暑くなってくると、「あ、そろそろクーデターが起こる季節だなあ」とかなるぐらい、もはやクーデターによる政権交代が日常茶飯の季節モノになってるような国もあるみたいです。日本で言うところの阪神のお家騒動とか某オーナーの毎度の現場介入みたいに毎年の風物詩になってるようなもんですかね。
で、今日5月15日と言えば、五・一五事件の日なんですが、じゃあ現代の日本で国軍(自衛隊)が蜂起したらどうなりますでしょうか?
日本では一般人(民間人)は武装してませんし、警察も一応対テロ部隊を持っているとしても武力では軍よりだいぶ落ちます。
米軍がどう動くかによりますが、軍事的に首都の中心を占拠して行政府と立法府を掌握するのは現実にそんなに難しくはないでしょう。
なんで自衛隊がクーデターをやらないのかと言えば、「国民の支持が得られないから」ということになってるみたいですが、でもこれって逆に言えば国民の支持が得られればやっちゃうこともありうる、ということになりますよね。
はあ?憲法?知らん。
今の時代の世論が、もはや名ばかりの自由と民主主義の名の下に私腹を肥やし続ける欲ボケ利権ジジイよりも、理想を掲げる青年将校を選ばない、と断言できる自信がもはや俺にはありません。
あーこわいこわいー。
五・一五事件は軍の組織と装備を動員してのクーデターではなく(軍の組織単位で蜂起したのは二・二六事件)、少数の将校と士官学校生らによる決起でしたが、それでも犬養首相の暗殺には成功している。
一応、現在の”民主主義”的な価値観から見た場合、「軍人が現職総理を暗殺するなどどんな理由があっても許されな~い」ということをタテマエとして言っとかないといけないのでしょうが、五・一五事件が起きた当時は世界不況の最中にもかかわらず、腐敗しながら国民を無視して政争にばかり明け暮れていた政治家連中がブッ殺されて、「ざまぁ」と快哉を叫んだ人も多かったわけです。事実としてね。
だから、蹶起者らに対する減刑運動が起きたりもしましたし、実際に彼らが大した罪には問われなかったことにより、さらに二・二六事件が起こり、昔から臆病なことでは定評のある政治家やマスコミは、軍に迎合するか沈黙を決め込んだというわけです。その後の歴史の展開は周知の通り。
で、支持といえば、実際にもう一定レベルでクーデターでもなんでも支持する層というのは居るんではないか。
利権まみれのジジイ連中による、民主主義という名の言葉遊びが続くよりはマシだって言ってね。「希望は、戦争」なんて公然と言っちゃう人も出てくる段階にまでなってるしね。それにそういう人にとっては「平和」も「自由」もまた偽りのものだそうだから。
時代の空気は”戦後”から脱却し、新たな「戦前」へと確実に移ってきている。
このわたくしとて自由と平和と民主主義を守る事にはやぶさかではありませんが、利権まみれのイナカジジイを守る理由は見当たりません。
そもそも、「自由と平和と民主主義を守れ…」と言われましても、その自由とか民主主義とか平和って、実はもうとっくに喪われているのではないか。
そんなものの存在を無邪気に信じているのは、よほどの世間知らずなイナカモノと、そういうものが今もあるのだということにしておきたい老人と政治家と官僚だけじゃないですかね。
だいたい、”後期高齢者”に近い御年の方が、若者の将来とかこの国の将来をまともに考えるとは思いません。考えてないからこその、「今、この光景」じゃあないんですか。
”蹶起者”に賛同まではしなくとも、目の前で利権まみれのイナカ選出ジジイが「たたた助けてくれ~!」とか泣き喚いてても華麗にスルーしない自信がありません。
老人よ。せめて終わりぐらいは潔う、な…。
で、今日5月15日と言えば、五・一五事件の日なんですが、じゃあ現代の日本で国軍(自衛隊)が蜂起したらどうなりますでしょうか?
日本では一般人(民間人)は武装してませんし、警察も一応対テロ部隊を持っているとしても武力では軍よりだいぶ落ちます。
米軍がどう動くかによりますが、軍事的に首都の中心を占拠して行政府と立法府を掌握するのは現実にそんなに難しくはないでしょう。
なんで自衛隊がクーデターをやらないのかと言えば、「国民の支持が得られないから」ということになってるみたいですが、でもこれって逆に言えば国民の支持が得られればやっちゃうこともありうる、ということになりますよね。
はあ?憲法?知らん。
今の時代の世論が、もはや名ばかりの自由と民主主義の名の下に私腹を肥やし続ける欲ボケ利権ジジイよりも、理想を掲げる青年将校を選ばない、と断言できる自信がもはや俺にはありません。
あーこわいこわいー。
五・一五事件は軍の組織と装備を動員してのクーデターではなく(軍の組織単位で蜂起したのは二・二六事件)、少数の将校と士官学校生らによる決起でしたが、それでも犬養首相の暗殺には成功している。
一応、現在の”民主主義”的な価値観から見た場合、「軍人が現職総理を暗殺するなどどんな理由があっても許されな~い」ということをタテマエとして言っとかないといけないのでしょうが、五・一五事件が起きた当時は世界不況の最中にもかかわらず、腐敗しながら国民を無視して政争にばかり明け暮れていた政治家連中がブッ殺されて、「ざまぁ」と快哉を叫んだ人も多かったわけです。事実としてね。
だから、蹶起者らに対する減刑運動が起きたりもしましたし、実際に彼らが大した罪には問われなかったことにより、さらに二・二六事件が起こり、昔から臆病なことでは定評のある政治家やマスコミは、軍に迎合するか沈黙を決め込んだというわけです。その後の歴史の展開は周知の通り。
で、支持といえば、実際にもう一定レベルでクーデターでもなんでも支持する層というのは居るんではないか。
利権まみれのジジイ連中による、民主主義という名の言葉遊びが続くよりはマシだって言ってね。「希望は、戦争」なんて公然と言っちゃう人も出てくる段階にまでなってるしね。それにそういう人にとっては「平和」も「自由」もまた偽りのものだそうだから。
時代の空気は”戦後”から脱却し、新たな「戦前」へと確実に移ってきている。
このわたくしとて自由と平和と民主主義を守る事にはやぶさかではありませんが、利権まみれのイナカジジイを守る理由は見当たりません。
そもそも、「自由と平和と民主主義を守れ…」と言われましても、その自由とか民主主義とか平和って、実はもうとっくに喪われているのではないか。
そんなものの存在を無邪気に信じているのは、よほどの世間知らずなイナカモノと、そういうものが今もあるのだということにしておきたい老人と政治家と官僚だけじゃないですかね。
だいたい、”後期高齢者”に近い御年の方が、若者の将来とかこの国の将来をまともに考えるとは思いません。考えてないからこその、「今、この光景」じゃあないんですか。
”蹶起者”に賛同まではしなくとも、目の前で利権まみれのイナカ選出ジジイが「たたた助けてくれ~!」とか泣き喚いてても華麗にスルーしない自信がありません。
老人よ。せめて終わりぐらいは潔う、な…。