星学館ブログ

星やその周辺分野のもろもろを紹介

月を横切るスペースステーション

2021-03-21 17:49:02 | エッセイ

■目の離せぬ佐治アストロパーク

 鳥取市の南部の佐治町高山に佐治アストロパークという鳥取市の施設がある。とても規模の大きな公共天文台で、「星とり県」を標榜する鳥取県の中核施設と言える。

 非常に活動的な天文台で、しばしば面白い画像、映像を見せてくれるので、われわれ都会組は目が離せない。

 この前は10年におよぶタイプスパンを置いて撮影したカニ星雲の画像を発表してくれた。膨張しているようすが明瞭に見てとることができて、感動した。

■それは2021年3月18日

 その佐治アストロパークが最近また面白い映像を見せてくれた。動画の一場面を載せておこう。

動画はこちらhttps://www.youtube.com/watch?v=GYtu--5I4OE

2枚の写真が並んでいる。時は2021年3月18日、日没後、間なしだったようだ。よく晴れて大阪からも月がきれいに見えていた。左が天文台から、右が鳥取砂丘からの撮影とのことである。

 右の月に重なっている白点が野口総一郎氏搭乗するところのスペースステーションで、月のほぼど真ん中に映っている。もちろん、鳥取砂丘でなら真ん中という予報があったから出かけたのだろう。そして、予報通り、月のど真ん中を通過した。元々、動画だから、下から上に向かってスペースステーションが進んで行く様子が映っていたが、あっと言う間に通過してしまったので、望遠鏡で見ていたら実にあっけない現象だったに違いない。

 さて、左は天文台からほぼ同時に撮影した画像だが、スペースステーションは月のはるか右の方に月1.6個分、角度で0.8°ほど離れて映っている。画面真ん中の白点である。

■視差

 この現象は視点位置によって物体の角度が変って見える視差によって生じた現象である。

 そこで、佐治アストロパークと砂丘との距離を調べてみたら、直線で21kmで、佐治アストロパークから砂丘は右(東)から上(北)に測って65°の方向だった。

 月は遠いから、どちらから見ても、この程度の距離差では視差は生じない。これに対し、スペースステーションの飛行高度は誠に低く、それで視差約0.8°が生じたのである。

 ということは、スペースステーションから見たら佐治アストロパークと砂丘の間の角度が0.8°だったということだ。それが地上では21kmになった。

 ところで、1°という角度は、言わずもがな、円周の1/360。半径が100kmの円ならば円周は628km、その1/360は1.74km、で1°は1.74km相当である。今回は0.8°、よって1.40kmになる。佐治アストロパークと砂丘の間は21kmだから、その15倍。したがって、飛行高度は100km×15=1,500kmになる。

 むむ、ちょっと高いなあ。どうやら、この計算ではダメ!らしい。さて、はて?

■スペースステーションの飛行角度

 ダメな要因の一つはスペースステーションの飛行角度を考えなかったことだ。上の図に2つの場所を結んで線の引いてみたが、もしスペースステーションがこの線をなぞるように進んだら、視差は飛行方向にしか効かないから、左右のずれはなく、前後のずれ、つまり飛行時間の差になって出てくるだけだ。飛行角度がカギの一つのようだ。

 そこで、調べてみたら軌道傾斜角が51.6419°と出ていた。どちら向きに測った角度なのか、分からないが、真東から北か、南ににこれだけ傾いているのだろうと思う。なぜなら、人工衛星や人工惑星を打ち上げるには相当スピードを出さねばならないので、地球の自転のスピードを借りようとする。すると、東向きに打ち上げることになる。その後、左右どちらか向けるか、北か南か、多分、それは打ち上げ場所に依るような気がする。地球重力を無視できないから、北半球から打ち上げれば南東に、南半球から打ち上げたら北東向きに送り出すと効率が良さそうだからだ。

 南東向きか、北東向きか? もし南東方向に進んだなら、上の写真の矢印に直交する形になる。これでは視差が目いっぱい効く方向になってしまい、上の計算のようになる。だから、これはない! となると、北向きということで、北東方向に飛行したのだろう。これは、月の下から上に抜けて行ったこととも整合する。北東方向とは言え、上の写真の矢印と少し角度があったから、それで視差が生まれたに違いない。

