一粒の種が、土に落ちた。大雨が降った後、種は柔らかい芽を出し、根はゆっくりと種の下にある土の中に入っていった。やがて、激しい雨風に負けず、変わる季節の中で、月の満ち欠けとともに、その芽は伸びていった。夏には、芽が激しい暑さに耐えられるように土が水を与えた。その芽は、土のおかげで暑さを感じなかったので、夏の暑さの中で生き延びた。冬になると、土は芽を暖かく包み込み、土と芽はしっかりと抱き合った。そして、土の温かさのおかげで、芽は厳しい冬を生き延び、吹雪の中でも無事であった。芽は、土に守られ、立派に伸びてゆき、幸せであった。芽は、土が与えた無私の育みにより、高く立派に伸びていった。芽は幸せに伸びていった。芽は、雨が降ると雨音と共に歌い、風が吹くと風に合わせて揺れ、踊った。こうして、芽と土はお互いを頼りにしていた。
それから長い年月が過ぎ、芽は大樹へと育った。その木は太い枝を付け、その先には無数の葉を付けて、土の上に力強く立っていた。その木の根は以前と同様に土に入っていたが、土の中に深く根ざしていた。芽を保護していた土は、力強い木の基礎となった。
日光が木に降り注ぐと、木の幹が揺れた。木は、枝を広げて、光を深く吸収した。木の下にある土は、その木と息を合わせて呼吸し、若返ったように感じていた。その時、新鮮な風が枝の間に吹き込み、木は楽しそうに揺れ、活力に満ちていた。こうして、木と日光は、互いを頼りにしていた。
人間は涼しい木陰に座り、さわやかでかぐわしい空気の恩恵に与った。空気は人間の心臓や肺、血液を清めた。人間は疲れや負担を感じなくなった。こうして、人間と木は、互いを頼りにしていた。
鳴き鳥の群れが木の枝に留まって鳴いた。鳴き鳥の群れは、おそらく敵から身を隠していたか、繁殖して雛を育てていたか、あるいは少し休憩していたのであろう。こうして、鳴き鳥と木は、互いを頼りにしていた。
木の根は曲がりくねって絡み合い、土の中に深く根ざしていた。木の幹は土を風雨から守り、大きな枝を伸ばし、その下の土を守っていた。なぜなら、土は木の母だからである。木と土は共に生き、互いを頼りにし、決して離れて暮らすことは無かった。
種など、今述べた物は、全てあなたがたが以前に見たことのあるもので、知っているものである。種が木に成長する過程は、あなたが詳細に観察した事の無いかも知れないが、それが事実であることは知っているであろう。(その通りである。)土と日光は知っているであろう。鳴き鳥が木に留まっている光景は、全ての人間が見たことのあるものであろう。(その通りである。)また、木陰で涼む人々も見たことがあるであろう。(見たことがある。)それでは、こうした物がひとつの構図に含まれている場合、あなたがたは、どのように感じるであろうか。(調和を感じる。)この構図に含まれている物は、全て神がもたらしたものであろうか。(神がもたらされたものである。)これらの物は神によりもたらされたものなので、神はこうした物が地球上に共存していることの価値や重要性を知っている。神が万物を造った時、それぞれの物について神には計画があったので、神が造った物それぞれが神の心を示し、神は造った物それぞれに命を吹き込んだ。神は人間の生活環境を造ったが、それは今話した物語でも述べられている。この物語では、種と土との相互依存関係、すなわち土が種を育み、種は土と結びついていることが述べられていた。これら2つの物の関係は、最初の時から神により決められていたであろう。(その通りである。)この光景に登場する木、日光、鳴き鳥、そして人間は、神が人間のために造った生活環境の一例ではないだろうか。(その通りである。)まず、木は土から離れることが出来るだろうか。(出来ない。)木は日光無しで生きることが出来るだろうか。(出来ない。)それならば、神が木を造った目的は何であろうか。それは土のためだけであると言えるであろうか。それは鳴き鳥のためだけであると言えるであろうか。それは人間のためだけであると言えるであろうか。(言えない。)それらの物同士の関係は、どのようなものであろうか。それらの物同士の関係は、お互いから離れることが出来ない、一種の相互依存である。土、木、日光、鳴き鳥、そして人間は、相互に頼り合って生活し、お互いに育み合っている。木は土を守り、土は木を育み、日光は木に与え、木は日光から新鮮な空気を作り出し、土を日光の熱から守っている。最終的にこうしたことの恩恵を受けるのは、何であろうか。こうしたことから利益を受けるのは、人間であろう。(その通りである。)そして、これは神が人間の生活環境を造った理由の背景にある原則のひとつであり、またその当初の計画のひとつでもある。これは単純な描写であるが、神の知恵と意図を見出すことができる。人類は土や木、鳴き鳥、日光なくしては、生きられないであろう。これは物語であるが、神の宇宙創造の小世界であり、人間に対する生活環境の授与である。
神は人間のために天と地、万物を造り、そして生活環境も造った。まず、この物語で述べたことの要点は、万物の相互的関連性と、相互依存である。この原則では、人類の生活環境が保護されており、存続する。この生活環境の存在のため、人類は繁栄し、子孫を残すことができる。この物語では、木、土、日光、鳴き鳥、人間が登場する。この物語には、神が存在したであろうか。人間には見えないかもしれない。表面的には、神が不在であると思われるが、人々は、この物語に物同士の相互関連性の原則が存在することが分かるであろう。人間は、この規則によって、神が存在し、神が支配者であることを理解できる。そうではないか。神はこうした原則と規則を用いて、万物の命と存在を維持している。神は、この方法により万物や人類に施す。この物語には、ここでたった今議論したことと関連しているであろうか。(関連している。)表面的には関連性が無いように思われるが、実際には、創造主たる神が定めた規則と神による万物の支配は、神が万物の命の源であることと密接に結びついており、不可分な関連性がある。そうではないか。(関連している。)あなたがたは、ちょっとした知識を得たであろう。
