いのちの源

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地震後の熟考:人生において、追い求めることに価値と意味があるものとは

2019-04-24 20:23:29 | 賛美の心

  2018年6月18日の朝8時ごろ、私はいつも通りに作業場で仕事を始めようとしていました。その瞬間、いきなり地鳴りがして、地面が揺れ始め、床が陥没し始めたのです。作業場のドアがバタンと閉まるのを見た瞬間、私たちは地震が起きていることに気が付き、同僚と私は慌てて建物から避難しようとしました。やっとの思いで空地に駆けだすと、私は恐怖感に満ちた恐ろしい現状をまざまざと目の当たりにしたのです。日本は地震の多い国だと知っていましたが、まさか実際に体験することになるとは思っていなかったのです。その瞬間、私は頭が真っ白になり、足に力が入りませんでした。神に助けを求め続ける以外、私はどうしていいのか分かりませんでした。私は祈りを通じて、徐々に落ち着いていきました。

  僅か数分の間に、100人以上の人たちが空き地に集まり、全員が狼狽している様子でした。無表情のまま怖気づいて動けなくなっている人がいたり、震えが止まらない人がいたり、そして他にはビクビクしながらまだお互いにしがみついている人たちもいました。すると私の女性の同僚が心配した口調でこう言いました、「大変だわ、数日前に買ったばかりのネックレスがあるのよ。それに、家には他にもたくさん宝石があるのに、家が倒壊したら全部台無しだわ!」その隣に立っていた人も不安そうに言いました、「私のゴールドとシルバーの宝石も家に置いてきてるわ、一緒に持って来なかったのよ。」その時、それまで泣いていた年配の女性が誇らしげにこう言いました、「私は以前地震に遭って、死ぬほど怖い思いをしたわ。それ以降はパスポートに銀行カード、それと貴重品はすべて毎日持ち歩くことにしてるのよ。」彼女に目をやってみると、彼女は指輪を5つとブレスレットを2つ握っていました。彼女がこう話している間に他の同僚たち数人が怖さのあまり泣き始めてしまいました。

  私は同僚たちの振る舞いを見た時、突然とても悲しくなり、泣きたくなりましたが涙は出ませんでした。私たちは哀れな人生を送っていると私は感じました。私たちは頻繁に運命は自分で切り開くものだと言いますが、災害が起る時は一体誰が次の瞬間起こり得ることをコントロールできるというのでしょう?しかし、これを疑問に思っている人がいるようには見えませんでした。地震で起きたパニックの中ですら、人々はお金と宝石のことを気にしていたのです。その瞬間、私は神の御言葉のこの節を思い出しました、「人間は神の指揮と統治を認めないので、常に反抗的な姿勢で運命に立ち向かい、神の権威や統治、待ち受ける運命を捨て去ることを望み、現状と運命を変えようとする。⋯⋯」私たちは神の主権を理解していないがために、人々の運命は神の御手の中にあることを理解しておらず、それ故に私たちは誰もが自分たちの運命を変えたがり、お金を稼ぐために多忙に働き、理想の生活を追い求めているということに私は気が付きました。実際、私たちは小さくて、些細な個人の集まりに過ぎないのです。自分の運命をコントロールして、それを変えることなど一体誰ができるというのでしょう。私はこう考えた時、神の御声を聞いて、神の主権を認識する機会を与えてくださった神の慈愛に強く感謝しました。こうして、私は心の中で静かに神に呼び掛け、私をお導きくださるように、そして地震に立ち向かう勇気を与えてくださるようにと神に請いました。少しずつ、私の恐怖感は失せて行き、私は神が私の最強の盾であることを知ったのです。

  私たちは30分ほど外にいましたが、余震が収まったことを確認すると、上司は私たちを職場に送り返しました。私たちが作業場に戻った時、同僚たちは依然として怯えたままで、全く仕事をする気になれなかったので、休暇を願い出て帰宅して行きました。最終的に、残ったのは私とベトナム人の2人だけでした。

  あの夜、余震は4回起りましたが、神を頼りにしていた私は怖くありませんでした。翌日、職場に行くと、私は大きな荷物を運びながら出勤する同僚を数人見かけました。地震が来たらいつでも逃げられるようにと言って、食堂に食事をしに行く時ですら荷物を持って行く人がいました。その後の数日間、余震は続き、同僚たちは地震の話しばかりしていました。各々の国行きの航空券の金額を毎日チェックして、地震がまた発生する時に備えて航空券を買う準備をしている人たちもいました。私もある程度はこの状況から影響を受け、自分の安全を心配してはいましたが、神の御言葉を読むと、落ち着いて対応することができました。

