いのちの源

こちらはあなたにいのちのマナを提供し、あなたを満腹させ、いのちの源を見つけ、一日も早く主に立ち返るように導きます。

悔いのない青春時代

2020-05-17 19:28:31 | 賛美の心

 「愛と呼ばれるものは、純粋できずのない感情を指し、心をもって愛し、感じ、思いやりをもつ。愛においては条件、障壁、距離がない。愛においては疑念、欺き、悪賢さもない。愛においては距離も不純なものもない。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)神の御言葉のこの讃美歌は、7年4ヶ月にわたる長期の刑務所暮らしの苦痛を乗り切る助けとなりました。中国共産党政府が私の一番美しい青春の年月を奪ったとしても、私は全能神から最も貴重な本物の真理を得たので、不満も後悔もありません。

 1996年、私は終わりの日における全能神の救いを受け入れました。神の御言葉を読んだり集会で交わったりすることを通じて、神がおっしゃってきたすべてのことは真理であり、この邪悪な世界のあらゆる知識や理論と完全に正反対のものだと判断しました。全能神の御言葉は人生に関する最高の格言です。さらに私を興奮させたのは、兄弟姉妹に対して飾ることなく率直になり、何についても自由に話し合えることでした。兄弟姉妹と交わる際は、あとで批判されるのではないか、あるいは裏をかかれるのではないかと恐れて自分を守る必要はまったくありませんでした。私はかつてない慰めと幸福を感じ、この家族が本当に好きでした。しかし、人々が全能神を信じることを国が許していないと聞き及ぶのに、さほど時間はかかりませんでした。この事実に私はすっかり困惑しました。全能神の御言葉のおかげで、人は神を崇拝していのちの正しい道を歩けるからです。人は御言葉によって正直になれるのです。誰もが全能神を信じれば、全世界が平和になるでしょう。私には本当に理解できませんでした。神を信じることは最も義なる取り組みです。なぜ中国共産党政府は全能神への信仰を迫害し、それに反対して、その信者を逮捕までするのでしょうか。中国共産党政府が私たちをどのように迫害しようとも、あるいは世論がどれほど大きくても、これはいのちの正しい道だと私は判断していますし、最後まで歩いていくつもりです。

 

 その後、私は教会で神の御言葉の本を発送するという本分を尽くし始めました。神に抵抗するこの国でそのような本分を尽くすことは非常に危険であり、いつでも逮捕される可能性があることは知っていました。一方、すべての被造物の一部として、神のためにすべてを費やし自分の本分を尽くすことが、人生における自分の使命であることも知っていました。それは回避できない責任なのです。私が自信満々に神と協力し始めた2003年9月のある日、兄弟姉妹に神の御言葉の本を渡しに行く途中で市の国家保安局の人間に逮捕されました。

 私は国家保安局で何度も何度も尋問されましたが、どのように対応すべきかわからずにいました。そこで切羽詰まって神に助けを求めました。「ああ、全能神よ、あなたの知恵をお与えください。そして、私があなたを裏切らず、あなたの証しに立てるよう、話すべき言葉をお授けください」その頃、私は毎日神を呼び求めました。神を捨てるなど思いもよらず、邪悪な警察に対処できるよう知性と知恵をお授けくださいと、ひたすら神に頼みました。私を見守り、保護してくださる神を讃えます。尋問を受けるたび、唾が出るか、しゃっくりが止まらなくて、話すことができませんでした。神の素晴らしい働きを見て、私は決して尻込みしまいと固く決心しました。私の首をはねていのちを奪うことができても、今日私に神を裏切らせることは絶対にできない。ユダのように神を裏切るくらいなら自分のいのちを危険にさらそうと決心したとき、神はあらゆる点において私への「ゴーサイン」をお与えになりました。私が尋問されるたびに神は私を守ってくださり、この試練を穏やかに乗り切らせてくださったのです。私が黙秘したにもかかわらず、中国共産党政府は「法の執行を破壊すべく邪教組織を利用した」として私を有罪とし、懲役9年の判決を下しました。その判決を聞いても、私は神のご加護のおかげで悲しむことも、恐れることもありませんでした。むしろ、私は裁判所の人々を軽蔑しました。裁判官が判決を言い渡していたとき、私は「これは中国共産党政府が神に反対している証拠だ」と、低い声でつぶやきました。その後、公安職員が私の態度をさぐりに来ましたが、私は静かにこう言いました。「9年など何でもありません。出所しても、私は全能神教会の一員のままです。信じられないなら見ていてください。しかし、あなたがたがこの事件を担当したことは忘れないでいただきたい」私の態度は公安職員をすっかり驚かせました。彼らは親指を突き上げて何度もこう言ったのです。「立派、立派!お前は江姐よりも江姐らしい人だ。お前が出所したら再び集まるから、きっと招待してやろう」そのとき、私は神が栄光を得られたと感じ、心の中で満足しました。判決を下されたその年、私はわずか31歳でした。