神は、万物を支配する規則の主であり、神は万物の存続を律する規則を支配し、また神は宇宙や万物も、共生できるように支配する。神はそれらの物事が絶滅したり消滅したりしないよう、支配するので、人類は存続することが可能であり、そうした環境で神の主導のもとに生活できる。万物を支配するこれらの規則は神の支配権の下にあるものの、人類はその規則に干渉することも、その規則を変更することも出来ない。これらの規則を知り、管理するのは神自身のみである。木々はいつ芽吹くか、雨はいつ降るか、土がどの程度の水と栄養素を植物に与えるか、葉はどの季節に落ちるか、木々はどの季節に実を結ぶか、日光はどの程度のエネルギーを木々に与えるか、日光から得たエネルギーにより木々は何を排出するか、といった事柄は、全て神が宇宙を造った時に決められていることであり、人間が破ることの出来ない律法である。生物も、人間には生物であるとは見えない物も、神により造られたものは神の掌中にあり、神の支配の下にある。この規則を変えたり違反したり出来る人間は居ない。つまり、神が万物を造った時、神は万物がどうあるべきかを定めた。木は土が無ければ根を下ろすことも、芽吹くことも、成長することも出来ない。木の無い土は、どのようなものとなるであろうか。土は干上がるであろう。そうではないだろうか。(その通りである。)また、木は鳴き鳥の住処であり、風から身を守る場所でもある。木は日光無しでも問題無いであろうか。(それは問題となる。)木に土だけしか無かったとしたら、それは木に不適であろう。こうした事は、すべて人間と人間の生活を継続するためのものである。人間は木から新鮮な空気を受け取り、木が守る土の上で生活する。人間は日光や他の生物が無ければ生活できない。これらの物同士の関係は複雑であるが、神は、万物が相互に関連し、依存して存在することが出来るように、万物を支配する規則を決めているということを、人間は明確に理解する必要がある。神が造った物には、その全てに価値と意味がある。神が意味の無いものを造ったとしたら、神はそれを消滅させるであろう。この点は理解できるであろうか。(理解できる。)これは、神が万物を与える際に用いる方法のひとつである。この物語のなかで「与える」とは何を意味するであろうか。神が毎日来て木に水をやっているであろうか。木が呼吸するには、神の助けが必要であろうか。(そのようなことは無い。)ここでは、「与える」とは、神が創造後に万物を管理していることを指す。神が必要としていたのは、全てを周到に機能させるための規則だけであった。木は土に植えられ、独力で成長した。木が成長するための条件は、すべて神により造られていた。神は日光、水、土、空気、周囲の環境、風、霜、雪、雨、四季を造った。これらの物事は木が成長するために必要なものであり、神が用意したものである。それならば、こうした生活環境の源は、神であろうか。(神である。)神は毎日出向いて木の葉の数を数えているだろうか。それは不要であろう。また、神は木が呼吸するのを助ける必要が無い。さらに、神は毎日「木を照らす時間だ」と言って日光を目覚めさせる必要は無い。神は、このようなことをする必要が無い。日光は定められた規則に従って自然に照らして木に降り注ぎ、木はそれを吸収する。この規則の下で、物事はこのようにして生活する。これはあなたがたが明確に説明できない現象かも知れないが、誰もが見たことがあり、認めている事実である。あなたに必要とされるのは、万物の存在に関する規則は神に由来するものであること、そして万物の成長と存続は、神の支配下にあるということを知ることである。これは、神が全ての命の源であるということを証明するものである。
この物語では、人間が言うところの喩えが用いられているであろうか。(用いられていない。)この物語は擬人化されているであろうか。(擬人化されていない。)わたしが述べた物語は、事実である。生けるもの、存在するものは、全て神の支配権の下にある。万物は、神が造った後に命を与えられている。それは神から与えられた命であり、その命は、その命のために神が定めた律法と道に従う。この律法と道を人間が変える必要は無く、人間による支援も不要である。神は、このようにして万物に与える。これについては理解したことと思う。人間はこのことを認める必要があると、あなたがたは思うであろうか。(そう思う。)それでは、この物語には生物学が関連しているであろうか。この物語には、何らかの分野の知識や科学に関連しているだろうか。(関連していない。)ここでは生物学を議論しておらず、ましてや生物学的研究を行っているのでは無い。それでは、ここでの議論の要点は何であろうか。(神が全ての命の源であるということである。)創造物にはどのようなものがあるであろうか。木があるであろうか。土があるであろうか。(ある。)もちろん日光を見たことはあるであろう。木に留まっている鳴き鳥を見たことはあるだろうか。(見たことがある。)このような環境で生活している人間は幸福であろうか。(幸福である。)人間が生活する家屋を維持し、保護するために神が造ったものを、神は全て用いる。そしてそれが、神が人間や万物に与える方法である。
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