とても今回の東北沖太平洋地震にはおよびませんが、地震とわたしについて記載します。 やはり、地震は、小さいながらも、私の人生に影響を及ぼしています。最初に地震という言葉が私に、なんらかの影響を与えたのは、母の話でした。 母の父親は、どちらかというと、おぼっちゃんで若い頃、東京に出て郵便局で働いていたそうです。しかし、あの関東大震災に出会い、命からがら逃げ戻ってきたそうです。想像力が豊か?な私は、もしも、関東大震災がなければ、又は、おじいさんが遭遇していなければ、私は生まれていないのだから、なんだか とても複雑な気分になりました。もっとも、運命は結果だけが事実で、それを決定する要因を客観的にみることが不可能に近いことは、今回の地震であきらかです。 私は避暑地で有名な軽井沢の手前の手前で、街道の分岐点や からっ風(かかあ殿下?・・・昔紡績業~糸をつむぐこと、が盛んで女性が逞しく稼いでいたため)で有名な高崎の大学を卒業して就活のとき、祖父のことが頭にあって故郷にもどりました。(もとも公立でそこそこの大学ですが、あなたも知らないように、九州では無名で就活はさんざんでしたが・・・)福岡県はユーラシアプレート?(大陸のプレートに最も近い地域にあり、太古から文化も栄て2千年の都で ここが本当の日本の中心だという気持ちで暮らしていて、地震という言葉すら、ここでは死語とさえおもってました。 *・・・その時、わたしは 道路にいました。道路が浪打ち、おばあさんが「なに!なにこれ!」と叫んでいました。私は、大きな惑星が突然 地球に衝突して、これが地球の最後の場面なんだとおもいました。最後とは、案外こんなもんなんだと納得したりしていました。それが、福岡西方沖地震?でした。その日から1年くらい震度!~3の余震がありました。その程度の余震は、町なかでは、わからない位ですが、私の部屋からは海が見えて、震度1でも ド~ンと海が鳴り、寝ていると とても不気味な状態がながく続きました。 その時、「地震」という言葉が本当になっかたというか福岡で体験した記憶がなかったのだから、地震とは 本当に思わぬ時にやってきます。本州のみなさんは、なおさらだとおもいます。それにしても、雪解けころにおおきな地震が多いような気がするんですが・・・地面が緩んできたときという考えは少し、いや あまりに素人考えすぎますね・・・失礼しました、わすれてください。 最後に、お金ないけどどこかで支援金、入れるので実感がない方も、いつどこで地震等に遭遇するかわからずまたその確立は決して低くないのが現実ですから、一緒に細やかながら、支援をお願いします。
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