いのちの源

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クリスチャンの日記-真キリストと偽キリストの見極め方

2019-12-28 12:00:05 | 賛美の心

 【編集者メモ】主は終わりの日に偽キリストが現れて人々を騙すと仰いました。ならば、どのようにして真キリストと偽キリストを見極めればよいのでしょうか?このエッセイの著者であるリー・シンは以前そう質問されました。しかし、以下の交流の後、彼女の心の困惑はついに解消されたのです。

2017年6月8日、木曜日、曇り

 今日の集会の最中、牧師はこう言いました。「終わりの日が到来しました。主の再臨の預言は基本的に成就しています。4つのブラッドムーンもその姿を現しました。大災害もすぐそこまで迫ってきています。私たちは主が来られるのを注意深く待つ必要があります。主イエスはこう仰いました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24章23-24節)終わりの日には、偽キリストと偽預言者が間違いなく私たちを惑わしにやってきます。なので、主イエスが再臨なされたと誰かが宣教する場合、偽キリストに惑わされて、主に捨てられても、不注意に調査してはなりません」。

 ここ数年の間、牧師たちはいつも私たちにこう言っています。「偽キリストが人々を惑わすために現われます、なので、主イエスの再臨を証言する人がいれば、それを聞いても、信じてもなりません。」 そして、私はその言葉に従ってきました。しかし、集会が終わった時、ある年配の姉妹が私にこう言ったのです。「牧師は主の再臨の知らせを広める人がいたら、それを調査しても、信じてもならないっていつも私たちに言うけど、主イエスはっきりとこう仰っているわ。『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした。』(マタイによる福音書25章6節) 主の再臨を宣教する人がいてもそれを調査しないということにこだわっていて、万が一主が本当にお戻りになることがあったら、私たちは主に会う機会を逃して、主に見捨てられてしまうのでないかしら?」

 私は彼女の言葉に考えさせられました。「そうだわ、私は今までずっと偽キリストが現れて人々を惑わすと信じていたわ。でもその結果、偽キリストを警戒することにしか注目していなかったのよ。積極的に神の顕現を求める方法については一度も考えたことがなかったわ。誰かが、『さあ、花婿だ』、と言っても、神の働きを求めないで調査もしなかったら、私は主に会う機会を逃してしまうわ。そうしたら、後悔しても手遅れになるわ。真キリストを知ろうとせず、偽キリストを警戒してばかりいたら、主には会えないし、まして神の御前に携挙されることなんて多分あり得ないわ。そんなの嫌よ、このままただじっと座って死ぬのを待っていたらいけないわ。自分から探求する必要があるけど、先ず最初は真キリストと偽キリストを見極めることに関する真理を理解する必要があるわ。こうしてのみ、偽キリストから自分を守って、真キリストに会うことができるのよ。主はかつて、『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。』(マタイによる福音書7章7節)、といって私たちに約束してくださったわ。だから、心から探求してさえいたら、主は必ず私を導いて理解できるようにしてくださるはずだわ」。

2017年6月13日、火曜日、曇り

 最近、私は一日中困惑しています。時に、主が夢の中に現われてそれを解決してくださると期待することすらありました。いいえ、私はただ待っているわけにはいきませんでした。牧師の意見を聞きに行く必要があったのです。外はどんよりと曇った状態で、雨が降りそうでしたが、それを気にしている場合ではありませんでした。私は急いで朝食を済ませた後、レインコートを掴み、電動スクーターに乗って牧師の家に向かいました。

 私はリー牧師の家に行き、それからワン牧師の家に行きました。彼らは私の困惑について「主イエスが受肉して再臨されたと宣教する者がいても、それは間違いなく虚偽です。惑わされないように、それを信じることは拒否しなければなりません」とだけ言いました。しかし、彼らは偽キリストの特徴と見た目に関しては、何もはっきりとした説明ができませんでした。私は彼らの返答にとてもがっかりし、困惑が解消されないままそこを後にしました。電源が切れた電動スクーターを雨の中で押しながら、私はまるでずぶ濡れになった猫のようでした。私は体と心の両方で寒気がしました。私は意気消沈してしまいました。

