがあり、主人と共に話を聞きに幼稚園へ行きました。
そしてそこで、市の療育センターで一度、医師の診察を受けてみてはどうかと勧められました。
初めは、正直戸惑いました。
その面談の帰路は、戸惑いと底知れぬ不安とショックで、泣くことを我慢する事で精一杯でした。
一緒に話を聞いた主人は、ショックよりも怒りのような感情を持っていたかもしれません。
コロナ渦で大して通えてないのに、何が分かるんだ?と…。
私もそれはその通りだと思いましたし、実際幼稚園の教諭も、「正直、このお話しをこの段階ですべきかどうか迷った」と仰っていました。
しかし、市の療育センターでの診察は待機している人が多くいて、半年後の予約になる現状があるため、早めにお話し下さったようです。
療育センターでの診察に、主人も私も抵抗感がありました。
療育センターへ行くということが、まるで息子を否定されたようで、そして、それを私たちが認めるかのようで。
しかし逆に、診察を受ける事で、発達障害ではないという証明を得られるのではないか?という希望を胸に、私は幼稚園の教諭から伝え聞いた市の療育センターの番号に電話しました。
電話でお話しした、私達の住まいの地区担当の方は、とても聞き上手な方でした。
どんな経緯で今回電話をしたのかということから、息子の様子について、私の見解、しっかり漏らさず聞き取って下さいました。
ここでも私は、話ながら泣きそうになる自分を気丈に保つことで精一杯でした。
しかし、順を追って話す中で、私も何となく息子の不思議な部分に、ぼんやり気付いたような気もしました。
もしかして…。でも…。自分の思考の中でひたすら葛藤していました。
しかしこの時は、まだまだ息子に診断名が付くなんて、微塵にも想像していませんでした。
そして、やはり診察を受けるのは、半年後となりました。
市の療育センターを訪れたのは、昨年の秋頃でした。
小児心療内科医の女性と、その補佐の女性がいる部屋へ通され、私と主人は医師と、息子は補佐の女性と話す流れとなりました。
医師とは、これまでの経緯や息子の様子についてお話ししました。
私は、幼稚園の教諭から伝え聞いていた息子の幼稚園での様子について、もしかしたら発達障害の診断に加味されてしまうかもしれないような内容も、包み隠さずお話しし、家庭での様子もありのままに包み隠さずお話ししました。
その間に、息子は補佐の女性からテストされていました。
初めて会う大人の前では緊張して固くなってしまう息子が、実力の半分も出せないだろうとは思っていましたが、実際は1%位しか発揮できていなかったようです。
それから1ヶ月程経ってから、診察の結果について、医師の話を聞きに行き、そこで「自閉症スペクトラム」という診断を受けました。
その時は、全く納得できませんでした。
何より、最初に医師に息子の様子について話す際に、本当は説明のつく息子の不思議な行動について、幼稚園の教諭から指摘された通り、包み隠さず話した事を後悔しました。
もっと息子を擁護すべきだった。
幼稚園の教諭からはこう聞かされたが、本当は違うんだと弁護すれば良かった。
息子をかばえるのは私だけなのに、私は息子を守ることが出来なかった。
そう感じていました。
悔しさ、悲しさ、不快感、結局あの時の私が抱いていた感情がどれだったのかは分かりませんが、何か禍々しいものが渦巻いていたと思います。
何故、そのような闇に陥ったかと言えば、診断を下した医師を心底信用できなかったからです。
診断の結果の説明を聞く限り、私からの息子の様子についてのポジティブな話は診断に加味されているとは感じられませんでしたし、診断名を付けるためにネガティブな話を一所懸命拾い集められたかのように感じてしまいました。
何より初対面のたった一度のテスト結果を診断に用いる点も、納得いきませんでした。
例えば、私たちが「初めて会う大人に緊張していた」と擁護したとしても、「初めての場所や環境に弱いのは、こういう傾向のある子どもの特徴」と言われてしまうでしょう。
又、どういう流れで、そのような言葉を発したのかは分かりませんが、積み木を「エサ」と言ったとか。
我が家には猫がいるのですが、その猫の食事を「エサ」と言った事は無く、いつも「ご飯」と言っている息子です。
息子は人生で初めて「エサ」という言葉を、たまたまテストされていたあの場で発したのでしょうか。
積み木を「エサ」と言うのは不自然だと診断結果に記されていました。
私は全く不可解でした。
診断名の付かないお子さんは、無機質な部屋にいる初めて会う大人とのやりとりに戸惑い無く自分の能力を発揮できるのでしょうか。
又、自閉症スペクトラムの傾向があるお子さんの特徴は…という説明を聞きましたが、息子に当てはまる項目は確かに1つ2つありましたが、逆に全く当てはまらない人間なんて居るのだろうかと思うほど、曖昧な表現が羅列されていました。
当てはまるものと当てはまらないものがあって当然です。
自閉症スペクトラムの傾向を持つ子どもの症状はグラデーション。
個々によって濃淡があるからです。
これを言われてしまっては、何も言えません。
言えるとしたら、「そうですか」その一言だけです。
とにかく、この段階では不信感しか抱きませんでした。
療育センターの診察を受ける時点で、診断名を付ける前提が成り立っていたのではないだろうか?とさえ考えました。
診断名を付けるための聞取り確認作業と、親を納得させるための作業にしか感じられなかったのです。
又、診断を下しておきながら、何か直接的な治療をするでもなく、これまでの生活を続けて下さいと医師から言われた事も、不信感を煽りました。
まるで、レッテルだけを貼られたようだったからです。
