世界大学野球選手権大会で力投する斎藤佑樹投手(早大)
いよいよ8月8日から北京オリンピックが開催されます。
私の個人的な注目競技は、もちろん野球です。2000年シドニー大会からプロの参入が認められ、
今回もトップに君臨する選手たちが文字通り国を代表して3週間の過酷な戦いに挑んでいきます。
WBC世界チャンピオンとして、五輪でも圧倒的な強さで金メダル獲得を期待しています!
しかし・・・以前、選手たちと会食したときに、
「ここ数年、WBCや五輪予選でオフが全くないので、正直カラダがキツイ」
「韓国のように五輪期間中はペナントレースを止めないと公平さに欠ける」
「WBCをプロ最高峰の位置づけにして、五輪はアマチュアの大会にしたほうがレベルアップするのでは?」
などいろいろな意見が聞かれました。
私もそれらを危惧しているのですが、五輪をサッカーのようにアンダー22(もしくは24くらい)に設定すれば、
学生や社会人で活躍する選手にも目標ができてレベルアップにつながってくるでしょう。
プロ側の立場としては各球団主力選手を出さなくて済むということもありますし(特にクライマックス・シリーズ
進出を狙う中日は主力が4人選出されています)、ペナントレースに影響を与えることは現状よりも少ない
かもしれません。
日本では誰が五輪日本代表に選ばれるかが注目を浴びている中、アマチュア野球に対する注目度が
低く、つい先日まで第24回ハーレムベースボールウィークがオランダのハーレム市で、第4回世界大学
野球選手権大会がチェコのブルノ市で行われていたことは、よほどのファンでないと知らなかったのでは
と思います。
個人的には、WBCを各国の威信をかけて正真正銘の世界一を競う大会にして、オリンピックの舞台は
斎藤佑樹【写真】や田中将大が投げ、坂本勇人や中田翔が打つ、という日の丸を背負った若い
選手たちの活躍が見たいものです。
事実、若いアマチュア選手のみで構成されたロサンゼルス大会からアトランタ大会までは世界を相手に
全てメダルを獲得していたのですから。(まずは野球を公式競技に戻さねば・・・)
ご参考までにアマチュアで構成された野球日本代表チームの過去の大会を振り返ってみましょう。
(全日本野球会議より)
■ 1984年 ロサンゼルス大会(金メダル)
野球が公開競技として初めて採用されたこの大会。東西冷戦の政治状況の中、アメリカ開催の大会に
東側諸国がボイコット。野球ではキューバが不参加となり、前年アジア予選でチャイニーズ・タイペイとの
決定戦に敗れた日本に急きょ、参加資格が転がり込んだ。
社会人と学生で編成された代表。平均年齢22・5歳という若さもあり守備などの連係面が不安視
されたが、予選リーグ初戦、エース・宣銅烈(元中日)が先発の宿敵・韓国を破ると波に乗り、
ニカラグアに大勝、カナダには敗れたが予選青組1位通過を果たす。
準決勝の相手はチャイニーズ・タイペイ。5回、相手先発・郭泰源(元西武)から荒井(元ヤクルト)の
三塁打で日本が先制。すぐに同点とされ試合は延長戦となるが、10回裏に荒井がサヨナラ安打。
決勝へとコマを進める。
大観衆の中での地元・アメリカとの決勝。大半がメジャー指名選手という強豪相手に、日本は互角の
戦いを展開した。3回に先制を許すも中盤に3点を奪い逆転。8回には、広沢(元ヤクルトほか)が
130メートルの特大3ラン本塁打を放ち突き放す。投げては伊東(元ヤクルト)ら3投手の継投で粘る
相手を振り切り、記念すべき大会で見事に金メダルを獲得した。
監督 松永怜一
その後プロで活躍した主な日本代表選手
伊東昭光 伊藤敦規 宮本和知 西川佳明 嶋田宗彦 秦真司 正田耕三 上田和明
和田豊 広沢克己 荒井幸雄 熊野輝光
■ 1988年 ソウル大会(銀メダル)
大会1カ月前の世界選手権(イタリア)で4位という結果に終わり、上位進出が危ぶまれた日本。
しかし、大会が始まってみると、予選リーグ3連勝と絶好のスタート。 まず初戦、世界選手権で苦杯を
なめたプエルトリコに完勝。チャイニーズ・タイペイとの第2戦も、1対3の8回裏に同点に追いつき、
