「街道・・」

日記等

「街道・・」  715  (まほろば)

2015-05-29 21:28:44 | 日記

まほろば  ゆたかさ 「北のまほろば」街道をゆく 41(1994)

 

司馬さん青森県を歩いて 飢饉(ケカチ)と極寒のこの地方 縄文時代は まろやかな盆地で

山波にかこまれ 物成りがよく気持ちのいい野・・まほろば だった

     

     

山や野に木の実がゆたかで 三方の海の渚では魚介がとれる 走獣も多く 身をよじるようにして

サケ・マスがやってくる

人々は自然の恵みを謳歌し交易も頻繁に行われ この採集生活も武士が勃興したことで崩れ

コメ(通貨)を中心に武士が囲い込み 不作 飢饉の年も他村への散逃を許さず・・悲惨な時代続き・・

  供養塔    

 

青森市内 4500?年前の「三内丸山遺跡」(1994・7・16)発見 司馬さん訪れ  まほろばらは  あった 

                2000年特別史跡指定

          青字 街道をゆく より

 

 

 


「街道・・」  714  (はだしのゲン)

2015-05-28 08:04:21 | 日記

図書館で手にした漫画「はだしのゲン」少年マガジン(1978連載)

  

太平洋戦争敗戦濃くなった昭和20年広島市から物語りは語られ

漫画により戦争の悲惨さ 残酷さ(沖縄の惨事 市民十万人 日本軍十万九千人)知り

爆撃機の飛ぶ時代 本土決戦に備え竹ヤリの訓練 この時代の大人理解できない

    

漫画に描かれている内容1つ1つ 抜粋するのは私の力量では力不足 興味ある方は一読を

ある図書館 閲覧禁止 禁止されると余計見たくなる人間心理理解してない 私含め大人の人々

現政府 なんとか法案 口に泡飛ばし喚いているけどけ 彼等は決して紛争地帯に行かない てこと

先の戦争も犠牲者は一般人 忘れてはならない

 

「霜柱をおしのけて 冷たい冬に 芽をふいた麦は なん回もなん回もふまれる

ふまれた麦はたくましい根を大地にはって 霜や風雪にたえ大きく まっすぐにのび

やがて ゆたかな穂をみのらせていく」

                                                                       「はだしのゲン」序文に描かれている(麦の芽を踏みつける)箇所 忘れられず転記しました

 


「街道・・」  713  (投入堂)

2015-05-26 09:28:39 | 日記

鳥取県東伯郡三朝町 三徳山(みとく) 投入堂  山陰 鳥取砂丘から国道⑨西へ

気高町から地方道32南下→地方道21号→吉原経て山中に入ると突然右側に石段 三徳山

新緑に抱かれた駐車場から石段目指し徒歩数分 石段登ると最初の建物 皆成院(かいじょう)

振り向くと大きな谷 新緑の世界 二つ目の石段経て本殿 

   

礼拝者少なく 本殿パスし奥の院「投入堂」へ  カズラ坂(剥き出した木の根) 木の根抱きつき

岩乗り越え 滑り落ちないように這いながら クサリ坂のぼり 息切れ 文殊堂 回路より絶景眺め休息 

 ←クサリ坂登ると 文殊堂→地蔵堂→鐘桜                                                                                                                                        「投入堂」まで更に続く 馬の背 牛の背 剥き出した大岩 急坂 危険 女性落伍者多し 

  

逸話 昔々 「役行者お堂を手のひらに乗るほどに小さくし掛け声と共に絶壁にある岩窟に投げ入れた」

遥か頭上 投入堂 やれやれ  

昭和60年(因幡 伯耆のみち) 司馬さん 三徳山 訪れ初めの石段登り 息切れ・・

須田画伯は健脚ですらすら登ってゆく 「須田さんこれ以上は 怠けましょう」

絵ハガキ など扱う売店「皆成院」に須田さんのそでをひいて

「豆腐」の文字 木綿豆腐注文 

生醤油をかけて食うだけのものだが 大豆の蛋白質のかおりがゆたかで じっにうまい

「上等です」画伯は 大きな鉢に顔を突っこむようにして食べはじめた

司馬さん一行 本殿礼拝せず  遥拝し 引き返して米子へ (青字 街道をゆく より)

         

帰路 毘沙門岩から三徳山振り返ると遥か彼方に 「投入堂」

 

 

 


「街道・・」  712  (赤牛・黒牛)

2015-05-21 09:24:36 | 日記

再度 梼原 街道をゆくで度々記載される 棚田

山を潰し石を砕き・・猫の額ほどの棚田を作り・・「万里の長城にも匹敵する人類の大遺跡」

 棚田の下はトンネル  須田画伯 トンネルの上は千枚田(左写真)

梼原千枚田「(1972)新聞紙を一枚一枚 田に置いていったら五百1枚だった」 

司馬さんが訪ねたとき(1985)「二百数十枚にまで減ってきていた」

  

千枚田見学後 梼原県境 姫鶴平(山頂)に放牧されている牛が高知県は赤牛 愛媛県 黒牛

ほんとうかいな?疑心暗鬼 確認すべく 梼原から姫鶴平へ 四国カルスト台地 霞も晴れ

  確かに確認しました  

 須田さんの絵(写真上手く写せず 赤牛 黒牛 描かれています)

 

↑ 須田剋太   (小画像 クイック)   ※ 青字 梼原街道から ※


「街道・・」  711  (御母衣の櫻)

2015-05-18 21:44:49 | 日記

昔話 富山県見学から悪餓鬼3人組(R156)南下中 夕闇迫り靄(もや)発生 暗黒の世界

仲間の一人闇の中に(不気味な建物がある ) ドキ 3人顔見合わせ・・黙殺

時間も時間だし無理な運転止め 軽車中 泊 不気味な建物?忘れ 疲れもあり熟睡

  目覚めると目の前に石の体積物?(ロックフイルダム) 

坂道上がると大きな湖(御母衣ダム)ダム見学し帰宅 不気味な建物話題封印

  

ミボロ この地名後年NHK・TV ダムの底に埋没する桜の木 移植記録

ダム建設事業主 2本の巨大桜失うのを惜しみ 桜研究家 笹部新太郎氏に移植依頼(1960)

1961年春 桜の活着に成功 (検索によると笹部氏留守の時 他の桜研究者 あまりにも巨木なため

可能な限り 枝 根を切り落とし・・) 水没村から移植地まで500メートル 

筵(むしろ)で丹念に木を巻き鉄橇(てつそり)に載せ

2台のクレーンで枝を持ちあげ ブルドーザーでひきずり 悪戦苦闘の記録 延べ人数440人

   

過日のブログ 清水の桜「櫻守」水上勉小説の中に 荘川の櫻 

桜移植者の名前が竹部になっており 小説の面白さ?移植詳しく書かれています

 

「ゆくほどに道路の右側に突然 空間がひらけた 空間が すべて水でみたされているのには

おどろいた・・」「御母衣の山里の家々も 墓も湖底にある・・満月の夜など・・水面まで

ざわめき出てきて世にあるひとびとと語らいをしたいと騒ぐのかもしれない」街道をゆく「郡上・白川街道と・・」

 

白川郷 好きな風景の1つ 不気味な建物?白川郷の集落のこと?(当時「合掌造」知らず)