 中国の刑務所はこの世の地獄であり、長期間の刑務所生活はサタンの真の非人間性と、神の敵となったその悪魔的本質を私にしっかり理解させました。中国の警察は法の支配に従わず、むしろ悪の支配に従っています。刑務所では、警察は人々を自分たちの手で扱わず、囚人たちを暴力に駆り立てることで他の囚人を管理させているのです。また、邪悪な警察は人の考えを抑圧するためにありとあらゆる方法を用います。例えば、新入りの囚人はおのおの特別な通し番号がついた同じ囚人服を着用し、刑務所の要件に従って髪を切り、刑務所が認めた靴を履き、刑務所が許可した道を歩き、刑務所が許可した速度で行進しなければなりません。春夏秋冬を問わず、雨であろうと晴れであろうと、凍えるような寒い日であろうと、囚人は命じられたことをしなければならず、選択肢はありません。毎日少なくとも15回、私たちは集合して自分の番号を言い、中国共産党政府を讃える歌を少なくとも5回は歌わされました。私たちには政治学習もありました。つまり監獄法と憲法を学ばされ、6ヶ月ごとに試験を受けさせられたのです。これは私たちを洗脳することが目的でした。また刑務所の規律と規則に関する知識も抜き打ちで試されました。刑務官は私たちを精神的に迫害しただけでなく、完全に非人間的な態度で私たちを肉体的にぼろぼろにしました。私は何百人もの人々と一緒に狭い工場に詰め込まれ、1日に10時間以上手作業での重労働をしなければなりませんでした。このような狭い場所に非常に多くの人がいて、機械の騒々しい雑音が至るところで聞こえたため、どんなに健康であっても、一定期間そこにいると身体が深刻な障害に苦しむことになります。私の後ろには穴開け機があり、毎日休むことなく穴を開けていました。それが発する騒音は耐え難いもので、私も数年後には重大な聴力障害に悩まされました。今日に至っても私の聴力は回復していません。人々にとってさらに有害なのは工場のほこりや汚染でした。診察を受けた多くの人が結核と咽頭炎に罹患していることが判明しました。さらに、長時間にわたって座りながら手作業をするため、身体を動かすことができず、多くの人が重度の痔になりました。中国共産党政府は金を生み出す機械のように囚人を扱い、人が死のうが生きようが少しも気にしませんでした。囚人たちは朝早くから夜遅くまで働かせられました。私も疲労困憊のあまり体力的に作業を続けられなくなることがよくありました。それだけではなく、毎週の政治学習や手作業、公的任務などに加え、ありとあらゆる抜き打ち試験にも対応しなければなりませんでした。そのため、私は日々極めて不安な状態にありました。精神状態が絶えず張り詰め、少しでも注意を怠れば追いつけないのではないか、刑務官に罰せられるのではないかと極度に緊張していたのです。そのような環境では、安全かつ健全に一日を過ごすことは簡単ではありませんでした。