 ところで、赤道をθ=51.6419°で斜めに横切って鳥取上空まで来ると、何度の角度になるだろうか? 地球は丸いからそれを考えないといけない。どうやら、球面三角というややこしい奴を持って来ないといけないようだ。

 図をご覧戴こう。赤道を傾斜角θで横切ったスペースステーションは北緯φ=35.5°の鳥取・佐治上空を通過した。そこで、この状況を図のように鳥取・佐治と飛行経路がなす角をA、それぞれの辺の長さをa、bで示しておく。これらでできる三角は直角の球面三角だ。そこで、球面三角形の正弦定理を適用すると

  sin φ / sin θ = sin a / sin A = sin b / sin 90°

となる。sin φ / sin θ は分かっているから、 sin b がすぐに求まり、sin a / sin A もわかる。

余弦定理を使うと、

  cos b = cos φ cos a

だ。上でbが求まっているので、これからaがわかる。aが分れば、sin a / sin A が、ひいてはAが得られる。

 以上の手続きで、Aを計算すると、

sin φ / sin θ = 0.74055,  b = 47.77856°, cos b = 0.671998, cos a = cos b / cos φ =0.82543, a = 34.36760°,

sin a =0.56450, sin A = sin a / sin b =0.76227, A = 49.66°

これなら、A=θ としても大差なかった。結果論ではあるが。

■視差に効いたのは5.4km分、上空390km

 さて、この飛行角度を地図に重ねてみると、このようになる。確かにかなり方向が揃っていて、15°の開きだ。なお、スペースステーションはこの「向き」で飛んでいて、この経路に平行だったが、実際どこの上空だったかはここでは特定できない。しかし、視差には大きく関係しないので、まあ、こんなものと思うことにしよう。

  視差に効いてくるのは飛行経路に対し直角方向で、両者が15°開いているから、佐治アストロパークと砂丘の間の21kmのうち sin 15° = 0.259 分、つまり5.4km分だけである。

 あれ、ちょっと待って下さい。そうすると、わざわざ砂丘まで行かなくても観測できましたよね、宮*さん!

 上に戻ると、5.4/1.4=3.88 となるので、上空390kmほどを飛んでいたらしい。これなら、これまで言われてきた値と矛盾はないようだ。

 なお、ウィキペディアによれば413~418km上空を飛んでいると言う。400kmなら鳥取から甲府あたりまでに相当する距離で、随分、低空を飛んでいる。これが「宇宙ステーション」なんだから、これからどういう名前をつけるのかな、と少々心配に。

■速さについて

 秒速8kmほどで飛んでいるので、それが400km先となると角速度は 8/400=1/50ラジアン だ。1ラジアンは57°ほどだから、1/50ラジアンは約1°になる。ということは、月を0.5秒ほどで横切って行ったことになる。うん、見た感じに合ってる。

 

 佐治アストロパークの皆さん、楽しい話題を提供して戴き、ありがとうございました。真面目に遊んでしまった!

(2021.3.21.)

 


可哀そうなプトレマイオスと天動説 <2>

2021-03-17 14:24:22 | エッセイ

 今回はネット上にあった図から。あえて出典は明記致しません。誤りやすい例として取り上げただけで、非難しようなどいう気はありませんので、よろしくご理解をお願い申し上げます。

■ちょっと気になるこの図(1)

「天球の上方に中世では神が座していた」というのは良しとして、これをプトレマイオスの宇宙像とされると、やはり、可哀そうなプトレマイオス、でしょう。

 これは前回ご紹介した哲学者=神学者の宇宙像であり、確かにプトレマイオスも採用しましたが、当時の趨勢に従っただけで、自分の考案かのように扱われるとプトレマイオスもびっくりに違いありません。

 恒星天の外に天使がいて、それが恒星天を回すと、その動きが隣り合う天球を通して月まで順次伝わる、という機械的な宇宙がプラトン、アリストテレスから始まり、やがてキリスト教に取り入れられたと思いましたが、・・・・

 

ちょっと気になるこの図(2)

 この図のどこが気になったか、おわかりでしょうか?

