ここ数日、ニュースを賑わせていた例の「号泣会見」議員みたいな人について少し書いておきたい。
●絶叫号泣議員みたいな人間は世の中にたくさん居る
あの「号泣会見」については、その「号泣ぶり」が注目されてネタ動画などの材料になり、そもそも会見のきっかけとなった疑惑などは霞んでしまった感がある。
確かに、あのオーバーすぎる「絶叫」アクションを交えた「独演会」が人々のおかしみの感情を誘うのは当たり前だったかもしれない。
記者会見の動画がおもしろニュースとして広く拡散した割には、そのきっかけとなったもともとの疑惑は、(おそらくは実態のない)出張の交通費と称して300万円程をせしめたというものであり、政治家の疑惑としては大したことはないと言えるのかもしれない。
とはいえ、あの手の人物は我々の社会のそこら中におり、誰もがいつか出くわす可能性があるのだということを強く指摘しておきたい。
「ああいう手合いと出くわしたことがない」、という人は幸せである。
しかし、出会ったことがないのなら、彼らへの対処法も知らないということだろうから、運悪く出会ったが最後、彼らに振り回されて疲弊するだけならまだマシなほうで、まんまと利用されて悪事の片棒を担がされるか、最悪の場合には彼らの犠牲者となって社会的/肉体的生命を失うことになることもありうるのだ。
●相手に回避を選択させて自分の要求を通す戦略
彼らの採用する戦略はいたってシンプルだ。
「相手に自分はめんどくさい奴なのだと思わせて、自分への追及をさせずに自分の要求を一方的に通す」
これに尽きる。
彼らと直接関わらなければならない者たちからの、「まともに関わるとめんどくさい…」「厄介な奴だからどうでもいいや、あいつの好きなようにやらせよう…」という反応。
一般人のこういう諾々とした対応を利用して、彼らはますます好き勝手な行動に出るようになる。
公金横領は、そのように組織の中でフリーハンドを得た者が、最も初期に発覚させられやすい不祥事・犯罪のうちの一つである。
本来、資金の運用を適切に管理・監査しなければならない立場の者たちが、「彼らと関わると面倒…」「厄介な奴に反論すると後が怖い…」と考えて、彼らの要求をそのまま通すようになってしまうからである。
彼らの組織内への「浸潤」がさらに進むと、権力者に取り入りデマを流す、書類の偽造などによって権力構造へ容喙し、はじめは非公式に権力をふるい、後には公式にも地位を得て、本格的に組織を乗っ取ることになる。
●「絶叫号泣」は見覚えのある光景
職務上の大きなミス、不正やなんらかの犯罪行為等の疑惑が浮上し、直接問いただされた時の彼らの反応は、だいたい決まっている。
大声で絶叫する、あるいは泣き喚く
机をバンバン叩く
法的手段をちらつかせる
私的な報復をにおわせる
他人にも責任はあると開き直る
自殺をほのめかす
そう、私はこの手口を知っている。
サイコパスの芝居だ。
プライドの高い彼らにとって、公の場で自身の疑惑を追及されるなどということは、あってはならないことなのだ。だから会見などの場でのああいう極端な態度となって表れる。
派手な絶叫や机バンバンをひとしきり終えると、それなりにスッキリするのか(エシディシと比較されていたが)、そもそもまったく謝罪もしていないし疑惑にも答えていないにもかかわらず、彼らの中では「もう終わったこと」フラグが勝手に立てられるらしい。
辞職を念頭に…と口走ったそうだが、彼らにとってはあくまで口頭でのものであって証拠はない。これ以上の追及がなければ、数日も経てば、自分が言ったことも都合の悪いことも、「号泣会見」のことさえもすっかりスッキリと忘れて、彼らの中では「なかったこと」にされているだろう。
そして言うだろう。「辞職と言ったという証拠はあるんですかぁ!?」と。
彼らの中では、直接追及されなければ、証拠がなければ、それは起こらなかったのと同じことなのだ。
●黙認してきた者たちにも責任がある
「めんどくさそうな人」という評価が周囲の人間や、本来彼らを監査監督しなければならない立場の者からのスルーという反応を生み、彼らはフリーハンドを得る。
彼らを増長させたのには、彼ら自身の特異な性格もさることながら、彼らの独演と要求をうつむいたまま聞き、黙って彼らの言い分を通し、彼らの意に諾々と従ってきただけの人々にも責任はある。
もちろん、一番悪いのは性格破綻者ともいえる当人だが、周囲の臆病者たちが後難をおそれて彼らの行為を黙認してきた罪は決して軽くないと思う。
組織がまともであれば、彼らが潜り込んで地位を得て権力を握るのは簡単なことではない。彼らの正体を見抜き、「口先だけの人間だから重く用いてはならない」と助言する者が必ず出てくるからだ。
劉備が馬謖を評したように、あるいは山下将軍が辻政信を評したように。
しかし、組織の中枢にある者たちが、事なかれ主義、臆病者ばかりだったり、組織の上層部の者の中に、彼らの見せかけの才能や魅力に惚れ込んでしまう者が居ると、彼らは組織の障壁をやすやすと突破して、組織の中に確固たる地位を築いてしまう。こうなると、もはや「除去」は簡単ではない。
●事なかれ主義が「恥」なき人々を跋扈させる
「こいつと関わりたくない」「要求を素直に受け入れることでこいつと関わる機会を減らすことができるのならば、多少はこいつの言い分を受け入れてしまえばいい」そう考える人間が少なくない、どころか日本人の多くがそういう人間だからこそ、この手の人間が世にはびこってきたと言える。
このような、その場をしのげればいいという事なかれ主義の臆病な態度こそが、「なんでそんなになるまで周囲の者は放置しておいたのか?」「なぜ警察は動かなかったのか?」「なぜ数十年前の出来事を何度も蒸し返されて謝罪と賠償を迫られるのか?」という事件や出来事が頻発する原因になっているのではないか?