 刑に服し始めたばかりのとき、私は刑務官によるこの種の残酷な暴虐に対処できませんでした。ありとあらゆるつらい手作業やイデオロギーの圧力のせいで息をするのも困難で、囚人たちと様々な形で接しなければならなかったことは言うまでもありません。さらに、悪魔のような刑務官と囚人による虐待と侮辱にも耐えなければなりませんでした……私は頻繁に迫害され、窮地に追い込まれました。絶望に陥ったことも何度かあり、特に9年間という刑の長さを考えたとき、私は荒涼とした無力感がほとばしるのを覚え、何回泣いたかわかりません。命を絶って自分の置かれたこの苦しみから逃れようと考えたこともあるほどです。極度の悲しみに沈んで自分を支えられなくなるたび、私は切羽詰まって祈り、神を呼び求めました。すると神が私を啓き、導いてくださるのです。「あなたがたは、まだ死ぬことが出来ない。あなたがたは、拳を固めて断固として生き続ける必要がある。あなたがたは神のために生きなければならない。人間が自分の中に真理を備えているのであれば、その者にはこうした決意があり、死を望むことは二度と無い。死の危険が自分に迫った時、あなたがたは「神よ、私は死を望みません。私はあなたを知りません。私は依然としてあなたの愛に報いておりません。私はあなたを十分知ってから死ぬ必要があります。」と言うであろう…神のご意向を理解せず、自分の苦難について沈思するだけであれば、その苦難について考えれば考えるほど、それを受けるのは困難になってゆく。それは面倒であり、死の苦悩が始まる。真理を理解していれば、あなたがたは「私は十分に生きていない。なぜ死ぬのか。私はまだ真理を得ていない。神に対して自分を適切に費やさねばならない。私は好ましい神の証しとなる必要がある。私は神の愛に報いなければならない。その後は、自分がどのような死に方をしても問題は無い。それならば、私は満足な人生を送ったことになるであろう。他の誰が死のうと、今、私は死なない。私は根気よく行き続ける必要がある。」と言うであろう。」(『キリストの言葉の記録』の「真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる」より)神の御言葉は私の孤独な心を慰める母の柔らかく優しい姿のようでした。それはまた、両手で暖かく優しく私の顔の涙を拭う父のようでもありました。すぐに暖かい流れと力が私の心を駆け巡りました。暗い刑務所で肉体的に苦しんでいたとしても、自殺を試みることは神の御心ではありません。神の証しをすることができず、またサタンの笑いものになってしまうでしょう。9年後にこの悪魔のような刑務所から生きて出て行くならば、それが証しになるはずです。神の御言葉は私に生き続ける勇気を与えました。私は心の中で、「これから先どんな困難があっても、懸命に生き続けよう。勇敢かつ強く生き、証しをしてきっと神に満足していただこう」と決心しました。