導円はあるし、周転円は金星にあって、太陽になし、で間違いではないし・・・

 ですが、この図の雰囲気では金星が地球の下、太陽の反対側に来そうです。むむむ、真夜中に見える金星ですか!

 プトレマイオスでなくとも、原始的な同心円宇宙でもこんなことはありませんでした。

 金星の周転円の中心は地球と太陽を結ぶ線分上にないといけませんよね。

 

ちょっと気になるこの図(3)

 左の図には上の図と同様のエラーに加え、もう一つのエラーが潜んでいます。

 が、これはちょっと高級! これを研究したコペルニクスは惑星には周転円は要らない、その代り、太陽を中心にして地球を回せば良いと気づいたのではありませんか?

 周転円は何のために必要だったのでしょうか? そうです、惑星の逆行現象を作り出すためでした。衝の前後に逆行になるのですから、地球を挟んで太陽と惑星が対峙した時、惑星は周転円上の近地点に来ている筈です。これはどの外惑星でもそうですね。

 こうなるには周転円上で惑星は太陽と同期して回らなければなりません。そう、周転円中心から惑星への向きは地球・太陽の向きと同じ、平行でなければなりません。

 残念なことにこの図では太陽と同期しているようには描かれていませんね。

 周転円は地球公転の反映ですから、周転円の半径は地球・太陽間距離になります。もっとも、プトレマイオスの天動説では惑星間距離は任意にとれますから、これは後日分かったことです。

 コペルニクスは、どの惑星も周転円上では太陽と同じ向きで、かつ、1年で巡ることから、周転円を無くし、その代り地球を回せば良いことに気づいたのです。ですから、もしプトレマイオスがこの図のような姿を提示していたら、天才コペルニクスがプトレマイオスを批判することはなかったかも知れません。それは、勿論、批判の対象たり得ない、というレベルだからです。


可哀そうなプトレマイオスと天動説 <1>

2021-03-14 16:25:17 | エッセイ

■プトレマイオスとその仕事

 プトレマイオスは古代エジプトのアレクサンドリアで活躍した天文学者・数学者・占星術師。その彼は、今や、悪名高き天動説の権家として悪評は得ても、良い評価は得ていない。

 下記の記事は内容不足の感はあるものの、まずまず正確だと思われるが、理解不足からいわれなき非難を受けているケースが余りにも多く、全くもって可哀そうなのだ。死人に口無しで、彼は反論できないから、ここで少し弁護してやりたいと思った次第である。

 


以下、下記より引用

https://rika-net.com/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer03/index.html (2024.1.17.現在、接続できないようです)

プトレマイオスの天動説   

①紀元前の古代ギリシアの学者たちは、地球が宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを回っている1つの天体であるという鋭い洞察をしていましたが、2世紀に活躍した古代ギリシアの天文学者②プトレマイオスによって否定されてしまいます

英語では「トレミー」ともよばれるプトレマイオスは、古代のアレクサンドリアに在住したとされ、そこに集められた膨大(ぼうだい)な資料から、それまでのギリシアの天文学を集大成し、「アル・マジスティ(アルマゲスト)」という教科書にまとめあげました。この教科書の原本は残されていませんが、部分的に伝承されたものから、当時の世界観が体系的に編まれていたことがうかがえます。西洋星座の原点となったギリシア神話にもとづく48の星座や、恒星表など全部で13巻の一大著作です。

その中でプトレマイオスは、いわゆる天動説の立場をとって、宇宙を描きだし、説明していました。すなわちプトレマイオスの宇宙(天動説)③地球が宇宙の中心にあり、不動であるとした前提のもと、5つの惑星(水星、金星、火星、木星、土星)及び太陽、月の7つの天体が、地球のまわりを回ることによって、その運動を説明するというものです。順序は見かけの動きの速さから、地球に近い順に月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星と考えられました。また、この時の天体の軌道は、当時の④幾何学から真円であるとされています。宇宙に完全なる幾何学を求めた結果といえるでしょう。