 夜になると、空に星はなく、月は分厚い雲の後ろに姿を隠し、空気中にはまだ蒸し暑さがありました。私は聖書を手に取り、主の御前で跪いて祈りを捧げました。「主よ!私は常にあなたの再臨を心待ちにしてきました。しかし、牧師と長老たちは見知らぬ人の言うことを聞いてはならないと私たち言います。それは惑わされるのを避けるためだと、彼らは言うのです。私には見極める力がありません、なのであなたの再臨を証言する福音には耳を傾けず、信じないようにしています。しかし、今あなたが再臨されるという預言はほぼ完全に成就しています。私はあなたの再臨をさらにお迎えしたくなりました。主よ、偽キリストに惑わされないためには、どうやって真キリストと偽キリストを見極めればよいのでしょうか?主よ、どうか私をお導きください。アーメン!」

2017年8月16日、水曜日、晴れ

 外は太陽が出て晴れ渡り、鳥たちはまるで良い知らせを広めているかのように、鳴きながらお互いをお追いかけ合っていました。さらに、主の信者であるリー姉妹が私に会いたがっていたので、私は気分が上々でした。彼女は、長年に渡って主のために働き宣教をしてきた姉妹が今日偶然彼女を尋ねてきているので、その姉妹とこの困惑について相談すればよいと言ってくれたのです。その姉妹と会った後、私は彼女の優しさを感じ、軽く挨拶をした後、単刀直入に自分の困惑を彼女に伝えました。

 私の話しを聞き終えたチェン姉妹は笑顔でこう言いました。「実は、主イエスは真キリストと偽キリストの見極め方についてかなり前から語っておられます。主はこう仰いました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24章23-24節) この御言葉から、偽キリストの持つ最も顕著な特徴は、人々を惑わすためにしるしと奇跡を行うということであることが分かります。彼らは神ではないし、真理を持ってもいないため、新たな時代を始め完結させるという働きはできません。彼らは神の働きの後ろに付き、神が以前行われた働きを真似て人々を騙すことしかできません。例えば、中国本土で言えばジー・サンバオとフア・シュエハ、韓国で言えばアン・シャンドンがそうです。彼らは全員しるしと奇跡を行うことができ、自分たちが神だと言い張ります。しかし、彼らは新しい働きをもたらすことができなかった上に、彼らが行ったしるしも神が既に以前の働きの中で行われているものでした。彼らは偽キリストです。しかし、神は決して同じ働きを繰り返されませんし、神は常に新しく、決して古くありません。律法の時代に人々を導くためにモーセを使って律法を発布された時も、恵みの時代に人間の罪を贖うために人の子となられ、十字架に磔にされた時も、神の各段階の働きは神の経営計画および人間が必要とするものに合わせてなされました。なので、終わりの日には、奇跡的なしるしと業を行うことできる人々を警戒しなくてはなりません。奇跡を起こして自らをキリストと名乗る者たちは偽キリスト以外の何者でもありません」。

 私は興奮してこう言いました。「主に感謝します。主はかなり前から偽キリストの特徴について語っておられたのです。どうして私はこんなに混乱していたのでしょう?これで私は 『偽キリストとは神が以前なされた働きを真似て、終わりの日に人々を惑わすために奇跡を起こす者たちのことである』 ということが分かりました。」 同時に私は突然こう考えました。「もし私の前に現われる人が自らをキリストだと宣言しても、不思議な業を起こさないとしたら、その人が真キリストだってことなの?偽キリストがその才能を見せなかったり、奇跡を行わないとしたら、どうやって彼らを見極めればいいのかしら?」こう考えると、私は思わず心配になって彼女にこう聞きました。「チェン姉妹、偽キリストはしるしと奇跡を行って、自らをキリストと名乗るとあなたは言われました。なので、彼らを見極めることが容易なのは分かりました。でも、自らをキリストと名乗るけれども、奇跡的な業を見せない人がいたとしたら、その人が真キリストということなんでしょうか?」



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