療育教室の集団での療育のカリキュラムを受ける際は、部屋の外から見学させて頂くのですが、毎回つくずく感じるのは、療育の先生方の辛抱強さです。
私自身が短気だから、そう感じるのかと思っていましたが、温厚な主人も同じことを感じていたようなので、やはり専門的な知識を持って子どもたちに接していらっしゃる先生方は凄いなと思います。
子どもたちが、それぞれ好き勝手な行動をしたり、発言をしたり、全員が揃って静かに先生の話を聞いている場面は、約1時間の療育の時間の中でも、皆無に等しいです。
そんな中でも、穏やかに笑顔で諭し、それぞれの自己中な発言にもリアクションする先生の姿には、本当に頭が下がる思いです。
私だったら、わりと早い段階で鬼になってると思います。
そこが、自分の未熟さと分かっていますが、理想の形までは程遠く、なかなか成長できないというのが現実です。
しかし、集団での療育で求められている部分の中には、他のお友達とのコミュニケーションや、その環境下でも先生の指示をしっかり聞けているか、という点があるようです。
観察していると、先生がお話ししている最中に子どもたちで話し出す場面もありますし、先生のお話しの中から話題が広がって、それぞれの子どもたちから色々な意見が出たりします。
「子どもたちが余計な話ばかりしてて物事が全然進められない」
という意識で私は見ていましたが、あれは大切なコミュニケーションの場面であって、決して「余計」ではなかったのです。
しかも、騒がしくしている子どもたちですが、全く集中できていないわけではなく、要所要所で何だかんだ先生の指示を聞いていて、カリキュラムの進行には支障が出ていませんでした。
それで良いのだそうです。
どうしても、静かに良い子にしている事を親としては求めがちですが、大きな声で発言したり、自分の意見をお友達にぶつけることは、静かにしている事より大事な事なのかもしれません。
全く集中できない事は問題ですが、要所で集中したり、耳を傾ける事ができているという事は、自分の中でメリハリがつけられていると考えれば、それも成長なのかもしれません。
大人の価値観や物差しで子どもを測ることはナンセンス。
今回は、それに気付かせて頂いたように思います。