彼らは他人に対しては「証拠はあるのか?」「こんなことをしてタダで済むと思うな」などと発言しておきながら、自身の犯罪行為の決定的な証拠が出てきても、以前の自身の発言との矛盾を恥じるようなことは全くない。
直接追及されなければよい。その場をごまかすことができれば構わない。
後で自身の赤っ恥なウソや犯罪行為がバレても、「シレッとしている」のが彼らの特徴である。
そう、彼らには「恥」という概念がないのだ。
●恥の概念なき狂人にどう対処するか
どこにでも存在し、いつ目の前に現れるかもしれない彼らへの対処法は、会ったり交渉したりするのは必ず公式の場で行ない、発言はすべて記録しておくことだ。
くれぐれも、面倒だから内々に処理しようなどと考えてはいけない。裏交渉などもってのほかだ。
彼らは、証拠さえなければ、自分の「あった/言った」はすべて否定してシラを切り通せると本気で考えている連中なのだ。
また、本筋と関係のないこちらの落ち度を認めてもいけない。
彼らは攻撃の材料を得たと喜び、自分の行為を棚に上げて、そこだけを何度でも蒸し返してくる。
そういう連中が、この世には本当に居るのだ。
彼らは「誰か」あるいは「どこか」ととてもよく似ている。
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●絶叫号泣議員みたいな人間は世の中にたくさん居る
あの「号泣会見」については、その「号泣ぶり」が注目されてネタ動画などの材料になり、そもそも会見のきっかけとなった疑惑などは霞んでしまった感がある。
確かに、あのオーバーすぎる「絶叫」アクションを交えた「独演会」が人々のおかしみの感情を誘うのは当たり前だったかもしれない。
記者会見の動画がおもしろニュースとして広く拡散した割には、そのきっかけとなったもともとの疑惑は、(おそらくは実態のない)出張の交通費と称して300万円程をせしめたというものであり、政治家の疑惑としては大したことはないと言えるのかもしれない。
とはいえ、あの手の人物は我々の社会のそこら中におり、誰もがいつか出くわす可能性があるのだということを強く指摘しておきたい。
「ああいう手合いと出くわしたことがない」、という人は幸せである。
しかし、出会ったことがないのなら、彼らへの対処法も知らないということだろうから、運悪く出会ったが最後、彼らに振り回されて疲弊するだけならまだマシなほうで、まんまと利用されて悪事の片棒を担がされるか、最悪の場合には彼らの犠牲者となって社会的/肉体的生命を失うことになることもありうるのだ。
●相手に回避を選択させて自分の要求を通す戦略
彼らの採用する戦略はいたってシンプルだ。
「相手に自分はめんどくさい奴なのだと思わせて、自分への追及をさせずに自分の要求を一方的に通す」
これに尽きる。
彼らと直接関わらなければならない者たちからの、「まともに関わるとめんどくさい…」「厄介な奴だからどうでもいいや、あいつの好きなようにやらせよう…」という反応。
一般人のこういう諾々とした対応を利用して、彼らはますます好き勝手な行動に出るようになる。
公金横領は、そのように組織の中でフリーハンドを得た者が、最も初期に発覚させられやすい不祥事・犯罪のうちの一つである。
本来、資金の運用を適切に管理・監査しなければならない立場の者たちが、「彼らと関わると面倒…」「厄介な奴に反論すると後が怖い…」と考えて、彼らの要求をそのまま通すようになってしまうからである。
彼らの組織内への「浸潤」がさらに進むと、権力者に取り入りデマを流す、書類の偽造などによって権力構造へ容喙し、はじめは非公式に権力をふるい、後には公式にも地位を得て、本格的に組織を乗っ取ることになる。
●「絶叫号泣」は見覚えのある光景
職務上の大きなミス、不正やなんらかの犯罪行為等の疑惑が浮上し、直接問いただされた時の彼らの反応は、だいたい決まっている。
大声で絶叫する、あるいは泣き喚く
机をバンバン叩く
法的手段をちらつかせる
私的な報復をにおわせる
他人にも責任はあると開き直る
自殺をほのめかす
そう、私はこの手口を知っている。
サイコパスの芝居だ。
プライドの高い彼らにとって、公の場で自身の疑惑を追及されるなどということは、あってはならないことなのだ。だから会見などの場でのああいう極端な態度となって表れる。
派手な絶叫や机バンバンをひとしきり終えると、それなりにスッキリするのか(エシディシと比較されていたが)、そもそもまったく謝罪もしていないし疑惑にも答えていないにもかかわらず、彼らの中では「もう終わったこと」フラグが勝手に立てられるらしい。