しかし、それだけでは実際の惑星の運動を再現できません。見かけ上の惑星の不規則な運動、つまり、それまで東に向かって進んでいた惑星が⑤突然、西向きに方向を変え、見かけ上戻ってしまうような逆行運動が存在するからです。そこで、惑星の軌道上にさらに半径の小さな円を描き、惑星はこの上を円運動しながら、その小さな円そのものが地球のまわりを回るという軌道の二重構造を導入する修正が加えられました。小さな円の方を「周転円」とよびますが、その導入により、惑星の逆行運動がかなり説明できたため、⑥プトレマイオスの天動説は、その後、長いあいだにわたって人類の宇宙観を支配することになりました。


 ここまでお読み戴いた方には御礼を申し上げたいほど。でも、本論はこれから。なお、この記事は他のページに比べてとても正確だと思って引用させて戴いた。考える素材にさせて戴くのが目的であって、非難しようなどという意図はないので、よろしくご理解下さいますように。

 さて、揚げ足とりと思われるかも知れないと恐れながら、上記で①~⑥について、少しコメントしてみたい。


●①紀元前の古代ギリシアの学者たちは、地球が宇宙の中心ではなく、太陽のまわりを回っている1つの天体であるという鋭い洞察をしていました

⇒ 確かにそうした人たちがいたようで、地球自転説を唱えたヘラクレイデス(BC4世紀末)や太陽中心を唱えたというアリスタルコス(BC310-230)が知られている。アリスタルコスについては異端の学説ということで、ストア派のクレアンテスが「彼は不信仰罪で起訴されるべきだ」という趣旨の主張をしたという記録があるらしく、それで今日まで伝わっている。太陽中心説はこの時代も、コペルニクス時代も、日常経験に反する上に証拠がなく、思弁の産物だったことを忘れてはいけない。もっとも、今でさえ地球が太陽を巡っていることを、頭でなく、実感している人はいるのだろうか? 実感できないからこそ「鋭い洞察」なのだろうが、これはなかなか難しい。つまり、当時の学者たちの皆が皆、「鋭い洞察」を行ったのではなく、「鋭い洞察」を行った人たちもいた、ということだろうと思う。


●②プトレマイオスによって否定されてしまいます

⇒ プトレマイオスが否定したことは間違いないが、彼が先導したわけではなく、「アルマゲスト」の最初に書いてあるように、こうした話は「神学の対象」で、すでにプトレマイオスら数学者にはアンタッチャブルな問題だった。これらは哲学者の領域の問題で、たとえば、プラトンの作った学校のアカデメイアなどで伝授されていた。もしプトレマイオスが否定しなければ「アルマゲスト」などを書くことはできず、それこそアリスタルコスと同様に非難の憂き目に会い、命の危険さえ感じたことだろう。

 当時の宇宙観が二分されていたことに注意を払う人が少なく、多くの誤りがここから発している。つまり、哲学者が扱う「神学の対象」としての宇宙は、地球を中心として日月5惑星が同心円状に回転している美しい宇宙で、天文学者・数学者が扱う「暦作成上の便宜的な宇宙」はプトレマイオスが展開した離心円(太陽はこれだけ)+周転円+エカント(エカントは惑星だけ)という組み合わせの、どろどろした世界だった。この別が分かっていないと、プトレマイオスが同心円宇宙を唱えたなどという頓珍漢な言説が生まれることになる。同心円宇宙はキリスト教会の受け入れるところとなり、一般に流布したが、これでは暦(=天体運行の予報)は作れないから、コペルニクスにとってさえ端から対象外だった。なお、これはコペルニクスへの大いなる誤解なのだが、確かに彼は、大雑把に言えば、宇宙の中心を地球から太陽に置き換えたことは間違いない。しかし、ど真ん中に据えて、それを惑星が回るとしたかと言えば、そんなことはない! コペルニクスは太陽が宇宙の中心で、それを日月5惑星が巡るなどとは主張していない。なぜなら、日月5惑星の軌道は離心円で、太陽は円軌道の中心からずれているというのが彼の運行論の骨子だからだ! この点は項を改めて紹介したいと思うが、大昔からの誤解である。コペルニクスにも可哀そうなところがある。


