たまには音楽のことも書きますかね。
ちょっと長くなりますので、何回かにわけて書きます。
ワタシがドラムを始めたのは15歳(中学3年)の時でした。
それまでは小学校の頃1年程ピアノを習い、中学に入ってからギターをやったりしましたが、よくあるパターンで「F」のコードが押さえられなくて挫折(笑)
中学3年生の時、「文化祭でバンドをやろう」という、これまたよくある話しになり、当時YMOが好きだったので、坂本龍一に憧れ「じゃオレはキーボードをヤル!」と。しかし、後から入ってきた女の子の方が当然のように上手だったので、敢えなくキーボードの座を奪われました。
「じゃ、ドラムいないし、ドラムやれば?」と言われ、渋々ドラムをやることに…
家のオーディオで曲を聴きながら、写真を見つつ、「このチチチ…は右手で2枚重ねのシンバルね」、「ダッ!は左手でこの小太鼓ね」「ドン!は右足で踏むわけね」とかイメージしながら、ミシンの椅子を叩いてました。
いざ学校で初の練習!となり、学校にあったドラムを「あれ?これは逆?」とか言いながらセットし、家で練習したようにやってみると…「おお!レコードと同じリズムだ!すげぇ、こりゃオモロい!」となったワケです。
で、文化祭ではYMOとビートルズの曲を3曲ほどやり、メチャメチャ緊張しながらも、その緊張感がまた病み付きになっていました。
それから受験勉強をしなくてはならない時期に、ワタシはドラムのカタログを眺め、ピカピカに輝くドラムセットに座り、観客の喝采を浴びることを想像する毎日…
ドラムのカタログを見すぎで、受験勉強の代わりに細かいパーツに至るまでの全ての値段しか覚えられなかったものの、奇跡的にも何とか希望の高校に入ることが出来ました。
高校に入り、FMで録音したTOTOやJOURNEYなどの洋楽、RCサクセション、彼女から貰ったオフコースのテープなどを聴き、RCサクセションのコピーバンドを始めました。
さすがに家にあるミシンの椅子はボロボロになり、密かにため込んだヘソクリで中古のスネアドラム&スネアスタンドを購入し、楽器屋のスタジオに出入りを開始…たまたま楽器屋(電気店と併設)の店頭でオフコースの解散ライブのレーザーディスクを見て、「お~格好いいなぁ…ドラムの大間さんって人、秋田出身なんだぁ…へぇ~」と、楽器屋に行くたびにオフコースのライブを見てました。
そんなある日、楽器屋の店頭に「ドラムセット中古 10万円」との張り紙を発見。PearlのBXシリーズという、なかなかマトモなドラムセットです…眩いばかりのピカピカのドラムが欲しかったのですが、色が木目の渋いドラムだったので、「ちょっと違うんだよなぁ~」と思いながらも、結局入学祝いで頂いたお金で購入。
バンドと掛け持ちというか、実はテニス部にも入っていたのですが、余りにドラムが楽しくてテニス部を退部。
さすがに今ではウチでドラムを叩いたら「騒音オジサン」になってしまいますが、当時ウチの回りにはまだあまり家が建っていなかったこともあり、家でドラムを叩きたいと…親が近所を廻って「ウチのドラムスコが迷惑掛けますが、何卒…」とお願いし、1日30分だけ叩けることになりました。
しかし、もっと叩きたい…ということで、学校で合法的に好きな音楽が出来る「フォークソング同好会」に入りました。
3年生になると、もはや我々の天下。好きな曲を演らせてもらいますゼ!と、「どこがフォークソングなの?」という状態に…(笑) さすがにマズイよねぇ~ということで、かなり無理して「かぐや姫」とかもやってました。
そしてこの頃から、大きな勘違いをするようになっていたのです。
「プロドラマーになる!ってか、オレならなれる!(笑)」
秋田にいて「プロドラマー」になれるワケがない。とすれば、「オラ東京さ行ぐだ!」でしょ。
親に話すと「お前…アホか?」と(笑)当然ですわなぁ~
となると、まずは東京に出るとなると「勉強嫌いだけど、進学すれば良いか」と。
あ~、めっちゃ長くなってる…今回はここまで。
次回予告:「オラ東京さ行ぐだ!」です。お楽しみに…って、別に楽しくもないか(笑)