 長年にわたる仕事の負担は私の体を徐々に弱らせました。工場で長時間座った後、しばしば過度に汗をかくようになり、痔がひどくなって出血することもよくありました。重度の貧血でめまいを起こすことも度々でした。しかし刑務所では、医者の診察を受けるのは簡単なことではありません。刑務官の機嫌がよければ安い薬をもらえますが、機嫌がよくなければ仕事をさぼろうとして仮病を使っていると言われます。私はこの病気の苦しみに耐え、涙を飲みこまなければなりませんでした。1日の仕事が終わるといつも完全に疲れ果てていました。疲れた体を刑務所の独房に引きずり、いくばくかの休息を取ろうとしましたが、落ち着いて眠るわずかの力もありません。何かの用事で刑務官が深夜に来たり、刑務官の騒々しい物音のせいで目が覚めたりしました……私は彼らにしょっちゅう弄ばれ、言葉にできない苦しみを受けました。加えて、刑務官による非人間的な扱いにも耐えなければなりません。私は床や廊下、あるいは便所の隣で眠る難民のようでした。私が洗った服は干して乾かすことができず、その代わりに他の囚人と寄せ集まり、その体温で乾かしました。冬に服を洗うのは特にいら立たしく、湿った衣服を長時間着用したため関節炎を発症する囚人がたくさんいました。刑務所では、健全な人が鈍感になり、機転が利かなくなり、肉体的に弱り、病気に苦しめられるのに、そう時間はかかりません。私たちはしばしば季節はずれの古い干からびた野菜を食べました。より良いものを食べたければ、刑務所から高価な食べ物を買わなければなりません。囚人は刑務所で法を勉強させられますが、そこに法はないのです。刑務官が法であり、刑務官の神経を逆なでする者がいると、何かしらの理由を見つけて囚人を罰するどころか、何の理由もなく罰することさえできました。さらに卑劣なのは、全能神の信者を政治犯とみなし、私たちの犯罪は殺人や放火よりも重大だと言ったことです。それゆえ、刑務官は私をことさら憎み、厳しく管理して非常に激しい迫害を加えました。このような邪悪な行為は、中国共産党の道義に反した振る舞い、天への敵対行為、そして神との反目の決定的な証拠となるものです。刑務所の残酷な苦しみに耐えた私の心は、しばしば義憤で一杯になりました。神を信じて崇拝することがどんな法律に違反しているのでしょうか。神に従い、いのちの正しい道を歩むのはどんな犯罪なのでしょうか。人は神の御手によって創造されたのですから、神を信じて崇拝することは天地の法です。これを乱暴に妨げ迫害するいかなる理由が中国共産党政府にあるのでしょうか。明らかに、それは道義に反した振る舞いであり、天への敵対です。中国共産党政府はすべての面で神と対立しており、全能神の信者に反動というレッテルを貼り、私たちを激しく迫害して破壊します。中国共産党政府は全能神の信者を一撃で一掃しようとしているのです。それは黒を白に変えるもので、これこそ完全に反動的ではないでしょうか。中国共産党政府は躍起になって天に抵抗し、神に敵対しています。最後は神の義なる懲罰を受けるに違いありません。堕落があるところ、必ず裁きがあるはずです。罪があるところ、必ず刑罰があるはずです。これは神が予め定められた天の法であり、誰も逃れることはできません。中国共産党政府の邪悪な犯罪は空まで積み上がり、神に滅ぼされます。それはまさに、神がこうおっしゃったとおりです。「神は久しくこの暗黒社会を骨の髄から忌み嫌っている。神は歯ぎしりし、この邪悪な老いたへびが再び立ち上がって人間を虐待する事の無いよう、そのへびを必死で踏みつけようとしている。神はそのへびの従前の行いを許さず、そのへびの人間に対する偽りを容赦せず、そのへびの遠い昔からの罪のひとつひとつに報復するであろう。神がその諸悪の首謀者[1]に対して寛容となることは僅かばかりも無く、そのへびを完全に粉砕するであろう。」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