辞職を念頭に…と口走ったそうだが、彼らにとってはあくまで口頭でのものであって証拠はない。これ以上の追及がなければ、数日も経てば、自分が言ったことも都合の悪いことも、「号泣会見」のことさえもすっかりスッキリと忘れて、彼らの中では「なかったこと」にされているだろう。
そして言うだろう。「辞職と言ったという証拠はあるんですかぁ!?」と。
彼らの中では、直接追及されなければ、証拠がなければ、それは起こらなかったのと同じことなのだ。
●黙認してきた者たちにも責任がある
「めんどくさそうな人」という評価が周囲の人間や、本来彼らを監査監督しなければならない立場の者からのスルーという反応を生み、彼らはフリーハンドを得る。
彼らを増長させたのには、彼ら自身の特異な性格もさることながら、彼らの独演と要求をうつむいたまま聞き、黙って彼らの言い分を通し、彼らの意に諾々と従ってきただけの人々にも責任はある。
もちろん、一番悪いのは性格破綻者ともいえる当人だが、周囲の臆病者たちが後難をおそれて彼らの行為を黙認してきた罪は決して軽くないと思う。
組織がまともであれば、彼らが潜り込んで地位を得て権力を握るのは簡単なことではない。彼らの正体を見抜き、「口先だけの人間だから重く用いてはならない」と助言する者が必ず出てくるからだ。
劉備が馬謖を評したように、あるいは山下将軍が辻政信を評したように。
しかし、組織の中枢にある者たちが、事なかれ主義、臆病者ばかりだったり、組織の上層部の者の中に、彼らの見せかけの才能や魅力に惚れ込んでしまう者が居ると、彼らは組織の障壁をやすやすと突破して、組織の中に確固たる地位を築いてしまう。こうなると、もはや「除去」は簡単ではない。
●事なかれ主義が「恥」なき人々を跋扈させる
「こいつと関わりたくない」「要求を素直に受け入れることでこいつと関わる機会を減らすことができるのならば、多少はこいつの言い分を受け入れてしまえばいい」そう考える人間が少なくない、どころか日本人の多くがそういう人間だからこそ、この手の人間が世にはびこってきたと言える。
このような、その場をしのげればいいという事なかれ主義の臆病な態度こそが、「なんでそんなになるまで周囲の者は放置しておいたのか?」「なぜ警察は動かなかったのか?」「なぜ数十年前の出来事を何度も蒸し返されて謝罪と賠償を迫られるのか?」という事件や出来事が頻発する原因になっているのではないか?
彼らは他人に対しては「証拠はあるのか?」「こんなことをしてタダで済むと思うな」などと発言しておきながら、自身の犯罪行為の決定的な証拠が出てきても、以前の自身の発言との矛盾を恥じるようなことは全くない。
直接追及されなければよい。その場をごまかすことができれば構わない。
後で自身の赤っ恥なウソや犯罪行為がバレても、「シレッとしている」のが彼らの特徴である。
そう、彼らには「恥」という概念がないのだ。
●恥の概念なき狂人にどう対処するか
どこにでも存在し、いつ目の前に現れるかもしれない彼らへの対処法は、会ったり交渉したりするのは必ず公式の場で行ない、発言はすべて記録しておくことだ。
くれぐれも、面倒だから内々に処理しようなどと考えてはいけない。裏交渉などもってのほかだ。
彼らは、証拠さえなければ、自分の「あった/言った」はすべて否定してシラを切り通せると本気で考えている連中なのだ。
また、本筋と関係のないこちらの落ち度を認めてもいけない。
彼らは攻撃の材料を得たと喜び、自分の行為を棚に上げて、そこだけを何度でも蒸し返してくる。
そういう連中が、この世には本当に居るのだ。
彼らは「誰か」あるいは「どこか」ととてもよく似ている。
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このブログ主もサイコパスですね。
でも、本人はわかってないから精神障害ラベリング症候群(PDLS)になるのかな。
最近、サイコパスより厄介だと言われているようです。
http://anond.hatelabo.jp/20140608121343
私についてならhttp://blog.goo.ne.jp/spoichi/e/3ec051c6d74ff4722a89084beed7377bで書いているように、そういう考え方も出来ることは否定しません。いわゆる「深淵を覗き込むものは…」というやつです。
確かに最近ではネットを中心に、ちょっと察しの悪い人がいると「アスペ」呼ばわりしたりと、安易に精神病質をラベリングしたがる人が多い傾向があります。
これは例えば「容疑者はアニメオタク」などの報道と同じく、異常な行動をした人物の異質性を発見・強調することで、自分達とは違う特異なケースなのだという安心を求める欲求に沿ったものといえます。