延長戦13回に古田(元ヤクルト)の左前打でサヨナラ勝ち。オランダにも快勝して決勝トーナメントへと
進んだ。
準決勝の相手は韓国。終盤の7回に先制を許すが、その後は救援の野茂(元MLB)が素晴らしい
投球で相手打線を完ぺきに封じる。それにこたえ打線も、7回の中島(元日本ハムほか)のソロ、
8回の古田の犠飛などで計3点を挙げて逆転、頂上決戦へとコマを進めた。
前回同様、アメリカとの決勝。中盤までは点を取り合うが、8回にマルチネスの、この試合2発目の
本塁打で突き放され、隻腕投手アボットの粘投の前に打線もあと一歩及ばず。雪辱に燃える相手の
執念に敗れ、日本は銀メダルに終わった。
監督 鈴木義信
その後プロで活躍した主な日本代表選手
潮崎哲也 渡辺智男 鈴木哲 吉田修司 石井丈裕 野茂英雄 古田敦也 野村謙二郎
小川博文 大森剛 中島輝士 苫篠賢治
■ 1992年 バルセロナ大会(銅メダル)
この大会から正式競技に採用された野球に、強豪・キューバが初参戦。予選リーグ、日本は2連勝で
そのキューバとの対戦を迎える。タイミングを狂わせる2種類の変化球を持つ渡部、下手投げの佐藤康を
マウンドに送り相手を惑わす作戦に出た日本だったが、リナレス(元中日)らを中心とする豪快な長打力に
バントなどの緻密さも交えたキューバ野球の前に2対8で屈してしまう。キューバは快調に7戦全勝で
予選1位通過。日本は、チャイニーズ・タイペイ戦で郭李建夫(元阪神)の前に完封負けを喫するも、
最終戦でアメリカに完勝し2位通過を果たした。
準決勝、チャイニーズ・タイペイは再び郭李を先発に持ってくる。初回、小桧山(元横浜)がいきなり
先頭打者本塁打を浴びるが、予選と同じ轍を踏みたくない日本は、2、3回と1点ずつ挙げて逆転。
しかし、4回に追いつかれると、その後も着々と加点され、打線も4回以降郭李の好投の前に沈黙。
キューバとの再戦、そして頂点への夢は断たれた。
3位決定戦の相手は、ジオンビー、ガルシアパーラなど、現在メジャーの中心で活躍する選手を擁する
アメリカ。日本は先発・伊藤(元ヤクルト)が好投する間に4点を先行。途中追い上げられるも6回に
再び4点を奪って突き放し、3大会連続メダル獲得を成し遂げた。
金メダルには評判どおりの力を見せつけ相手を圧倒したキューバが輝いた。
監督 山中正竹
その後プロで活躍した主な日本代表選手
杉山賢人 西山一宇 小桧山雅仁 伊藤智仁 三輪隆 大島公一 小久保裕紀 佐藤真一
(備考 Mr.アマチュア杉浦正則)
■ 1996年 アトランタ大会(銀メダル)
松中(ソフトバンク)、井口(MLB)、谷(巨人)、福留(MLB)、今岡(阪神)ら、現在プロの主力として
活躍する選手たちが出場したこの大会。事前合宿も含め万全の体制で臨んだはずが、予想外の
苦しいスタートとなる。予選リーグ初戦は快勝するも、第2戦でキューバに競り負け、第3戦オーストラリアに
まさかの黒星。次のアメリカにはコールド負けと3連敗で予選敗退の危機。しかし、ここでエース・杉浦が
故障から復帰するとチームは息を吹き返す。3連勝で土壇場から準決勝進出を決めた。
準決勝で史上最強と謳われ、予選でも大敗を喫したアメリカを、杉浦の丁寧な投球と本塁打攻勢で
見事に攻略。そして、決勝のキューバ戦はすさまじい打撃戦となる。
序盤、リナレスに本塁打を浴びるなどして一気に6点を背負った日本だが、中盤、松中の満塁弾で同点に。
しかし終盤、強力キューバ打線を抑えきれず再びリードを奪われる。最終回、谷の2ランで粘りを見せたが
及ばず、金メダル奪回の夢は惜しくも破れた。
監督 川島勝司
その後プロで活躍した主な日本代表選手
三澤興一 森中聖雄 川村丈夫 小野仁 大久保秀昭 福留孝介 松中信彦 今岡誠
井口忠仁 谷佳知 (備考 Mr.アマチュア杉浦正則)
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元読売巨人軍トレーニングコーチの鍼灸マッサージ治療室
肩ひじ関節、腰痛等 スポーツ障害の治療スペシャリスト
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