  私は神のこの御言葉を思い出しました:「人間は一生涯のエネルギーを運命に立ち向かうことに費やし、家族を養おうと必至で働き、富と地位の間を行き来して、全ての時間を費やす。人間が大切にするものは、家族、金銭、名声であり、人間はこれらを人生において最も価値の高いものとみなす。あらゆる人々が自分の運命に不満であるが、人間は何故生きているのか、人間はどう生きるべきか、人生の価値と意味は何であるか、という最も喫緊に検討して理解する必要のある問題を心の中で常に先送りする。人々は、その生涯が何年であるかを問わず、若さを失い白髪とシワが現れるまで、富と名声で人間の老化を止めることが出来ず、金銭で心の空虚感を埋められないことを悟るまで、そして出生、老化、疾病、死の法則の例外となる者や、待ち受ける運命から逃れられる者はいないことを悟るまで、一生涯を通して、せわしなく富と名声を追い求めるのみである。⋯⋯財産のある者は金が自分の頼みの綱である、生涯の資産であると考える。立派な地位があれば、人間はそれにしがみついて、そのために命を賭ける。この世を去ろうとする時になって初めて、人間は自分が生涯をかけて追究してきた物事が、空を渡り行く雲のようなものであり、いずれも掴み続けることも、死後の世界に持っていくことも出来ないものであり、自分を死から免れさせる力が無いものであり、この世を去る時に持参することも、慰めを与えることも出来ないものであり、また特にそうした物事のなかに、死を超越する救済を与えることの出来るものは無いということに気付く。」 そうです、「お金は全てに勝る」や「地獄の沙汰も金次第」といった考えによって、私たちはお金を唯一頼りがいのあるものとみなし、お金を持つことは全てを手にすることであると考えてしまうため、お金のために悪戦苦闘しながら人生を過ごしますが、私たちのいのちが何処から来るのか、また私たちが存在する真の価値と意味については全く考えていないのです。お金は本当に私たちの拠り所になり得るのでしょうか?私は同僚たちのこと、そしてその1人1人が沢山のお金を貯金していたことを考えましたが、地震が起きた時、そのお金は彼らに安全で安心な生活をもたらしてくれたでしょうか?地震は彼らを恐怖感と不安で満たしたのです。私は2008年に中国の汶川県で発生した地震について考えました。どれだけの裕福な人たちがあの地震から逃げ出すことができたでしょう?彼らも同じ被害を受けていたのではないでしょうか?沢山の事実が揃っているにも関わらず、私たちは神の御前に行っていないため、いのちの価値と意味をしっかり考えず、私たちが愛して止まないお金が私たちの内にあるものではなく、私たちに平安をもたらしてくれたり、災害から私たちを救ってくれるものでもないことに気付かないのです。これこそが、人類にとっての本当に大きな悲劇なのです!

  私は最初日本に来た時はお金を稼ぐことしか頭になかったことを思い出しました。私の仕事は生産ラインから出て来たばかりの車の部品を磨くことで、研磨作業中には鉛を多く含んだちりがたくさん出ました。マスクを2枚着用していたにもかかわらず、一日が終わると私の鼻の下には黒く丸い後が残っていました。それに、当時は夏だったので、作業場の温度は40度を超えていた上に、私たちは一日最低でも10時間は働いていました。一日が終わると私の服は汗でびしょぬれでした。私の体はこのような重労働に耐えられず、右腕と指が感覚を失い始めていました。幸い、私は神から時にかなった御救いを受け、神の奇跡的な御采配により製品検査部門に異動することができました。そこでの仕事は楽だったので、私の手は次第に回復していきました。しかし、神の主権を知らなかった私はいのちの価値と意味を分かっていませんでした。私は神に従ってはいたものの、お金を追いかけることは止めませんでした。残業と集会の時間が重なることがあると、私は変わらず残業することを選んでいたのです。しかし、地震の後、私はこれについて慎重に考えてみました。神の御気遣いと御加護がなければ、災害と死が迫って来る時に、どれだけお金があったとしても心の恐怖感を取り除くことはできないし、霊的な安心感を得ることも、ましてや自分のいのちを守ることなどできないのです。

  その後、私は神のこの御言葉を読みました、「ある者が生まれた時、孤独な魂は、創造主がその魂のために計画した、地上での生活経験、創造主の権威の経験を始める。その者すなわちその魂にとって、これが創造主による統治に関する認識を得て、創造主の権威を知り、それを自分で経験する格好の機会であることは言うまでも無い。⋯⋯ある者が、人生は創造主による統治を体験し、その権威を知る機会であり、その者が創造された人間として本分を尽くし、使命を果たす希な機会であると考えているのであれば、その者は必然的に正しい人生の見通しを得て、創造主により祝福され、導かれた人生を送り、創造主の光の中を歩み、創造主による統治を知り、創造主の支配に服従し、創造主の奇跡の業と権威の証をするものとなる。そうした者は必然的に創造主に愛されて受け入れられ、また死に対して安らかな姿勢を取る。人生の最後の節目を喜んで歓迎出来るのは、そうした者のみである。ヨブは死に対して明らかにこの姿勢を取っていた。」神の御言葉は創造物として生きることの価値と意味を私が理解できるようにしてくださりました。私が持つものは全て、神から授かっているものであり、神は私が神の主権と権威を理解する機会を与えてくださり、そしてまた創造物としての本分を尽くす機会も与えてくださりました。私は真理を追い求め、神の働きを体験し、神の知識を得ることに努め、創造物としての本分を尽くすべきなのです。これらこそが、人生において追い求めるべき正しい目標なのです。その後、私は上司たちと話しをして、自分の残業量を減らして欲しいとお願いしたところ、彼らはそれを承認してくれました。私は定期的に兄弟姉妹たちと集会に参加できるようになると、それまで感じたことのない安心感を得ました。神が今回の地震を通じて、私が自分の人生をじっくりと考えるようにしてくださったこと、そして私に新たな理解をお与えくださったことを、私はとても感謝しています。これで私は、どのように生きれば、自分の魂が平安と喜びを感じられるのかということを熟知しました。

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