●③地球が宇宙の中心にあり

⇒ 可哀そうなプトレマイオスである。ここでは、象徴的に、大雑把な話として宇宙の中心と言っていると思うので、目くじらを立てるのはおかしいと言う向きもあろう。しかし、幾何学的に厳密な円の中心、と思っておられたら、そうではありませんよ、と申しあげたい。トレマイオスは太陽の運行モデルを作る時に周転円を考えたことがあり、この時は文字通り誘導円の中心に地球を置いたが、ヒッパルコスが言っていた離心円モデルと同値であることがわかり、最終的には離心円モデルを採用した。作業仮説として地球中心を一時的には考えたものの、採用しなかった。明らかに「意識的に採用しなかった」。採用できなかった、と言った方が正確だろうか。月でも惑星でも離心円だったし、太陽も離心円にすれば統一が取れると考えたかも知れない。

 コペルニクスも同心円では全く観測に合わないから捨てて、宇宙の中心は何も存在しない離心円中心とせざるを得なかった。だから、長いこと悩み、発表をためらっていたのだ。これは彼の信条、彼の哲学に合わなかった。プトレマイオスとて似たようなもの。プトレマイオス宇宙はあくまで離心円+周転円+エカント離心円とは中心に天体がない、離れているという意味である。プトレマイオスだって、できることなら宇宙の中心に地球を据えたかったと思う。


●④幾何学から真円であるとされています

⇒ 上の②と同根の誤り。真円としたのは哲学者で、これが「神学の対象」だったから。数学者・天文学者のプトレマイオスが関与するところではなかった。現代の天文学者は「なぜそうなるの」と理由を問うが、かつてその仕事は哲学者の領域だった。

 ティコ・ブラーエやケプラーが神聖ローマ帝国の数学官という地位だったのは、占星術を専門とし、暦計算をする人だったから。ケプラーが火星軌道からケプラーの法則を導いた研究書「新天文学」の書名にPHYSICA COELESTISという文言を付加した心はなにか? 彼は、「なぜ、惑星は太陽を焦点とする軌道を描くのか」と、「なぜ」=理由、根拠を問うことを厭わず、哲学者の領域に入り込むことをここで宣言した。

 つまり、プトレマイオスは幾何学的考察からではなく、当時の権力者に従って、「真円でいかに説明するか」と腐心したのであって、もし何でも良いと言われたら楕円軌道に辿り着いたかも知れない。もちろん、楕円を知っていたのだから。


●惑星が⑤突然、西向きに方向を変え

⇒ これは見解の相違もあるかも知れないが、筆者の感覚からは「突然」ではない。実際、逆行に移る時に見ていると1週間以上も停留している。これを「突然」と言うかだが、この動かない期間をわざわざ「留」と名づけていたことから見ても、違和感を覚える。


⑥プトレマイオスの天動説は、その後、長いあいだにわたって人類の宇宙観を支配

⇒ ? これは単純な同心円軌道モデルを言っているのだろうと想像する。そもそもプトレマイオスは6世紀から12世紀の間はヨーロッパ社会からは消えていた。例の暗黒時代と称される時代である。そして、12世紀か13世紀にスペインでイスラム圏と交流する中で復活したものである。良く知られるようになったのはコペルニクスの頃からで、印刷術が発明されてからの事に過ぎない。しかし、同心円宇宙は単純だし、キリスト教の教義にもぴったりだから、教会の中で生き続けた。プトレマイオスの運行論は難しく、専門家でなければ「アルマゲスト」を読解するのは無理だったろうから、人類の宇宙観を支配するほどにはならなかったと思う。

 以上、勝手な生半可な知識で書いてみた。専門家から見ればおかしなところがあると思うのでご指摘いただけるとありがたい。

 また、「天球図でさぐる地球と天体の動き」を掲載されている https://rika-net.com/contents/cp0320a/start.html さんには勝手に引用させて戴いた。御礼方々、お許しを請う次第である。

(2021.3.14.)


