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旧杉田劇所の隣に建っている「吐月館」というビルについて、2回にわたって記事を書いてきた。この不思議な名前の由来は何なのか、ということを調べているが、まだ答えは出ていない。
その問題が解決しないなかで、もう一つ謎の文字が定礎の中に彫られているのも調べなくてはならないのだ。
冒頭の写真がそれ。「料亭丸家跡地」と書かれている。
戦前から昭和30年代にかけて、「浜」から「中原」の間にはたくさんの料亭があった。「偕楽園」を筆頭に「雨月荘」とか「梅乃園」などが有名で、それらは写真や昔の地図で残っているのだが、この「丸家」というのは聞いたことがない。
図書館で地図や電話帳などを総めくりして調べても発見できず、時間ばかりが経っていった。その後、『横浜市商工案内』昭和5年版を眺めていたら、とうとう「丸家」という料亭が出て来た。表記は「丸屋」となっているが、住所は磯子区杉田町2183。旧杉田劇場が杉田町2184だったから、これは間違いないだろう。
代表者は深野金十郎さんとなっている。
定礎に彫られているマーク。これで間違いない。
昭和5年当時、ここに料亭があったことが分かった。だが、いつから、いつまであったのか、その前後がまだ不明だ。
この土地は関東大震災後に埋め立てでつくられたところで、大正15年に完成しているので、おそらくその頃からあったものと思われる。
by うめちゃん
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