識について
大乗入楞伽経(だいじょうにゅうりょうがきょう)巻第七偈頌品(げじゅぽん)十の二
諸々の果報を変起するを、諸識及び意と言う
意は頼耶より生じ、識は末那に依って起る
頼耶の諸心を起こすは、海の波浪を起すが如し
習気を以て因と為し、縁に随って生起す
刹那の相の鈎鎖は、自心の境界とを取りて
種種の諸々の形相とし、意根等の識生ず
無始の悪習に由り、外境に似て生ずれども
所見は唯自心のみ、外道の了する処に非ず
彼を因として彼を縁じ、而して余識を生ず
是故に諸見を起こして生死に流転す
諸法は幻夢、水月、焔、乾城の如し
当に知るべし。一切の法は唯是れ自らの分別なり
正智は真如に依って、諸々の三昧を起こす
如幻首領厳、是の如き等の差別
諸地に入ることを得て、自在及び神通なり
如幻の智を成就すれば、諸佛其の頂に灌ぎたまう
世間の虚妄なるを見、是時心は依を転じて
歓喜地諸地、及び佛智を獲得す。
既に転依を得已れば、衆色の摩尼の如く
諸々の衆生を利益せんと、応現すること水月の如し
有無の見、及び倶不倶を捨離し
二乗の行を越え、亦第七地を超ゆ
自ら内に法を現證して、応に説くべし、是れ大乗なりと
解脱の法門を説き、兎角、摩尼の如く
分別を捨離して、死及び遷滅を離る
教は理に由るが故に成り、理は教に由るが故に顕れる
当に此の教理に依りて、更に余の分別をすること勿るべし。
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