~俺達の時代を忘れないで・・・~(歌は世につれ世は歌につれ)

昭和吟遊詩人の日々の暮らしと大好きな音楽の情報を発信してます。 札幌発!

『故郷のシンボルが・・・』

2015年12月02日 | 日記
おはようございます♪
昨日もの凄く悲しい出来事が伝え聞いたので
今日はそのお話をしたいと思います。
『棚から・・・』はまた後日に投稿します。

さて、街にはそれぞれシンボルになる物がありますが
わが故郷にもそのシンボルになる建物があります。
最近は新しいものが有名になり忘れられてるのかも?
それはこれです。



伊達の小高い所にある舘山に立っている
昔は望楼と言っていましたが・・・
いまはサイレン塔と呼ばれているようです。
歴史は良くわかりませんが自分が物心ついた時から
自分たちを見守ってくれた望楼です。
小学校の通学路はその山の下の川の渕を歩くのですが
あさは、多分ヒデとロザンナが歌ってたと思う伊達の歌が
昼には12時を知らせるサイレンが夕方には帰宅を促す愛の鐘が
伊達市民の時計代わりになっていました。
この望楼の下には公園がありまして、昔は小さな公園でしたが
その後整備されて遊具もある大きな公園になりました。
確か小さなお社もあったような・・・
中学生の時はここでギターの練習をしたものです。
ギターを弾いたり、喫茶店に入るのはまだ不良と呼ばれてた時代で
中学の先生に殴られた事も・・・
タバコもここで覚えました(笑)
その望楼が・・・



無くなってると昨日同級生のfacebookで・・・
けさ、それを聞いた別の同級生が現場へ・・・
上の写真のようになってたそうです。
ホントに喪失感半端でないです。
青春の中に有ったものが・・・
いろいろ調べたのですが更新工事をしているようで
更新とは補修ではないですね。建て替えみたいです。
確かに我々と同じ時代を過ごした望楼ですから
我々も老朽化してるしね(笑)
しかし、あの形・色は補強して残してほしかったな!
そうそう、この望楼、同級生のお父さんが設計したそうです。
時代の流れ、建物の寿命で仕方がないのでしょうが・・・
余談ですが小学生の時この舘山の崖から滑落したことがあります。
あの時は生まれて初めて死を感じました。怖った!
足と頭を打ったが病院にもいかず回復したが・・・
ホントは救急車ものでしたね(笑)
今では笑い話ですが・・・。
さて、今度はどんな望楼が建つのかな?
小学校4年生の時十勝沖地震があり伊達も相当揺れたのですが
丁度、授業中で当時の担任柳田先生が突然望楼を眺めて
『机の下に隠れろ』って・・・
後日、柳田先生は望楼が揺れたと言ってました。
こんなことからもやはりシンボルなんだなって思います。
ネットでいろいろ検索しましたが望楼の歴史は探せませんでした。
歴史的建造物もう少し後世に語り継いでもらいたいものです。

さて、ファイターズですが
契約更改が進んでるようですが
守護神増井さんが一億円増の二億二千万円でサイン!
今季は炎上もなく劇場はありましたが安定してましたね!
それと中島拓ちゃんは倍増の八千万円!
近藤くんは三千万円増!
優勝はできなかったが選手には励みとなる契約更改に!
陽くん、賢介さん、翔さん、大谷くんはおいくら上がるかな?
来年はその分優勝しかありませんよ(笑)

今日はお休みです。
昨日、飛び込んできたふるさと情報でしたが・・・
伊達市は歴史のある街です。
新しきものが増えるのもモチのロンOKですが
古きものを残すのも大切なことだと思いますね!
いまは伊達市民ではありませんが・・・
『ふるさとは遠きにありて思ふもの』ですから(笑)
帰りたいな!!!

それでは・・・また、あした!