前世紀末ごろより、「上」の国がミサイルやら何やらで騒がしくなってくると、なぜか鉄道など交通関係で事故が起こるという印象がすっかり強くなった。
今回ももしや呼応攻撃かとも思ったが、あっちの動向と関連のある政治的なものではないようだ。だが、自動車の暴走でたくさんの人が殺された。
もっとも、それ以前にあっちの事大主義者共がその正規軍を以て正々堂々と正面攻撃をしてくることなど絶対にありえない。それについてはいずれ書く。
当初は、「てんかん」の発作が原因となった可能性が指摘されたのだが、事故を起こした加害者が死亡している上に、暴走中の状態から、てんかんの発作による事故だったかは疑わしいという見方が強くなってきている。
そもそも今回の加害者は交通事故による頭部負傷の後遺症として発作を起こすようになったとされ、それは先天的なてんかんというより、「てんかん様発作(てんかんよう発作)」とでも言うべきだろう。しかし今後、てんかんは珍しい病気ではなく誰でも突然になる(発作を起こして初めて気づく)病気であることが広く知られ、また何らかの脳障害の後遺症として、てんかんと似た発作(てんかん様発作)が起こったり、性格が変化することがあり得ることが周知され理解が進むことになったとしても、相変わらず「てんかん患者から免許を取り上げろ」の大合唱が続くのならば、「持病を隠す」ことが最適解となってしまう。また、「てんかん様発作」という言葉が一般的になっても、「てんかんさま」のようにネットのネタとして消費されるだけかもしれない。それらもあまり愉快なことではない。
そして今後の捜査次第で、仮に暴走はてんかんと無関係ということになったらなったで、次に叩かれ、槍玉にあげられるのは、事故を起こしたパニックで暴走してしまうような、「突発的な状況に対応できず、周囲の状況を省みずに衝動的な振る舞いに出る人」たちの存在になる。
この社会で評価されるのは主に平時における振る舞いについてなので、突発的な非常事態に際してパニックを起こしたり、思い切り不適切な行動に出る人は、実は日本の偉い人たちの中にもいっぱいいる。
原発事故の一番大変だった時期に病院に逃げ込んじゃった電力会社の社長さんとか、ベントでもめてた時に勝手に「一時帰宅」しちゃった「まだらめぇ」さんとか。
とすると、今回の事故では、最初の追突事故後の対応が思い切り不適切で不幸な結果を招いたことになる。
事故に対する当初の反応は、てんかん、特にてんかん患者が自動車を運転することに対する非難一色だったが、警察は暴走は有意識下のものであったと捉えて家宅捜索を行なうなど、風向きは変わりつつある。風向きが変われば有象無象の変わり身は早い。
筒井康隆氏の一件にも見られるように、てんかん関連の組織は一定の政治発言力を持っている。マスコミは臆病だから、そういうところに対しては遠慮がちになる。その姿勢こそが数々の外患誘致組織をのさばらせてきたのだが。
よって、おそらく今後はてんかん叩きは見る見る沈静化し、次にターゲットにされるのはおそらく、たとえばパニック障害とかうつ病とかADHDとかアスペルガーという名前になる。これらには圧力団体は存在しないから。もちろん、これらに対する叩きはてんかんに対するものと同じように、ただの無知と偏見から発しており、あたかもマスコミという暴走車が、叩きやすい所に次々とぶつかっていくようなものだ。
こういう交通事故が起こるたびに不思議なのは、常に事故は「個人」の資質の問題とされ、車社会やその技術は責任の埒外に置かれることだ。もちろん自動車が我々の社会に与えている利便性が大きいからというのが第一の理由ではあろうが、自動車の事故を未然に防ぐための技術については、実験レベルを除いてあまり向上していないし、そのことが批判されることは、とくにマスコミの場においてはほぼ無い。
自動車の操作方法は、基本的にはその登場時からほとんど変わらず、特にアクセルとブレーキという、全く相反する機能を持つものを隣同士に並べた上で、さらに同じ足で同じ方向に踏み込むという、現代に設計されていたらまずありえないような危険なデバイス配置を続けている。
また、今回の事故でも暴走の発端となったように、タクシーは追突されることが多い。なぜか。タクシーは客を見つければところ構わずいきなり急停止するからだ。しかも、個人タクシーでなければ被追突事故の費用は会社持ちだから、追突されないことに対する運転手の意識も下がる。だから「タクシーの後ろは走るな」は常識だった。
かつてはタクシー運転手といえば、ある程度運転技量の高い者達であったが、長い不景気で「新規参入者」が増えた結果、現代の車道上でもっとも警戒すべき車両は、DQN軽やミニバンと並んで、「最近他業界から流れ着いた素人ドライバーが駆るタクシー」である。
他にも交通事故等で後遺障害(とくに脳に)を負った人に対するケアはどうなっていたのかや、車の運転が必須という職種の多さ(とくに地方)、一定以上の年齢での転職の難しさなど、問題はいろいろある。
米国で銃の乱射などの事件がどれだけ起きても、かの国が銃規制や銃の所持禁止に向かうことは決してないし、我々はそれを奇異な現象として見ている。
しかし、自動車が交通事故でどれだけ人を殺しても、マスコミの論調や世論が決して車の規制や事故を未然に防ぐための衝突防止技術の実装の義務化(ぶつかった後の乗員保護のための技術は確かに向上はしているが)には向かわないのは、アメリカにおける銃の問題と相似の関係にある。
叩きやすい所だけを叩くでは、また何度でも同じようなことが起こる。それは今回の事故に限ったことではない。
