STAY GREEN

家族との生活記録です。宜しくお願いします。

2006/11/05 (日)

2006年11月05日 | 2006年
いわきまで来ました。ここから福島まで高速バスなんですけど、1時間ほど時間があるので昼食。マックにいるんですけど隣にヨーロッパ人風なビジネスマンがバーガーを食べてます。最近思うのが、都会田舎関係なく外国人が普通に生活しているんだなってことです。
いわき駅前は再開発で工事中のようです。水戸駅の方も赤塚駅には郊外型のショッピングセンターが出来てたし、内原駅もイオンが出来てるし、昔は畑だけのところにも段々街っぽいのができてますね。大型ショッピングセンターができるのは単純には良いとは言えませんけど、こういう何もない田舎でも一つ屋根の下に小さいお店でも、いろんなお店が入って、都市部への流出を防げるならいいのかなと思ったり。逆に、柏駅なんかは集客が減るデメリットも発生するけど、郊外型ショッピングモールにはない楽しみを作れば、市民はそのときどきで使い分けるかもしれないし、食いつぶす関係ではなく、共存して相乗効果が生まれればいいなと思ったり。

2006/11/04 (土)

2006年11月04日 | 2006年
柏長崎屋の1階が食品売り場になってました。地下1階はパチンコ屋さんになってました。
で、今日も長崎屋でボーリングしに行きました。
今時風なかっこいい高校生が一人でボーリングしてました。となりのボーリングおじさんが何だかアドバイスをちょこちょこしてましたが、素直に聞いてるのを見て、なんだか嬉しくなりました。

2006/11/04 (土)

2006年11月04日 | 2006年
柏に帰ってきてまず探したのが「柏ナンバー」。やっぱり「野田ナンバー」が圧倒的に多くて、自分が見た感じでは1割くらいしか「柏ナンバー」をみかけないですね。で、この写真は東武バスのナンバープレート。「1・02」だなんて、さすが「とーぶ」とゴロの良い番号を選んだなと思ったり。
柏は「習志野ナンバー」→「野田ナンバー」→「柏ナンバー」と頻繁に変わってますね。

2006/11/04 (土)

2006年11月04日 | 2006年
昨日の夜、フジテレビで「泣きながら生きて」という番組をやっていたのでなんとなく見始めたんですけど。取材は10年近く。
中国人の男性が日本で暮らす話です。この男性は3人家族で妻と娘がいました。男性が若い頃、中国では文化大革命があり、都会の家族も農村部で働かなければならなかったりと学ぶことができなかった時代に育ちました。そして、男性はち知人に40万円ほどの借金をし(当時で中国の40万円は相当な額だと思います)、35歳のときに日本語学校に行くことにします。その日本語学校は、北海道の農村部にあり、村からすれば町おこしで作ったものでした。この時点で村も何も考えていないのではないかと思いますが、その男性含め留学生たちはお金もなくなり、農村部で働く場所もなくなり居ることができなくなり逃げました。妻と娘を上海に置き、男性は東京で掃除業務や調理場など娘に教育を受けさせるために一生懸命働きます。頭も段々薄くなってきて、歯も何本か抜けてくる様子はその辛さを感じさせられます。風呂もない部屋で、本当に質素な生活です。一方、娘はアメリカのニューヨークの大学に合格します。娘が米国に行く途中、トランジットを利用して東京の父親に8年ぶりに会うところや、母も13年の時を経て、東京にいる旦那さんに会うところは感動的でした。
娘は、医者を目指して米国で着々と夢に向かっています。上海に一人残される母親も辛いでしょうが、僕としては、この父親としての責任を果たし、一人東京で働く姿に泣けました。しかも、常に謙虚で、何にも感謝をするようなところは尊敬します。かつての日本人の姿がこんな感じだったのでしょうが、自分が憧れる父親の姿です。そこら辺の映画より、とても泣けるものでした。
うちの父ちゃん、母ちゃんにも感謝だな。千葉と福島の距離もこれを見ると、大した距離じゃないな(恥