心は秘密

仏心に住して菩薩のように語るブログ

医療従事者の悲痛な声

2020-07-07 17:44:37 | 日記
東京都のコロナ感染者数が五日連続の100人超えというニュース。第二波が懸念される中、医療従事者の三割近くがうつ状態という現状も伝えられている。


この現状を伝える一例として、アメリカの医療従事者の悲痛な声が、TVで放映された。コロナ重症患者の治療に当たりながらも、自分への感染を恐れ、精神的パニック状態に陥って、「もう、以前の自分に戻ることはできない」と述べ、更に「もし第二波が来たら、もう自分を支えきることすら出来ないだろう」とも語る。


伝えるところによると、これは戦場の兵士にもよく起こる状態であると。それは分かりすぎるほど能く分かる理だが、これは、人間が「己に打ち克つ」ことの難しさを如実に伝える話なのだ。


特に様々な病症の患者に接しなくてはならない医療従事者が、感染したら自分の生命にも危険が及ぶという今回の場合を考えれば、戦場の兵士の場合と、その条件が似ている。


この二者に共通して要求されるのは、精神問題として最大級の困難さを伴うところの、「己に打ち克つ」という解脱修行なのだ。


仏教を学んだ人は多いと思うが、とことん解脱ができた人というものには、なかなか出会い難いのではなかろうか。


再び拙著『悟りの杖』(山本玄幸)の内容紹介で恐縮だが、この書は唯ひたすら「解脱」を説いていて、その解脱は「完全解脱」だから、これを成就できれば、釈迦如来じゃないけれど、「わたしには怖いものなど何一つとして無いのだ」と、釈迦如来と同じような言葉が、自ずと口から出そうになること請け合いです。とは云うものの「完全解脱」と聞くと、何やら難しそうと思うでしょうか。勿論「易しい」とは云いませんが、仏が「一切衆生悉有仏性」(すべての衆生には悟りの性質がある)と説いているのです。「悟れない人はいない」と信じて励みましょう。


と、ちょっと付加記事も要したけれど、うつ状態に陥りそうな医療従事者の方や、戦場の兵士の方々にも、「己に打ち克つ」完全解脱の成就を願って止まないのです。勿論完全解脱の功徳は、自身の死に打ち克つだけのことには留まらず、あらゆる煩悩の誘惑だって、思いのままに打ち消して、日々是好日の幸せ生活を約束してくれたりもするのです。


【無我の壁を破る】

2020-07-06 15:15:19 | 仏教
無我というのは仏教用語の一つですが、これはどういう意味かと云うと、此の世というものは常に移り変わり、人々もまた生まれたからには、やがて去って逝かねばなりません。それでも人は、此の世を懸命に生きて働き、老いや病などで世を去って逝くのです。その一生は身体と共に有ります。若くて伸び盛りの頃には、色々と将来の夢を膨らませます。しかし、その夢は身体的能力によって制限され、どんな夢でも叶うというものではありません。また大きな仮我をすることも有るかも知れません。回復困難な病を発症するかも知れません。そのような突発的事故によって、人生行路の変更を余儀なくされる場合もあります。それは悲しく、また苦しいことです。


このように人の心は常々、身体的条件に左右されますが、身体的条件はまた気象状況や交通事情などの外的条件にも影響を受けて、定まるところがありません。つまり物事の主導権は、心よりも身体的条件に移っていて、心は身体的条件に踊らされている影のような格好です。このような因果の流れを、仏教では「色は無常、無常なら苦、苦なら無我」と説いています。


このような因果の流れから知られる「無我」、これが私たちの心の現状であれば、私たち、即ち心は、身体に縛られて自由の効かない状態だということが分かります。この状態の心は、身体が病むと共に病み、老いると共に老い、死ぬと共に死ぬということです。


そこで仏教では、この生死に翻弄される心を、不死の境地へと救い上げる法を説いたのです。その法に曰く、「無我を殺せば真我ば得られる」と。「真我」とは「如来」のことです。


この「無我を殺して真我を得る」というのは、解脱の法です。解脱が出来れば、あなたも如来です。この「解脱」に特化して法を説いているのが、【『悟りの杖』(山本玄幸)】です。是非読んでみてください、時間を掛けて「ゆっくり」と。正しく云うと、この書は「読む」本ではなく「実践」する本です。一度や二度では、なかなか解脱はできません。でも解脱できれば、あなたも釈迦如来と同格です。こういう説き方をした書は、他には無いと思いますから、「解脱できれば儲けもの」と思って、懸けてみませんか。解脱が成ったときには、「我は金剛心に成れり」と実感して、世に怖いものが無くなります。何たって「不死の境地」ですから。