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今回ももしや呼応攻撃かとも思ったが、あっちの動向と関連のある政治的なものではないようだ。だが、自動車の暴走でたくさんの人が殺された。
もっとも、それ以前にあっちの事大主義者共がその正規軍を以て正々堂々と正面攻撃をしてくることなど絶対にありえない。それについてはいずれ書く。
当初は、「てんかん」の発作が原因となった可能性が指摘されたのだが、事故を起こした加害者が死亡している上に、暴走中の状態から、てんかんの発作による事故だったかは疑わしいという見方が強くなってきている。
そもそも今回の加害者は交通事故による頭部負傷の後遺症として発作を起こすようになったとされ、それは先天的なてんかんというより、「てんかん様発作(てんかんよう発作)」とでも言うべきだろう。しかし今後、てんかんは珍しい病気ではなく誰でも突然になる(発作を起こして初めて気づく)病気であることが広く知られ、また何らかの脳障害の後遺症として、てんかんと似た発作(てんかん様発作)が起こったり、性格が変化することがあり得ることが周知され理解が進むことになったとしても、相変わらず「てんかん患者から免許を取り上げろ」の大合唱が続くのならば、「持病を隠す」ことが最適解となってしまう。また、「てんかん様発作」という言葉が一般的になっても、「てんかんさま」のようにネットのネタとして消費されるだけかもしれない。それらもあまり愉快なことではない。
そして今後の捜査次第で、仮に暴走はてんかんと無関係ということになったらなったで、次に叩かれ、槍玉にあげられるのは、事故を起こしたパニックで暴走してしまうような、「突発的な状況に対応できず、周囲の状況を省みずに衝動的な振る舞いに出る人」たちの存在になる。
この社会で評価されるのは主に平時における振る舞いについてなので、突発的な非常事態に際してパニックを起こしたり、思い切り不適切な行動に出る人は、実は日本の偉い人たちの中にもいっぱいいる。
原発事故の一番大変だった時期に病院に逃げ込んじゃった電力会社の社長さんとか、ベントでもめてた時に勝手に「一時帰宅」しちゃった「まだらめぇ」さんとか。
とすると、今回の事故では、最初の追突事故後の対応が思い切り不適切で不幸な結果を招いたことになる。
事故に対する当初の反応は、てんかん、特にてんかん患者が自動車を運転することに対する非難一色だったが、警察は暴走は有意識下のものであったと捉えて家宅捜索を行なうなど、風向きは変わりつつある。風向きが変われば有象無象の変わり身は早い。
筒井康隆氏の一件にも見られるように、てんかん関連の組織は一定の政治発言力を持っている。マスコミは臆病だから、そういうところに対しては遠慮がちになる。その姿勢こそが数々の外患誘致組織をのさばらせてきたのだが。
よって、おそらく今後はてんかん叩きは見る見る沈静化し、次にターゲットにされるのはおそらく、たとえばパニック障害とかうつ病とかADHDとかアスペルガーという名前になる。これらには圧力団体は存在しないから。もちろん、これらに対する叩きはてんかんに対するものと同じように、ただの無知と偏見から発しており、あたかもマスコミという暴走車が、叩きやすい所に次々とぶつかっていくようなものだ。
こういう交通事故が起こるたびに不思議なのは、常に事故は「個人」の資質の問題とされ、車社会やその技術は責任の埒外に置かれることだ。もちろん自動車が我々の社会に与えている利便性が大きいからというのが第一の理由ではあろうが、自動車の事故を未然に防ぐための技術については、実験レベルを除いてあまり向上していないし、そのことが批判されることは、とくにマスコミの場においてはほぼ無い。
自動車の操作方法は、基本的にはその登場時からほとんど変わらず、特にアクセルとブレーキという、全く相反する機能を持つものを隣同士に並べた上で、さらに同じ足で同じ方向に踏み込むという、現代に設計されていたらまずありえないような危険なデバイス配置を続けている。
また、今回の事故でも暴走の発端となったように、タクシーは追突されることが多い。なぜか。タクシーは客を見つければところ構わずいきなり急停止するからだ。しかも、個人タクシーでなければ被追突事故の費用は会社持ちだから、追突されないことに対する運転手の意識も下がる。だから「タクシーの後ろは走るな」は常識だった。
かつてはタクシー運転手といえば、ある程度運転技量の高い者達であったが、長い不景気で「新規参入者」が増えた結果、現代の車道上でもっとも警戒すべき車両は、DQN軽やミニバンと並んで、「最近他業界から流れ着いた素人ドライバーが駆るタクシー」である。
他にも交通事故等で後遺障害(とくに脳に)を負った人に対するケアはどうなっていたのかや、車の運転が必須という職種の多さ(とくに地方)、一定以上の年齢での転職の難しさなど、問題はいろいろある。
米国で銃の乱射などの事件がどれだけ起きても、かの国が銃規制や銃の所持禁止に向かうことは決してないし、我々はそれを奇異な現象として見ている。
しかし、自動車が交通事故でどれだけ人を殺しても、マスコミの論調や世論が決して車の規制や事故を未然に防ぐための衝突防止技術の実装の義務化(ぶつかった後の乗員保護のための技術は確かに向上はしているが)には向かわないのは、アメリカにおける銃の問題と相似の関係にある。
叩きやすい所だけを叩くでは、また何度でも同じようなことが起こる。それは今回の事故に限ったことではない。
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