そして、納得できないまま私は幼稚園に息子の診断について話しました。
幸いにも、息子が通う幼稚園は発達障害についての理解が深い園で、一緒に支えて参りますと応えて下さいました。
それから年末年始のお休みがあり、春休みまでの短い時期を過ごし、休みに入る直前に、幼稚園の教諭から再び呼び出されました。
教諭は、これまでも園での息子の様子について、度々お話しして下さっていたので、今回もそうだろうと思っていましたが、今回はその話に加えて、民間の療育施設についてのお話もありました。
私たちが暮らす地域では、公的な機関での療育施設は、年中児を対象としたものがないとのことで、もし差し支えなければ、民間の施設に通ってみませんか?というご提案でした。
評判の良い民間の施設を2~3ヶ所ご紹介頂き、その資料を持ち帰りました。
主人が帰宅するまでの間、紹介して頂いた施設について調べ、その中の2施設に興味を持ちました。
主人にもこの提案について話し、私が調べた結果についても話しました。
私の主人は良くも悪くも、息子の発達障害についての事で意見しません。
いつも幼稚園の教諭の話を聞きに行くのは私ですし、施設について調べたり、問い合わせたりするのも私です。
それは、私を信頼してくれているからだと信じています。
実際に民間の療育施設の見学に伺う際には同行して話を聞いてくれましたし、通わせるかどうかの決断の時には、ちゃんと意見を持っていてくれました。
そして、息子は民間の療育施設に週2日通うことになりました。
その決め手は、正直私の意見が強かったかもしれません。
その施設の施設長の方は女性で、息子が診断を受けて戸惑っている私たち夫婦に明るく寄り添って下さり、話を聞き、何気なく導いてくれるような印象を受けました。
その教室での最初の療育は、施設長の女性による、現在の息子の知能や状態等をみて、支援計画をたてる為の時間でした。
そして、その結果と支援計画の話を伺って、私も主人も安心しました。
私たち夫婦が思う息子の現況をしっかり理解し、その目指す方向性も、私たち夫婦が求めている方向を一緒に目指せる内容だったからです。
療育センターでの医師の診断に疑念のあった私ですが、その民間の療育施設の施設長に何気なくした疑問への回答が、私の気持ちを変えました。
施設長は、うちの息子を「おとなしい子」と評しました。
しかし、私は息子を常々落ち着きのない子だと思っていました。
というのも、息子は体操教室に通っているのですが、他の子どもが大人しくしている横で、教室の中を走り回っているのです。
しかし、施設長は私に訊きました。
「いつも走り回っていますか?」
厳密に言うと、いつもどんな時もというわけではなく、体操の先生が
「ここに座って待ちましょう」
と椅子を用意して指示すれば、大人しく椅子に座って待っています。
「ルールを定めてあげると、そういった子はとても従順です。おそらく、走り回っている時は、先生が椅子を用意してない時なのでは?」
「順番を待つ時には椅子に座って待ちましょう。みたいに、こういう状況の時には、こうしましょう。という道すじを教えて学ばせてあげれば、社会に出ても戸惑いや、つまずきは少なくなるんですよ。私たちは、そういう道すじを身に付けるお手伝いをしてます。」
その言葉に私はハッとしたのです。
息子は、確かに先生からのルール付けされた指示に背いて走り回ったりはしていませんでした。
そして、その施設長の言葉にハッとした理由は、もう1つありました。
私自身も、今の息子と同じなんだと気付かされたからです。
つまり、私がもし息子と同じ時代に生まれていたら、おそらく息子と同じ診断を受けていただろうと思ったのです。
私は普段から「こういう時は、こうするべき」という過去の経験という、頭の中の膨大なメモを頼りに行動しています。
そんな自分に気付いたのはごく最近ですが、感じるままに即座に行動する人よりも、私は過去の経験という頭のメモから、最適な行動・言動の答えを探す時間がある分、行動に移すまでワンテンポ遅い事に気付いたのです。
そのため、自分は感情が欠如しているとずっと思っていました。
困っている仲間を心から助けたいという気持ちがあれば、自然と感覚的に行動が起こせるはずのところ、私は頭で考えて行動しているということは、思いやりに欠けるのだと思ったからです。
しかし、そうではなかったのです。
私はこれまでの経験から得た行動の道すじを、頭の中に膨大なメモとして蓄え、生きてきただけで、感情がないわけではなかったのです。
私は自分の欠点を、いつの間にか自分なりの工夫で乗り越えてきただけ。
施設長の仰るような、「道すじ」を私は自分で自分に与えてきていただけだったのです。
この事から分かるのは、もしかしたら息子も療育を受けなくても、私と同じように自分なりに工夫をして自分なりの道すじを得ていく事は出来るのかもしれません。
しかし、幸運にも息子は3歳という年齢で、周囲の大人からの細やかな目配りによって、その苦手を気付いてもらいました。
私は自分が苦労したとは感じていませんが、今から振り返れば、もっと上手に、もっとスムーズに、もっと楽に生きてくる事も出来たかもしれないと感じます。
そういった感覚もあり、息子にはこれからやってくる小学校生活を初めとする社会において、本来なら排除できる初歩的な苦労を味わうことなく、スムーズに挑んでいける土台を一緒に作っていってあげたいと考えました。
改めて自分自身を見つめ理解できたことで、現在の息子を理解してあげられる、息子にとって一番身近な理解者は自分なのだと悟りました。
これから、息子と共に私も成長していくことができるかもしれません。
これは、とても恵まれた環境と捉え、前向きに進んでいきたいと思っています。