 この悪魔の刑務所において、私はこれら邪悪な警察の目に野良犬以下の存在として映っていました。警察は私を殴ったり罵ったりするだけでなく、しょっちゅう突然押しかけ、私の寝台と私物を滅茶苦茶にしました。また刑務所の外で何らかの暴動が起こるたびに、政治問題を担当する刑務所の職員が私のところにやって来て、こうした出来事に関する私の見解を厳しく追及し、なぜ神を信じる道を歩むのかと絶えず非難しました。この種の詰問に直面するたび、心臓が飛び出そうになりました。私に対してどんな悪しき企みを抱いているのか見当もつかなかったからです。この危機のさなか、私は心の中でいつも切羽詰まって神に祈り、助けと導きを求めました。来る日も来る日も、来る年も来る年も、虐待と搾取と抑圧が言葉にできない苦しみを私に与えて苛みました。毎日、手作業と単調で退屈な政治学習が重くのしかかるだけでなく、病気に悩まされたうえ、何より精神的に落ち込んでしまいました。私はそのせいで崩壊の危機に追いやられました。特に中年の女性囚人が邪悪な警察の非人道的な責め苦に耐えられず、夜中に窓から首をつっているのを見たとき、また別の高齢の女性囚人が、病気の治療が遅れたために死んだのを見たとき、私は同じ息詰まるようなどん底に沈み、再び自殺を考え始めました。死こそが最高の救いだと感じたのです。しかし、それが神を裏切ることなのはわかっており、そうすることができませんでした。すべての苦痛に耐え、神の采配に従う以外に選択肢はないのです。しかし自分に下された長期の刑を考え、自由を得るのはどれほど先かと考えるや否や、どんな言葉をもってしても自分の苦痛と絶望は言い表せないと感じました。この状態に耐え続けられない気がして、どのくらい長く持ちこたえられるか見当もつきませんでした。深夜、何もできず掛け布団にくるまって泣き、全能神に祈って嘆願し、心の苦痛を残らず話したことが何度あったでしょう。大変に苦しく無力だったとき、私はこう考えました。「いま自分が苦しんでいるのは、自分を堕落から切り離し、神の救いを受けられるようにするためだ。これらの苦難は私が被るべきものであり、被らなければならないものだ」このように考えたとたん、私はもう苦痛を感じませんでした。むしろ、自分は神への信仰のために刑務所に押し込まれたのであり、救いを求めて苦しみを受けているのは最も価値と意義のあることだと感じました。この苦しみにはとてつもない価値があるのです。無意識のうちに心の苦しみは喜びに変わり、私は感情を抑えられませんでした。そしてよく知っている経験の讃美歌を心の中で口ずさみました。「私たちは幸いにも神の到来を迎え、神の御声を聞く、幸いにも神の到来を迎え、小羊の祝宴の席につく、受肉した全能神を知り、その奇しき御業を見る。私たちは人生の奥義を理解する。全能神の御言葉は最も貴い…誰がこれ以上幸いになれるか。誰がこれ以上の祝福を得られるか。神が真理といのちを授けてくださる。私たちは神のために生きなくては私たちは神のために生きなくては神の愛に報いるため、真理を得て、神を証する」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)心の中でこの讃美歌を繰り返し、歌えば歌うほど私は励まされました。歌えば歌うほどさらなる力と喜びを感じたのです。私は神の御前で誓いを立てずにはいられませんでした。「ああ全能神よ、私が再び信仰を抱き、生き続ける勇気をもてるようにしてくださった、あなたの慰めと励ましに感謝します。あなたが本当に私のいのちの主にして私のいのちの力でいらっしゃると、私に感じさせてくださったのです。私はこの地獄の穴に投獄されていますが、孤独ではありません。この暗い日々を通じてあなたがいつも共にいらっしゃるのですから。あなたは私に何度も何度も信仰を授け、生き続ける動機を与えてくださいました。ああ神よ、いつかここから出て自由に生きることができれば、私は自分の本分を尽くし、あなたの御心を傷つけることも、自分のために打算を働かせることもいたしません。ああ神よ、これからの日々がどんなにつらく厳しくても、私は喜んであなたに頼り、強く生き続けてまいります」。

 刑務所では、兄弟姉妹と過ごした日々が頻繁に思い出されました。それはとても美しいときでした。誰もが歓声を上げて笑い、言い争いもしましたが、すべては懐かしい思い出となりました。しかし、以前の本分をなおざりに尽くしていた頃を振り返るたび、私は大変な罪深さと負い目を感じました。自分の傲慢な性質が原因で兄弟姉妹と言い争ったことも考えました。すると気分が大いに沈み、それを後悔しました。こうなるたびに私は涙にくれ、心の中で静かに讃美歌を歌いました。「長年神を信じてきたが本分をきちんと尽くしてこなかった。心に深い後悔を感じる。神の愛を多く味わったがお返しできず、実践する機会をもらってもいい加減に接した。それより一心に地位と富と名誉を求め、将来の計画を立てた。私はとても反抗的で恥知らずで多くの時間を無駄にした。そして今、神は私達から去ろうとしている。私はとても後悔している。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)苦痛と自責の念の中、私は頻繁に心の中で神に祈りました。「ああ、神よ。私は本当にあなたからあまりにかけ離れてしまいました。あなたが許してくださるなら、私は喜んであなたを愛していきます。出所後は以前のように進んで自分の本分を尽くし、再び出直します。過去の欠点も補います」刑務所にいる間、私は特に、朝も夕も連絡を取り合っていた兄弟姉妹がいないのを寂しく思いました。本当に彼らを恋しく思いましたが、私が捕らわれているこの悪魔の刑務所では、この願いは叶わぬ夢です。しかし、私は頻繁にこの兄弟姉妹の夢を見ました。神の御言葉を一緒に読み、真理について語り合っている夢です。私たちは幸せで陽気でした。

