ある日、彼女は『いのちの入りについての交流および教え』の中でこの御言葉を読みました、「普通の人間性には次の特徴が含まれます:良心、理知、品性、尊厳、寛容、辛抱強さ、許す心、愛、寛大、優しさ、博愛、親孝行、容赦、考慮、共感、そして気配り。。。今回、あなたは人間性を持っていない、そしてあなたの人間性には欠陥があることを知るでしょう。あなたは普通の人間性を持ってすらいません。あなたは自分が善良な人間で、皆と仲良くできると思っていました。しかし、今、あなたは誰とも仲良く出来ないことを知りました。あなたが自分のパートナーと喧嘩し、子供たちと喧嘩し、義理の両親と喧嘩し、そして他の者全員と喧嘩をするのは不思議ではありません。あなたは常に他人と言い争って、終わりがありません。そして、あなたは自分が普通の人間性を持っていないことが問題の根源であると分かるでしょう。」これを読んだ後、ミンフイは彼女の義理の兄が一度彼女を叩いたのは彼女が義理の両親を尊重していなかったことが原因であったことを思い出しました。彼女は実際に誤ったことをしていたので、彼を嫌うべきではないのです。しかも、彼女の義理の兄はまともな仕事はしていないとはいえ、彼もまた家族の一員であったのです。彼女の義理の両親は住む場所がない自分たちの息子を見るのは耐え難いので、古い家を彼女の兄に与えたかったのです。これは人間の本質です。しかし、彼女は、彼らの立場になって子供に対する親の心配を理解したり、義理の兄夫婦の状況を考慮しようとはいませんでした。彼女は自分の関心事しか考慮していなかったことに気が付いたのです。彼女はこの家を手にするためなら、新しい家に引っ越すよりも、彼らと一緒に滞在した方がましだと思っていたのです。長年に渡って、ミンフイは不当に扱われていると思っていました。しかし、今、彼女は自分は常に、「土地を隅から隅まで狙い、可能な限り奪ってしまえ」、というサタンの人生観を指針に生きていたことを知ったのです。彼女は自分の利益を守るため一歩も譲りませんでした。彼女は家族から冷たく扱われると、暴をもって暴に報いるの態度を取り、彼らを敵扱いしました。彼女はこの家を理由に積年のつながりを断ってしまったのです。長年に渡って自分が見苦しいことをしていたことに気付いたミンフイは家族に対する恨みを少しずつ手放していきました。
ミンフイは過去の恨みを捨てることができたと思っていましたが、近所の人の言葉が彼女の義理の両親が彼女にとても不公平であったことを彼女に思い出させました。彼女の心には又しても憤りがこみ上げてきました。
これについて考えながら、ミンフイは立ち上がり、ある本を開きました。そこには神の御言葉がこう書かれていました、「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。」 (「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より)。 神の御言葉はまた彼女の目を覚ましてくださりました。今日起こった出来事は霊的な争いだったのです。もし彼女は神の御言葉に従って生きることができず、利益を求めて争い続けていれば、又しても家庭争議に引き込まれるでしょう。ミンフイは神の御言葉に従ってサタンの策略を見抜いたのです。彼女は神に祈りを捧げ、自分が普通の人間性を貫き、これ以上利益を求めて争ったり、心の狭い人間にならないよう、彼女に力と自信をお与えくださるよう請いました。
祈りを捧げた後、ミンフイは次の交流の節を読みました、「私たちが他の人々と共存するには、いくつかの原則を実践するべきであります:私たちは不公平な形で他人を利用したり、他人を騙したりしないことに満足するだけでなく、愛に満ちた心、良心、そして理知も持つべきです。そして私たちは全てにおいてお互いを許し合い、助け合い、大切にし合い、お互いのためになることができるべきです。私たちは自分たちのことだけでなく、他人のことも考えるべきで、更には、他人の短所を理解し、他人の罪を許すことができるべきなのです。私たちはこれらの原則を固持してのみ、他人と適切な関係を築き、仲良くすることができるのです。」この交流を読んだ後、ミンフイは心の中でこう確信しました:「私は既に神の祝福を授かっているわ。