デマを軽々しく信じることの結果
昔、呉明飛刀という名の侠客がいました。彼は剣術が非常にうまくて、もっぱら富者の財貨を奪って貧者に施し、暴虐を取り除き良民を安んじ、いつも平民がそれらの悪者に対抗するのを助けました。それらの悪者は利益が損なわれた後、呉明飛刀を陥れようと、悪徳官吏と対策を相談しました。彼らはあちこちで人を殺したり、放火したり、平民の女性を強姦したりし、しかも他人にこれらは呉明飛刀のしたことだと知らせようと、印を残しました。そのため、呉明飛刀は官衙に追跡されました。彼は仕方がなくて山林に隠居しました。ある日、あるお嬢様とその女中は悪者に追跡されている間に、方向を見失いました。そして奥深い山中で呉明飛刀に出会いました。呉明飛刀は半年の間、心をこめて彼女たちの世話をしていました。それで、お嬢様とその女中はみな呉明飛刀に好感を持つようになりました。ところが、女中はその機会をお嬢様に与えました。お嬢様は呉明飛刀と結婚しようとして、彼に告白しました。呉明飛刀は聞いた後、空を仰いで、長いため息をつきました、「わたし呉明飛刀はこの一生の中でお嬢様に気に入られるとはな……」と。お嬢様は自分の好きな人が呉明飛刀だと分かったら、デマを思い出し、あまりのこわさにすぐ顔をそむけて走り出しました。彼女は走っている時、うっかりして崖から落ちて、死んでしまいました。しかし女中は走りながら考えていました、「おかしいな。彼が本当にあんなに悪いなら、わたしたちはすでに殺されたのではないか。どうして今日まで生きられるだろうか」と。女中はデマを信じず、自分の見た事実を信じることにして、それで帰ってきました。それ以後、呉明飛刀と幸せな生活を送るようになりました。
この物語はわたしたちに一つの情報を伝えてくれました。女中は事実を調べることを重んじるので、呉明飛刀と幸せな生活を送ることができました。このことから、わたしたちはデマは結局は立つことができないと分かりました。しかしお嬢様はデマを弁別しなくて、デマを軽々しく信じ、その結果命を失ってしまいました。これは本当に愚かなこと、悲しいことです!
デマはどのように生じるか
物語の中のお嬢様は愚かでしたが、でも現実生活の中でこのお嬢様の役割を演じる人はやはりたくさんいます。このお嬢様が愚かだなと、わたしたちはため息をつきます。わたしたちはまたデマをでっち上げ、まき散らすそれらの人を憎みます。彼らの私欲と悪辣さは直接お嬢様を殺したのだと言ってもいい。では、なぜこれらの人はデマをでっち上げるでしょうか。デマの背後の真相は何でしょうか。わたしたちはパリサイ人が主イエスが働く時にでっち上げたデマを例にして根源を追究し、彼らがデマを狂おしくまき散らして主イエスを陥れる原因を探しましょう。
主イエスが受肉して人の間で言葉を言い、働かれることは、ユダヤ国全体を沸き立たせました。一部の民は主イエスの説かれる道を聞いて、次々と主イエスにつき従いました。しかし当時の祭司長、律法学者、パリサイ人は民衆が主イエスに立ち返ったのを見た時、これでは民衆の支持を得られなくなって、民衆の神へのいけにえを享受できなくなるのではないかと心配していました。こういうわけで、彼らは自分の地位、生活の道を守るために、主イエスに関するデマをでっち上げ始めました。聖書にこう書かれています。「エルサレムから下ってきた律法学者たちも、『あの男はベルゼブルに取りつかれている』と言い、また、『悪霊の頭の力で悪霊を追い出している』と言っていた」(マコ3:22)。イエスは働く時、悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出すのだ、イエスはメシヤではない、などと彼らはデマをでっち上げました。それだけでなく、彼らは主イエスが死人から復活した後、依然として主イエスに罪を告白し悔い改めることをせず、もう一度うそで人を惑わそうと企てました。聖書にこう書かれています。「そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。『弟子たちが夜中にやって来て、われわれの寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい」(マタ28:12-13)。このことから分かりますが、これらの祭司長、律法学者は自分の地位、生活の道のために主イエスに関するさまざまなデマをでっち上げて人を欺きました。その結果、これらのデマは今日でもイスラエル人を惑わし、縛っています。これらのデマのゆえに、多くの人は主イエスの働きを調べる勇気がなくなり、そしてパリサイ人のまき散らすデマに盲従して主イエスを罪定めしました。そのため、彼らはこの上なく大きな罪を犯してしまい、また神に救われる機会を失ってしまいました。これは彼らの支配者が彼らにもたらす苦い結果であり、また彼らがデマを信じることの結果です!
上の小さな物語も歴史の事実も、わたしたちにこういうことを分からせました。一般的に、デマは一部の人が人に言えない自分の目的を達成するためにでっち上げるものです。それは完全に、人を罪に陥れて、ありもしないことをねつ造するものです。わたしたちはまたデマをでっち上げる者の心がどんなに悪辣なのかを見ました。もしわたしたちがデマを見破ることができなければ、デマに害されて、取り返しのつかない悪い結果を招くでしょう!
あなたにデマを見破る三つの方法を教えよう
では、わたしたちはどうすればデマを見破ることができるでしょうか。
第一に、神の働きという事実から調べる。
パリサイ人は主イエスに関するデマをたくさんでっち上げましたが、でも主イエスの救いを受け入れ、また主イエスの委託を受け、万国、万民に福音を宣べ伝える人はやはりたくさんいます。なぜこれらの人はデマに惑わされなかったのですか。それは彼らが事実の真相を調べることを重んじていたからです。主イエスは働いている間に、多くのしるしと奇跡を行なわれました。彼は目の見えない人が見えるようにし、足の不自由な人が歩けるようにし、五千人を五つのパンと二匹の魚で満腹させ、風と海をしかりつけられただけではなく、また死人を復活させるというようなしるしと奇跡を行なわれました。主イエスにつき従うそれらの人は主イエスの働きによって、主イエスが来たるべきメシヤだと分かり、主イエスの言うことなすことはいかなる被造物や非被造物も彼の代わりに言い、行なうことができないと見ました。これで分かりますが、事実はつまるところ事実で、いかなるデマも事実の真相を覆い隠すことができません。それは「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである」(マタ10:26)と主イエスが弟子たちに言われたこの言葉のとおりです。真相が明らかになる日がきっと来ます。だから、デマを見破るためには、まず事実の真相を調べなければなりません。他人の言ったことを受け売りし、軽々しくデマを信じてはなりません。
第二に、神の声、言葉から調べる
主イエスは働いている間に、多くの言葉を発表されました。これらの言葉には、天の国の奥義を啓示するような主イエスのたとえ、主イエスがパリサイ人をしかる時のような、人の腐敗をさらけ出す言葉、そして人に対する慰め、励まし、人の隠れた秘密をさらけ出す言葉が含まれています。また聖書の多くの箇所に、主イエスが人にとりついている悪霊をしかると、悪霊が出ていくと記されています。これらの言葉はみな神の身分を表現します。これらの言葉を通して、人は主イエスの言葉が権威に満ちていること、主イエスがまさに人に現れた造物主であることを見ました。多くの人は主イエスの言葉を聞いて弁別することによって、主イエスが旧約に預言されている来たるべきメシヤ、受肉して人の子となって人に現れた神だと分かりました。そのため、彼らは神の働きの歩調についていけました。彼らは賢い乙女のように神の声を聞き分けるので、主イエスの言葉、声はまさに神の声だと分かりました。だから、外界のデマがどんなに凶暴であっても、彼らはその影響を受けず、主イエスがメシヤだと信じていました。このことも分かるように、神の声を聞き分ける人は神の声、言葉を通して神を知ることができます。そういうわけで、彼らは弁別力、デマに対する抵抗力を持つことができました。
第三に、神の働きの効果から調べる
律法の時代の末期、人はサタンに腐敗させられて、律法を守られなくなり、罪の中に生きるようになって自力では抜け出せず、そのため律法に罪定めされて死刑にされるという危険に直面していました。わたしたち腐敗した人類の必要と、神の人類を救う経営計画に基づいて、神は初めて受肉して人の世に来て、主イエスの御名によって律法の時代の仕事を終わらせ、天の国の福音と悔い改めの道を宣べ伝え始め、恵みの時代の贖いの仕事を展開されました。わたしたちが主イエスを贖い主として受け入れ、主に祈り、罪を告白し、悔い改めさえすれば、赦しを得ることができます。そうなれば、わたしたちは律法を守れなくて罪に定められることはなくなります。そのうえ、主イエスは人が歩むべき道がない時に、人に多くの新しい実行の道を与えられました。例えば、ペテロが主イエスに「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」(マタ18:22)と聞いた時、主イエスは「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(マタ18:22)と言われました。彼はまた「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』」(マタ22:37-39)と言われました。主のこれらの言葉は人に新しい時代の歩むべき方向を与えました。人が主の言葉にしたがって行なうと、聖霊は彼と同在し、彼も平安、喜びを得られます。人が主の言葉に背くと、暗やみの中に生きるようになります。当時、主イエスにつき従うそれらの弟子は主の言葉を実行するため、自由を得て、聖霊の働きの流れの中に生きるようになり、神に良しと認められました。わたしたちは主イエスの働きを経験することによってもたらされる効果によっても、デマを弁別することができます。事実は雄弁にまさるからです!
考えてみましょう。わたしたちが主イエスが働いた年代に生まれて、パリサイ人のでっちあげた、天地を覆うほど多くの主イエスに関するデマに直面するなら、わたしたちは主イエスにつき従う弟子のように、デマを理性的に分析し、扱い、神の働き、言葉を調べることを重んじるでしょうか、それとも愚かなユダヤの民のように、探究し、調べることもせずに盲目的にデマを信じ、まき散らすでしょうか。わたしたちがデマを見破る原則を把握できなければ、いとも容易にデマによって混乱させられます。デマを見破り、真理の道を調べる原則を把握してこそ、すべてのデマの中で立つことができます。こうして、わたしたちは真理を理解することによって、デマをわきまえる弁別力を持つようになります。
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