 2008年に四川大地震が発生した際、私たちが収容されていた刑務所も揺れましたが、私は現場から避難した最後の囚人になりました。当時は余震が続いていました。囚人も刑務官も恐怖と不安のあまり、日常を続けることができませんでした。しかし私の心は大変に落ち着いており、揺るぐことがありませんでした。これは神の御言葉が現実のものになったのだと知っていたからです。それは神の激しい怒りの到来でした。100年に一度という地震の間、神の御言葉は常に私の心を守ってくれました。人の生死はすべて神の御手にあると、私は信じています。神がどうなさるかにかかわらず、私は進んで神の采配に服従します。しかし、悲しかった唯一のことは、自分が死んだら創造主への本分を尽くす機会がなくなり、神の愛に報いる機会がなくなり、兄弟姉妹に会えなくなることでした。とは言え、私の不安は無用のものでした。神はいつも私と一緒にいらっしゃり、最大限の加護をお与えになり、それによって私は地震を生き延び、平和に過ごすことができたのです。

 2011年1月、私は早期に釈放され、刑務所での奴隷生活がとうとう終わりました。自由を得て私の心はひときわ興奮していました。教会に戻ることができるのです。兄弟姉妹と一緒にいられるのです。私の心の感動を言葉で説明することはできません。予想外だったのは、家に帰っても娘は私のことがわからず、親戚や友人たちも変な目で私を見たことです。彼らは私と距離を取り、接触しようしませんでした。周囲の人たちも私を理解せず、受け入れませんでした。このとき、私は刑務所で虐待や責め苦を受けていたわけでもないのに、冷たい視線や冷笑、そして疎外は耐え難いものでした。私は弱く否定的になり、過去の日々を振り返らずにはいられませんでした。逮捕されたとき、私はわずか31歳でしたが、出所するまでに冬が8回、夏が7回過ぎ去っていたのです。私が孤独と無力を感じる中、神は私をお助けになるために、何度人や出来事や物事を采配なさったことでしょう。苦痛と絶望の中、神の御言葉は何度私を慰めたことでしょう。私が死を望んだとき、神は私に何度力を与え、生き続ける勇気をもたせてくださったことでしょう……長く苦しい年月の間、私を死の影の谷から一歩一歩導かれ、しっかり生き続けられるようにしてくださったのは神でした。今この苦難に直面して、私は否定的で弱くなり、神を悲しませました。恩をあだで返す本当に臆病で無能な人間なのです。これについて考えると、心の中で強い自責の念を感じました。服役中に神に立てた「いつかここから出て自由に生きることができれば、私は自分の本分を尽くし、あなたの御心を傷つけることも、自分のために打算を働かせることもいたしません」という誓いを思わずにいられませんでした。私はこの誓いをじっくり考え、神に誓ったときの状況を振り返りました。すると涙で目がぼやけ、次の賛美歌をゆっくり歌いました。「私自身は、神を追い求め、神に従う意欲がある。今神は私を見捨てようとしているが、それでもなお私は神に従いたい。神が私を求めていようがいまいが、私はなおも神を愛し、最終的には神を得なければならない。私は神に自分の心を捧げ、神が何をしようと、私は生涯を通して神に従うつもりだ。何があろうと、私は神を愛し、神を得なければならない。私は神を得るまで休まないつもりだ。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神への真の愛は自発的である」より)

 しばらくデボーションと調整を行なったところ、私は神の啓きの下ですぐに否定的な状態を脱し、本分を尽くす人々の中に再び身を投じました。

 私は最も素晴らしい青春の年月を刑務所で過ごし、7年4ヶ月にわたって神への信仰のために苦難を経験しましたが、不満や後悔は一切ありません。多少の真理を理解し、神の愛を経験したからです。自分の苦しみには意味と価値があると私は感じています。これは神の私に対する破格の賞揚にして恵みなのです。神が私をひたすら愛してくださったのです。親戚や友人ですら私を理解せず、娘が私のことをわからなくなったとは言え、どんな人や物事も私を神との関係から切り離すことはできません。私は死んでも神から離れることができないのです。私が刑務所で最も好んで歌ったのは、『汚れなき純粋な愛』という讃美歌でした。そして今、私は実際の行動を通じて神に最も純粋な愛を捧げたいと思います。

孝文 重慶市



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