宇宙的に解く人の死の悲しみ

2021-03-10 12:40:51 | エッセイ

JR福知山線・尼崎脱線事故現場 ©毎日新聞社


 悪夢のようなあの事故の記憶がよみがえる。2021年の今年は慰霊の儀式を、小規模ではあるが、執り行うというニュースが流れてきた。

 その日、2005年4月25日は月曜日で、JR福知山線に近いカトリック系の大学への出講日だったため、大阪・梅田駅から尼崎方面に向かって行った。尼崎に着くと暫く停車し、「長いなあ・・」と思っていたら、事故があって出発の見込みが立たないというアナウンスがあった。講義の時刻が迫っている。尼崎駅で下車し、タクシーで向かった。大学へ着いた頃、西の方1km先の上空におびただしい数のヘリが舞っていて、ただならぬ状況が察せられた。尼崎駅から少し北に進んだところで大変な脱線事故が起っていた。

 それから小1年もたった頃だろうか。グリーフケアに心血を注いでおられた同大学の高木慶子教授(*)が「人の死が悲しいというのを宇宙的に見たらどうなんでしょうか?」という趣旨のことを語りかけて来られた。「宇宙的に見たら」というのは枕詞か、筆者に対するリップサービスで、全く信心の気がない筆者を少し考えさそうという魂胆だったのか、ともかくも、近々、関係の会合を催すから少し話して欲しいとの依頼であった。

 少しは考えた。結論は「人は、食物連鎖の循環からはみ出してしまった結果、もはや、食われてしまう存在ではなく、死が非日常的なものとなったため」という、高木先生の意に添わない誠に素っ気ないものになってしまった。そう、魚のように、どうしたって食われてしまうなら、たくさん子どもを作って、何%か生き延びればいいや、いちいち死を悲しんでいる暇はない、ということになるのではないか、と思った。

 筆者がガキの頃はまだ死が身近にあった。たまに80位のじいさんがいると、村民の尊敬の的だったほどで、近所のじいさん、ばあさんはたいがい60を過ぎると脳溢血で死んでいた。わけの分からぬガキどもには祝言ほどではないが、村民が皆集まり、祭りのような葬式だった。近くの坊主の読経が済めばすぐに野辺送りで、墓場までみんなで行列をしたし、その墓場には墓堀りを終えた親父連中が待っていた。じいさん、ばあさんが死ぬのは当たり前とみんなが受け止めていたのだと思う。死に場所はもちろん自宅だし、まだ死も、人の誕生も、ごくごく身近にあった。

 しかし、21世紀の現代、死も、人の誕生も、遠い、遠いものになった。死や誕生は病院にしかなかったのに、昨年はコロナ騒ぎでその病院にも近寄れず、肉親の死さえ家族から奪われた。

 コロナウイルス騒ぎで、ウイルスの殲滅が何より大事な課題のように喧伝されているが、人体の中がウイルスだらけであることを見れば、コロナウイルスを殲滅することなど不可能だろう。とすれば、如何に共存するかである。同様に死を回避するのも不可能なら、如何に折り合いをつけていくかだ。そんなことを考えさせられたニュースだった。

(*)グリーフケア入門: 悲嘆のさなかにある人を支える(高木慶子、上智大学グリーフケア研究所 編)などがある。

 


野口聡一氏が宇宙飛行士へ至った道ー中西美和子さんの思い出から

2021-03-06 10:31:17 | エッセイ
 今朝のニュースで、宇宙ステーションに長期滞在している野口聡一さんが4回目の船外活動を行って延べ27時間となり、日本人宇宙飛行士として最年長の55歳で、最長の時間となったと伝えていた。元気で、ストレスに良く耐えているものだと思う。
 くだんの野口聡一氏の伯母さんは中西美和子という方で、2006年2月現在、大阪市にお住まいであった。だからと言って別に個人的に知っているわけではない。朝日新聞への投稿記事を拝見しただけなのだが、それが実に胸にじーんとくる文章で、忘れられない。
 発端は、かつて大阪市立電気科学館プラネタリウムの解説員で、火星の地形や気象現象を研究していて、この分野では世界的に著名だった佐伯恒夫さんの話である。プラネタリウムでも、火星面研究でもパイオニア的存在だったから、佐伯さんを顕彰するため、国際天文学連合IAUが火星の大型クレーターをSaheki」と命名したのだ。それが2005年で、それを伝えるアメリカのSky & Telescope誌の記事を載せておこう。
 それを朝日新聞が伝えている。
 

資料1.【3】朝日新聞2006121日大阪本社版夕刊から
 「観測の鬼」火星の地名に
 日本人で初 故・佐伯恒夫さん
 スケッチ50年 プラネタリウム名解説
 大阪市のプラネタリウムの名解説者として知られたアマチュア天文家の故・佐伯恒夫さん(191696)の名が、火星の地名になる。大型クレーターの一つがSaheki」と命名され、今年8月にある国際天文学連(IAU)の総会で正式に決まる。日本人の名前が火星の地名につけられるのは初めてという。
 火星のクレーターには人名や小都市名などがつけられる。地動説のコペルニクス、進化論のダーウィン、新大陸「発見」のコロンブスなどの人物が名を連ねている。
 佐伯さんの教えをうけた広島県廿日市市の元プラネタリウ ム解説員、佐藤健さん(67)01年にIAUに提案し、このほど内定の連絡が届いた。このクレーターは火星の南半球にあり、直径85キロ。
 佐伯さんは独学で天文学を学び、大阪市内の自宅などで50年間にわたって火星を観測して詳細なスケッチに記録した。謎の閃光現象や灰色の雲などの観測で世界的に知られる。
 一方で、41年から71年まで大阪市立電気科学館(現・大阪市立科学館)でプラネタリウムの解説を担当。著書やテレビ・ラジオなどを通じて天文学の普及に力を尽くした。アマチュア天文家が中心の東亜天文学会や、日本暦学会の会長も務めた。
 佐藤さんは「『火星観測の鬼』と呼ばれ、火星に一生をささげた佐伯先生の名前が火星に刻まれることになって大変うれしい」と言う。
 佐伯さんの長男で兵庫県伊丹市で環境関連会社を営む雅夫さん(59)は「長年にわたる功績が認められて、父も喜んでいると思います」と話している。(杉本潔記者)

 
 この記事を受けて、中西さんから投稿があった。
 

資料2.(4)朝日新聞2006年2月6日大阪本社版投稿欄から
 佐伯先生の名火星の地名に
 無職 中西美和子 (大阪市東住吉区74)
 大阪市立電気科学館(現・市立科学館)でプラネタリウムの解説をしていたアマチュア天文家の故・佐伯恒夫さんの名前が、火星の大型クレーターの一つにつけられるという記事を読みました。私も少女の頃、父に連れられて弟とプラネタリウムを見に行くのが楽しみでした。
 戦時色の濃い世の中でしたが、電気科学館だけは美しい夜空を見て夢をふくらませられる唯一の場所でした。佐伯先生の解説は私たちにもよく分かるように親切な話しぶりで、火星に力を入れて観測しておられるのが伝わってきました。
 少し赤い星のスケッチも見せて頂きました。天体望遠鏡をのぞく機会はありませんでしたが、小さなファンのひとりでした。作業服で、腰に手ぬぐいをぶらさげたお姿を尊敬して見ていました。
 プラネタリウムがきっかけにとなり、弟は空への興味を持ち続けていたようです。やがて、弟の子どもが大きくなって花を咲かせることになりました。宇宙飛行士の野口聡一です
 いつか人類は火星へ到達する日が来るでしょう。先生の名前を刻んだ場所が永遠に伝えられるのを、心からお祝い申し上げます。

 
 この中西さんの投稿記事を読むたびに涙が出る思いがする。自分が佐伯さんの後輩であることもあるが、それを別としても教育の大切さや教育者のあるべき姿のようなものを知らされるからだ。
 丸紅の社長や中国大使を歴任した丹羽宇一郎氏が盛んに教育の重要性を訴えている。人口が減少し続け、特に中国が世界の大国になる中で、資源に乏しい小国日本はどう生き延びるか。それには善隣友好と教育だ、そのためには青年よ、海外に行って現状を良く見て来い。それが友好への道であり、それを実現させるのは教育だ。日本人ほど冷たい人たちは少ない。戦没者の遺骨は捨て置き、一度こけた人には2度目のチャンスを与えることもなく、平和のための行動をとろうともしない。これでは沈没だ、と悲痛に訴える。
 この丹羽氏の論ではないが、教育とそれを支える人材確保は国の命運を決する。佐伯さんのような研究者や教育者こそが世代を越えて影響を与え、新たな人材を育てるのだ。野口聡一氏は自然に成長したのではなかった。こうした背景があってこそなのだと、改めて、今朝のニュースで思ったことだった。
 なお、佐伯さんや電気科学館については、星学館・天文データセンターにまとめているので参照されたい。
(星学館 2021.3.6.)