スポイチ編集長日誌

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体罰教師「一体どうすれば解決するんですか?」市長「首置いてけ」

2013年01月21日 | 社会
ファイナル・オプション(最後の手段)としての暴力をどうしても手放したくない人々というのが世の中に多いからこそ、学校の体罰は無くならないし、核兵器は無くならないし、アメリカ人は銃を手放さない。

今回発覚した市立高校における教員による暴行事件では、学校内で絶対的な権力を手にした教員が、合法的に子供を殴れるように勝手な理屈をひねくり回し、生徒だけでなく保護者も洗脳しているということで、まるで一種のカルトの様相を呈している。
これでは仮に教員を全員異動させるか廃校にしたところで、問題教員は他の学校へと散っていくことになるだろうから、まるで蜘蛛の子を散らすように、病んだ菌糸が山中に広がるように、穢れた遺伝子が他の場所へと伝播していくことになる。

また、生徒も暴力行為を見てみぬフリを続け、生徒も保護者も我が身我が子の行く末にしか関心がない。こんな有様では共犯関係と言われても仕方がないだろう。

橋下市長は入試の中止を(予算を人質に)要請しているが、今回はどちらかというと「学校」とか「教育」に価値を認めている人ほど、「教育への政治の介入」として批判的であるように見える。

橋下市長が「恵まれた公立校教員」や一種の「スポーツエリート」に対する庶民の反感を利用しているのはいつも通りではあるが、こうした動きに対して今回は主なマスコミが当初から市長に批判的なのが、これまでとは大きく異なる点だ。

だが、問題教員は事情聴取もされないままで、彼を擁護放置し続けた体質もそのままに存続を許せば、また同じ事をやるだろう。既に別の部活で体罰が発覚した際、一時的に顧問を外したが、後にしれっと復職させた「前科」がある。これではとても「顧問から外す」だけでは市長は手を打つまい。

今回のような事件が起こった場合、問題を起こした張本人はグダグダ言い訳とか土下座とかしないでいいから、さっさと自分で自分にケリをつけてくれればいいのだが、奴等は鈍くて臆病なのでなかなか宇宙と一体化してくれない。
自分自身の行為が問題になっているのに、まるで気づかないかのごとく「生徒を巻き込むのは…」だの「受験生を巻き込むのは…」などと、なるべく自分より立場の弱い者を強引に大量に巻き込むことで「追及者」に対する人間の盾として使い、自身の逃げ切りを図ろうとする。
仕方がないので警察の名前を出すと、奴等は半ばパニックを起こして猛烈に反発し、反発したかと思えばすぐにしおしおと「それだけは勘弁を…」と来る。普段一体、どれだけヤバいことをやっているのか…。


もちろん、今回の橋下市長の目的は入試の中止自体ではないだろう。
予算の執行権を楯に学校教育の現場に介入を進める。分かりきったことではあるが、そこを考えて市長の言い分に反対という人も多いのだろう。だが、今回のような問題を起こしている学校に、守るべき教育の独立などもはや無い。

民意は既に学校を離れている。学校の自治だの教育の独立だのは、内部の人間が好き勝手をやるための方便なのだと民意はとうに見抜いている。そう確信しているからこそ、彼は強気に出ているのだ。


往来で他人の子供を30~40発も殴ればどんな理由があろうと即傷害罪で逮捕だが、「教育」と名が付けばそれが許されてしまうのが学校の中という閉鎖空間だ。

教育の独立とか学校の自治とかいう美名の下に、学校屋さんたちはまるで学内は治外法権であるとばかりにそのカーテンの内側にサディストの楽園を作り上げ、好き放題をやってきた。そのツケを払う時期が来たというだけのことだ。

学校の自治とか教育の自由ってのは治外法権のことじゃないんだよ。


だが、極端なことをやろうとする者、利権の総取りを目論む者は、必ずいずれは揺り戻しによって打撃を受けることになる。
これを、「抑止力」と言う。

もしも今回、橋下氏がやり過ぎるのであれば、心配は要らない。彼もまた別の抑止力により惨滅されるだけのことだ。

だが、おそらく彼はそこまではやらないと思う。
今までの経緯を見ると、彼は闘争を行なうときには必ず心の中に「制令線」を設けているように見える。
制令線というのは、軍隊が進撃・追撃する時に、「ここを越えて敵を追撃してはならない」と制限するラインのことだ。
彼は勝ちに乗じて相手を徹底的に痛めつけることはしない。
先の週刊朝日による「ハシシタ」記事の問題に際しても、連載中止や謝罪だけで収めずに、世論の支持を背景としてあくまでも雑誌の廃刊を要求したり、賠償を求めて裁判に出るという手段もあった。しかし彼はそこまではしなかった。
「人権」を背景に徹底的に追撃すれば、法的には有利にことを運べたかも知れない。しかし、相手を徹底的に追い詰める行動をとれば、それはすなわち彼や彼の支持者達が最も忌み嫌う「人権団体」と同じやり方をすることになってしまう。そこに気づいていたから、彼はあれ以上の追撃に出ることはしなかった、と捉えている。

今回も「入試中止」「廃校」という過激な要請(要求)を突きつけているものの、そこまでは進まないだろうと見る。来年度以降も予算の執行停止等で要求を出し続けることはできるだろうが、その頃には民意はこの問題に飽きているだろうし、やり過ぎと見なされれば逆に世論の反感を買う。

おそらく問題教員の離職+αで手は打てるだろうが(たぶん彼は、「大卒エリートのくせに自分が反撃を受けない立場でのみ子供を殴りまくる公立学校教員」のような人間のことが大嫌いである)、あの学校や教委はあたまが鈍そうだし、該当教員はなかなか自分でアレしてくれなさそうなので、しばらくはもめそうではある。


なお、「体罰教員や隠蔽した学校を罰すると、ますます隠蔽に走るようになる」という主張をなす者がある。
既に被害者のSOSを極限まで無視し隠蔽し続けた挙げ句に自死という最悪の結末を招いたからこそ、今のこの事態があるのだ。一体どうやってこれ以上の隠蔽体質になれるのか。そんな心配はしなくともよい。


「学校の自治」「教育の独立」を尊重する者にとっては、今回の橋下市長の要求を支持する者たちの気持ちは理解出来ないかもしれない。
しかし、世の中には「学校の自治?教育の独立?そんなものはどうでもいい」と考えている層も結構多いのだ。
彼らの考え方を知っておくことは、すなわちポピュリズム政治家のやり方を知るためのヒントにもなる。



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