人間は誰も皆、一人では弱いものだ。
私もそうだ。はたまた小泉首相だって、あるいはボブ・サップだって、一人きりでは弱い。いくら権力があろうと、腕力があろうと、財力があろうと、誰にも頼らず一人きりで生きていくことなんて、誰にもできない。
逆に言えば、小泉首相は自民党員や人口×政権支持率という後ろ盾があるからこそ強いのであり、ボブ・サップはファンや試合を開催してくれるスタッフがいるおかげで強いのである。
俗に「女は弱し、されど母は強し」と言う。
女性蔑視や、子供を産まない・産めない女性を差別しているわけではない。「女」つまり一人の人間としては弱いけれど、子供という別の人間との関わりが生まれれば、その状況に応じて強くなる・なれるという、そのままの意味だ。
だから別に「母」でなくとも良い。「女は弱し、されど妻は強し」でも良いし、「されど彼女は強し」でも通じる。「されど娘は強し」にすると、頷いてくれる親達も多そうな気がする。
当然のことながら、これは男性にも言える。
「男は弱し、されど父は強し」であり、「されど夫は強し」であり、「されど彼氏は強し」である。まとめれば「男は弱し、されど女の前では強し」ということだが、実際は「強し」ではなく「強がりたし」にしか過ぎないかも知れない。(笑)
まあ男性の場合には、どちらかというと「仕事をしている男は強し」かも知れない。仕事場という現代の「戦場」で、戦友という他者と協力する、または敵という他者を排除する、そうやって他人との関係の中でだからこそ、強くあれる。
それだけのことだ。
ときどき「他人はどうでもいい、金のために働いている」という人もいるが、大きな勘違いだ。
金とは何か。
現代社会の根幹をなす、万人に共通のモノサシだ。
つまり「自分と他者に共通するモノサシ」だ。
本当に自分だけのためならば、他人にとってまったく価値を持たないもので良いはずだ。
小さな子供が、ただの石ころを大切に持っていたり、薄汚れて壊れかけた人形を大事にしていたりする。他人にとっては価値が無いが、当人にとってだけは重要な意味を持つ。そんな感じで良いはずなのに、何故わざわざ金を欲しがるのか。
金が多くあるということは、「他人よりも金を多く持つ」ということであり、「他人が値段を決めたものを多く買える」ことである。
口では「自分のため」と言いつつも、皮肉なことに、逆に他人が決めた価値観に支配されている(しかも自身は気付いていない)状態なのである。
話を戻すと、今の私は、他者との関係の中で、まだまだ弱い。
他者との関係の中で、もっともっと強くなりたい。
だから、今以上に他者と関わりたい。
私に関わってくれる人のことを、大切に思っていたい。
酔った勢いで戯れ言を書き連ねてしまったが、この気持ちが、ほんの一部分だけでも伝わって欲しいと、切に願う。
…実は明日になったらすっかり元の状態に戻っていて、本当に酔っぱらいの戯れ言に終わったりしてな。w
今の自分の感情が、怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、悔しいのか、情けないのか、自分でもよく分からないのだが、とりあえずこのモヤモヤしたものを抱えたままで、今日は寝る。
私もそうだ。はたまた小泉首相だって、あるいはボブ・サップだって、一人きりでは弱い。いくら権力があろうと、腕力があろうと、財力があろうと、誰にも頼らず一人きりで生きていくことなんて、誰にもできない。
逆に言えば、小泉首相は自民党員や人口×政権支持率という後ろ盾があるからこそ強いのであり、ボブ・サップはファンや試合を開催してくれるスタッフがいるおかげで強いのである。
俗に「女は弱し、されど母は強し」と言う。
女性蔑視や、子供を産まない・産めない女性を差別しているわけではない。「女」つまり一人の人間としては弱いけれど、子供という別の人間との関わりが生まれれば、その状況に応じて強くなる・なれるという、そのままの意味だ。
だから別に「母」でなくとも良い。「女は弱し、されど妻は強し」でも良いし、「されど彼女は強し」でも通じる。「されど娘は強し」にすると、頷いてくれる親達も多そうな気がする。
当然のことながら、これは男性にも言える。
「男は弱し、されど父は強し」であり、「されど夫は強し」であり、「されど彼氏は強し」である。まとめれば「男は弱し、されど女の前では強し」ということだが、実際は「強し」ではなく「強がりたし」にしか過ぎないかも知れない。(笑)
まあ男性の場合には、どちらかというと「仕事をしている男は強し」かも知れない。仕事場という現代の「戦場」で、戦友という他者と協力する、または敵という他者を排除する、そうやって他人との関係の中でだからこそ、強くあれる。
それだけのことだ。
ときどき「他人はどうでもいい、金のために働いている」という人もいるが、大きな勘違いだ。
金とは何か。
現代社会の根幹をなす、万人に共通のモノサシだ。
つまり「自分と他者に共通するモノサシ」だ。
本当に自分だけのためならば、他人にとってまったく価値を持たないもので良いはずだ。
小さな子供が、ただの石ころを大切に持っていたり、薄汚れて壊れかけた人形を大事にしていたりする。他人にとっては価値が無いが、当人にとってだけは重要な意味を持つ。そんな感じで良いはずなのに、何故わざわざ金を欲しがるのか。
金が多くあるということは、「他人よりも金を多く持つ」ということであり、「他人が値段を決めたものを多く買える」ことである。
口では「自分のため」と言いつつも、皮肉なことに、逆に他人が決めた価値観に支配されている(しかも自身は気付いていない)状態なのである。
話を戻すと、今の私は、他者との関係の中で、まだまだ弱い。
他者との関係の中で、もっともっと強くなりたい。
だから、今以上に他者と関わりたい。
私に関わってくれる人のことを、大切に思っていたい。
酔った勢いで戯れ言を書き連ねてしまったが、この気持ちが、ほんの一部分だけでも伝わって欲しいと、切に願う。
…実は明日になったらすっかり元の状態に戻っていて、本当に酔っぱらいの戯れ言に終わったりしてな。w
今の自分の感情が、怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、悔しいのか、情けないのか、自分でもよく分からないのだが、とりあえずこのモヤモヤしたものを抱えたままで、今日は寝る。
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