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「杉田十境眺望図」には、いろいろな名所が描かれている。今回取り上げるのは「錦屏海」と「イモカミ」だ。
本牧と富岡に挟まれた海。現在は一般的に根岸湾といわれているが、昔はここを屛風ヶ浦と呼んでいた。『富岡抄誌』(富岡青少年の家1967年)に掲載されている名所旧跡を見ると、屛風ヶ浦の項にこう書かれている。
「屛風ヶ浦とは昔金沢村富岡の岬から、北は中区本牧の八王子奥までの海浜一帯を総称したものである。
建久年間、源頼朝が杉田に来遊の時、賞観のあまり屛風ヶ浦と命名したとも伝えられ、また享和二年佐藤一斎の詩によって錦屏海と推讃した」
また、杉田名勝記(屛風ヶ浦郷土誌)を引用して次のようにも書かれている。
「錦屏海とは屛風浦の海湾を言うなり、日月波上に浮かんで磷々として、浪は錦を織るが如くに見えたり。故に名づく」
杉田十境眺望図に描かれている錦屏海とは屛風浦のことだったのである。
杉田八幡、妙法寺の先に描かれている「イモカミ」とは、何なのか。これも『富岡抄誌』にその由来が書かれている。
「芋明神(揚柳観音) 寛永年間のあるとき、村内慶珊寺の寺男茂右衛門が、寺内の泉水付近に住んでいた白い蛇を殺した。これを知った住僧伝雅は、この白蛇を手厚く葬った。その夜白蛇が伝雅の夢枕に出現し、疱瘡明神として永く守護することを告げたのでこれを祀った。
この祠の付近にあった池の中には、寒中でも萎まない霊芋があり、このために一般に芋明神という。本体揚柳観音像は富岡山長昌寺の金堂に祀られている」
『磯子の史話』にも芋神のことが書かれているが、こちらは登場するのが白蛇ではなく青大将。少し異なる部分もあるが、基本的には似たような話になっている。
by うめちゃん
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