スポイチ編集長日誌

最近はGTAオンラインの攻略ばっかりです。
日付そのままで修正・追記したりします。

人間も「全電源喪失」状態を想定すべきか

2012年09月01日 | 社会
9月1日は「防災の日」として避難訓練などが行なわれることが多いが、「3月11日」もまた、防災意識を高める日として将来にわたり繰り返し強調されることになるだろう。奇しくもちょうど半年に一度、必ず防災について考えざるを得ない日がやってくるのだ。

しかし、一個人の努力で災害から生き残る確率を高めることが出来るかどうかについては疑問がある。3.11で私が死ななかったのは、たまたま津波が襲った場所に居なかったからにすぎない。
あの時は都内に居たのだが、地震の揺れは大きかったが規則正しい(?)横揺れだったので、震源地は遠いと思った(揺れ方はあまり判断の基準には出来ないそうだが)。
ただし、割と海に近い場所に居たにもかかわらず、津波という意識は頭から完全に抜け落ちており、すぐに海から離れるという行動はとらなかった。
「大津波警報」は既に発令されていたが、周囲にいた人たちは顔を見合わせて、大変なことになったと曖昧に笑っているだけだった。たぶん皆どうしていいか分からず当惑していたのだろう。これがいわゆる安全バイアスというやつだ。
帰宅するため歩いている道中にも、一体何を待っているのか、上司の指示でも待っていたのか、点呼でも取っていたのか、会社の建物の外でじっと待機している人々をたくさん見た。もしもあそこに大津波が来襲していたら、みんな死んでいただろう。
携帯やネットはつながらず、ラジオと街頭テレビの時代に逆戻りするかと思われた。しかし、当日の夜には携帯もメールも回復し、停電もしなかったので家族に連絡し、安否を確認することができた。情報回線が生きていたので、翌日の未明には東北の被害の大きさを知ることができた。

だが、これは震源や被災した場所から遠かったから、インフラ(情報インフラ含む)が被害を受けなかったという偶然の幸運によるものにすぎない。

もしも情報を届けるインフラや、情報の送り手(東京に集まっている)の人や機材が軒並み被災して大きなダメージを受け、情報を発信することが不可能になっていたらどうだったか。
ツイッター?SNS?これらもネットが不通になれば使えないし、携帯機器のバッテリーはすぐに消耗してしまう。バッテリーは消耗しなくても水に濡れればダメになるし、充電するにも充電できる交流電源が死んでいたらアウトだ。
あの震災直後に、例えばGoogle社が迅速に情報提供サービスを開始できたのは、その設備と人が無事、つまり六本木ヒルズが無事だったからだ。

3.11以前の原発屋さんたちは、全交流電源喪失、長時間のステーションブラックアウトを「想定する必要なし」とし、まともな対策をしなかった。このことが、福島の事故が過酷化する一因となった。

起きる可能性が極めて低いとされてきたことが起きたのだから、一個人が「全電源喪失状態」を想定しておくのも無駄なことではあるまい。もっとも、3.11以前ならば鼻で笑われたであろうが。
電源を必要とするデバイスが提供してくれる情報に一切頼れない、そういう状況が何時間か、何日か、あるいは何週間か続くことを想定しなければならないのかもしれない。その時に頼れるのは自分で考え、判断できる頭ということになるのだろう。とはいえ俺にはそんな自信は無い。



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