私は自分の家があって、ゆとりのある生活を送っている、でも同時に、私の義理の両親は若くないし、兄は彼らの世話をするためにお金を必要としている。だから義理の両親は兄に銀行カードとペイロールカードを渡していたのよ。彼らは家族全員が普通の生活を送れるようにと合理的な配慮をしていただけだったのよ。だから、私はいちいち細かいことでもめたり、よくばって義理の父の少ない年金を狙う必要なんかないのよ。この世界で生活するにあたって、私たちは自分たちのことだけを考えるのではなく、周りにいる人たちのことも考えるべきなのです。こうしてのみ、私たちは安堵と平安を感じることができます。神の御気遣いと御指導を受け、ミンフイは以前抱いていた恨みを捨て、神を讃えるために普通の人間性を貫く気になりました。このように考えていると、ミンフイは落ち着いて解放された気分になり、真理を実践して神の御言葉を貫くことの素晴らしさを体験しました。
しばらくした後、彼女の夫は彼女の義理の母が病気になり歩けないから実家に戻るよう彼女に言いました。ミンフイは心の中でこう考えました:「彼女は歩けないってことは、私が彼女の世話をしないといけなくなるし、向こうまで行くならお金もかかるわね。」以前義理の両親から受けた扱いを振り返ると、彼女は葛藤に駆られました:行くべきか、やめるべきか?ちょうどミンフイが躊躇していたその時、彼女の頭に神のこの御言葉が浮かびました、「正常な人々の性質にはひねくれた点や不正直さはなく、人々はお互いに正常な関係にあり、孤立していないし、その生活は凡庸でもなければ退廃的でもない。そこで神もすべてのものから褒め称えられ、神の言葉は人間の間に広がり、人々はお互い平和に神の配慮と保護のもとに暮らし、地上は調和で満たされ、サタンの妨害はなく、神の栄光が人間の間で最も重要なものになっている。」(「十六番目の言葉の解釈」より)。時にかなった神の御啓示は彼女に神の御心を理解させてくれました:「私たち人間がサタンの作り上げる苦しみの中で惨めな生活を送り、お互いに争い殺し合い、自分たちの利己的な欲望を満たすために策略を練り合ったり、騙し合ったりしている様子を目の当たりされた神は、私たちが普通の人間性を貫くこと、そして私たちが共に仲良く暮らして幸せを手に入れられるように、他人と仲良くする際には私たちが真の気遣いと理解を持つことを期待しておられます。」ミンフイは、自分が家族と適切な関係を持って、争うのを止めるだけでなく、普通の人間になるために真理を貫き、愛をもって他人の世話をすることを神から求められていたのだと理解しました。長い間恨みを持って生きてきた彼女は義理の両親に対する子としての義務は全く果たしていませんでした。今回、神はまた彼女に生まれ変わるチャンスを与えてくださったので、彼女は良心をもって義理の母を扱う必要があります。こう考えてミンフイは恨みを脇に置き、夫と一緒に義理の母の世話をしに行きました。彼女は普通の人間性を貫いた時、神の恵みと祝福を目の当たりにしました。彼女の友好的な態度のおかげで、家族全体が円満になったのです。ミンフイが彼らに対する恨みを脇に置いた様子を見た義理の父は、快く彼らに部屋を貸してくれました。
その時、ミンフイは恨みを捨て、真理を実践し、普通の人間性を貫き、他人に愛情を見せた時に他人の尊重を得ることができると初めて気が付きました。こうすれば、他人と仲良くするのがかなり容易になるのです。ミンフイはまた、「土地を隅から隅まで狙い、可能な限り奪ってしまえ」、というサタンの毒を持って生きることは辛すぎると深く感じました。今、神の救いは彼女の生活を変え、彼女のサタンに対する観点を正してくださったのです。神の御言葉のみが真理であり、私たちの行動原則であり、私たちのいのちが必要とするものであります。真理だけが、本当に幸せな生活を私たちにもたらしてくれるのです。ミンフイは心の底から神に感謝しています。神の御言葉のおかげで、彼女は自分の観点を変え、人間になる方法を学び、恨みを捨て、サタンの支配下にあった惨めた生活から抜け出し、今は本当に幸せな生活を送っています。
寄稿家:ジンシェン
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます